大山 久しぶりの山行 

 師走もおしせまった28日、急に小生の乗務する列車が3日まで運休することになった。頭に冬山合宿がひらめくのに不思議があろうか。す早く受話器をとる。

 かくて、ずうずうしくも46年度冬山合宿に参加することとなった。合宿を共にするのは、はじめての会員ばかりである。

 スキーヤーの後に続き米子駅前に出たものの雪はぜんぜんなし。それでもブナ林テント場では、泥田のような腐れ雪があった。天気は上々、すばらしい北壁が我々を迎えてくれた。都会の汚れた気持ちがいっぺんにふっとんでしまった。

 11時、行動予定として、故梅津氏の追悼を行なうため登る。大えん堤の上までスキーヤーが雪を求めて登ってきている。埋没地点は、この雪では考えられない状況であった。故梅津氏とは、面識はないが諸先輩から氏の人柄を聞き知っている。好物のカリントウ、酒を供え全員黙とう。葬儀の日、庭先で乾していた氏の登山用具が、さびしい冬の日に照らされていた。あの光景を思い出した。山の死はさびしい。二度と起こしてはならない。絶対起こしてはならない。登山者全員肝に銘じよう。

 キックステップ、軽いラッセルの訓練を行ないながら、八合沢をつめる。先頭を行くK、H、新人はよくやる。ふと振り返ると、天狗の稜線が、冬の午後の日に美しく映えていた。まるで春山だ。肌着一枚で頂上へむかう。ところどころ土が肌を出している。すばらしい天気。日本海、四国の山々が見えたとか。思い出のひとつに残ろう。1時間で下山。歳越しそばを食べ、レコード大賞がどうのこうのいっていると火事のサイレンが鳴る。いそがしさをかりたてるように、いろいろなことがあったが、どうにか一年を無事すごしたことを感謝した。

            
   伯耆大山山頂にて(左から前列:染矢、加藤、後列:小西、日野、丹生、挾間)

 明けて、1972年元旦。昨日の朝とはぜんぜん違う。テントの中で「おめでとう」が行き会う。急に明るくなる。しかし空だけはいまにも泣きだしそう。

 遅れて入山したNを加えて総勢8名頂上をめざし出発。途中無謀登山者のはんこを押したような一行に出会う。曰く「おめでとう」ほんとにおめでたい人達である。頂上小屋にて、女性パーティがアイゼンをつけたまま板の間を歩いている。注意すると「だれもいないからいいじゃない」。正月早々いやな気持になった。

            
         大山寺キャンプ場付近にて(前列:染矢、後列:山辺、加藤、日野、中上、挾間、小西)

 先ほどからの霧ションが、ミゾレに変わった。アイゼンを着け縦走にうつる。少しは冬山の実感がわいてくる。エッチの指導をしながらユートピア小屋へ。下りに30分ほど滑落停止の訓練をする。大神山神社の下でついに雨になった。

 夜はおきまりの話がはずむ。臼杵の会員が来られたが、満員で追い帰してしまったかっこうになったことを、ここでおわびします。2時まで話が続く。また山の歌は、なぜか心をなごませてくれる。外はいつしか雪で30cm位積もっている。

            
               雪掻きは新人の大事な仕事
         

 一夜明ければ一面の銀世界。「これでなくっちゃ」といいながらも寝袋の中でゴソゴソ。臼杵の人達は登ったらしい。

 10時ごろからSら3名とスキーをする。登山服装がやぼったくて、山に登ることがばかばかしいことのように時々思うことがある。しかし、山に登ればスキーをする事以上の何ものかがある。だから小生は登山の間にスキーをすることに決めている。

 しばし、スキーを楽しみテントにもどり撤収にかかる。臼杵会員の下山が遅れ、心配したが無事下山。我々も多くの思い出を残して降りしきる雪の中を帰路につく。

 久し振りでみんなと寝食を共にする楽しみも手伝ってか、すばらしく楽しい山行であった。なによりうれしいことは、新しい山の友を持ったことである。(丹生記)

〔行動記録〕

12月31日 BC11:00〜元谷〜別山沢〜八合沢〜稜線14:50〜山頂15:20〜BC16:30

1月1日 BC8:50〜夏道六号小屋10:15〜山頂11:05〜11:50〜天狗〜ユートピア小屋12:45〜BC15:10