快晴の石鎚山に遊ぶ with Toshiの巻    栗秋和彦

 初めて海上から流れ行く門司の夜景を眺めながら自宅方面を指し、パートナーの愚息・寿彦へ「あの辺が上馬寄だぞ」と促しても「ふ〜ん....」とあまり関心はないらしい。ほどなく門司港のかたまった街明かりを認めると、すぐ真上に巨大な関門橋のシルエットを見上げた。しかしそれもつかの間、瞬く間に闇に包まれ、船は静かに瀬戸内海へと入った。そぅ、今ボクたちは超満員の旅客と共に、小倉(砂津)から関西汽船・道後丸の船上の人となり、松山を目指しているのだ。

 G.Wに玖珠の山々を歩いて以来、山らしい山とはず〜っと遠ざかってきたことがボクの心の片すみで妙に引っ掛かっていた。そろそろ出掛けねばなるまい、季節のうつろいの節目毎にまるで水や空気のように無意識の招弊に応えなくてはならない。そこで10月の三連休に的を絞り行動を起こすことにした。紅葉には少し早いが、秋の澄みきった山に身を預け、リラックスすることは何事にも替え難いのだ。さて、どこにするか。三連休を有効に使えば、北九州の地の利を生かし信州の山々(瞬間的に徳本峠や中央アルプスが脳裏をよぎった)も夢ではないが、唐突な計画と大都会並(と思う)の人混みを想定すると第一候補にはなり得ない。

 そこで中国・四国を眺めると、必然的に伯耆大山と伊予の石鎚が決勝に残った。大山は麓まで高速道路が開通しており、時間的には計算できるが、無雪期、積雪期とも頂を踏んでおり、スキー行を含めれば十数回は足を運んでいる。中国地方の盟主、格式高い名山ではあるが、新鮮味には欠ける。他方、石鎚山系は17才の夏オートバイで山陰・北陸・山陽・四国と旅した際、面河渓から面河山(1525m)まではたどり辿り着いたものの、時間切れで石鎚山頂は踏むことなく24年を経ようとしている。加えて“おゆぴにすと”第2号に寄せた挾間の名著、“名山探訪・我が心の山・石鎚山”にも少なからずひかれたものがあった。機会があれば彼のこだわりの源泉でもある、石鎚山をこの目でしかと見届けたいとの思惑も強く、万全の寄り切りで軍配はいとも簡単に石鎚山に挙がったのだ。

 本来、家族旅行で計画を進めたが、直前になって娘のクラブ行事がこの三連休に組み込まれてしまい、母上共々反旗を翻したのだ。そもそも家族旅行と銘打ったとはいえ、山登りの企画に素直に応じるとは言い難い母娘であるからして、下山後は本四架橋から岡山へ渡り、倉敷の町並みを散策するぞ=と妥協案をちらつかせていたのだが、あまり食指を動かした様子はなかった。むしろクラブ行事を『渡りに船』ととらえたようである。残るは長男の寿彦。「やっぱり、山登りのパートナーはアクションパワー(?)のお前しかいない=」と持ち上げ、更に「船に乗って冒険の旅に出るぞ。男の船出はロマンだい」と止どめをさした。

 10月9日(土)A.M5:00 定刻どおりに船は松山観光港へ到着。黎明の松山市街を走り抜け、R33を南下する。雲ひとつない快晴の三坂峠を越え、美川村から県道面河線に入る。かって走破した道ではあるが、山間の単調なくねくね道にいにしえの記憶は甦らない。関門(面河渓谷の入口)で面河川を渡り、いよいよ石鎚スカイラインのゲートをくぐる。ここは関門というか、料金徴収係の出勤が7時からということで、勤務に就いたばかりのおじさんが宣いながらキップ(料金受領書)を切ったのだ。「ムムム....あと10分早ければ...」一瞬の無念さを表情に出した父親を見取った寿彦は「しまったね= もうすこし、早ければ無料道路になったのに=」と見透かした口調で再び、助手席でみのむし(半シュラフにくるまるの図)を継続した。

 高度を稼ぐにつれ、石鎚本峰が徐々に近付いてくる。スカイラインからは高度差はあまりないので、圧倒的な威圧間はないが、ひときわ鋭い峰が、天空に突き上げている様はなかなかのものである。ゲートから距離にして18km、時間にして約30分程でこの道路の終点、標高1480mの土小屋に着く。例の無料道路(?)を利用したと見られる先着の車で駐車場はほぼいっぱいの盛況。身支度をしている登山者も多く、三連休初日のここ土小屋はこれからもっと込み合いそうであるが、さすがに朝の冷気は鋭く、みんなはヤッケ(ウインドブレーカー)に手袋をして出発準備にいそしんでいる。グルッと見まわしたところ中高年のグループ及びカップル(夫婦?)が7割、我々を含む家族連れが2割、その他得体の知れぬ輩1割といった構成か。つまり殆どが中高年男女で、ここ土小屋は占拠されている訳で、ますます山ヤのシニア化が進行しているのを目の当たりにすると、相対的に若手隊の最右翼である我々は親子共々、シルバーエイジの面前で粗相のないように、何となく緊張した面持ちで登高を開始せざるを得ないのだ。

 ともあれ冷気に震えながら、西に向かう縦走路に踏みいれる。風はないので、歩きだすとさっきまでの寒さはウソのように快適な山歩きとなる。30分程でクマザサとシラビソの疎林に混じって白骨林が現れ、鶴ノ子ノ頭(1637m)に出る。眼前にスケールアップされた石鎚山がピラミダルな姿をいっぱいにして出迎えてくれる。岩峰とこれにまつわる紅葉が織り成す鮮やかな景色に、しばし立ち止まりただ呆然と見入るばかりである。天候に恵まれたとはいえ、おそらく、一週間早くとも、また遅くても、これほど見事な色彩の美に酔うことはなかったろうと思う。「寿彦、山のロマンは突然訪れるのだ= 来て良かったやろ」と同調を求める父。さしもの寿彦も、これに口をはさむ気配はなく「ウン...」と言ったきり、歩を進めた。このあたりからの眺めは大障子尾根(宮原)からの祖母山に趣が似てなくもないと思うのだが、岩壁群の露出度は圧倒的なまでにこの石鎚に譲ることになろう。

         

 天狗岳(石鎚山主峰、1982m)北面に入るあたりからひときわ鮮やかな紅葉の世界が広がる。頭上に聳える岩峰群とこれを包みこむ紅葉樹、ほとばしり出る岩清水を含みながらこれらを愛でる贅沢を許されよ。一方、寿彦はといえば二の鎖元小屋が北壁下の向こう稜線に見え出した頃から、いささかの疲労を訴え始めたが、岩清水のおかげかすぐに元気を取り戻しほどなく小屋に着く。ここは成就社(ロープウェイ方面)からとの合流点でもあり、松山、西条両方面の眺望を得て、思い思いに休憩を取る登山者で賑わっている。さて、ここからが石鎚登山の核心部とも言うべき鎖場ルートの取り付きである。もちろん他に容易に登れる巻き道はあるが、この山に来てここをパスする訳にはいかない。問題は寿彦か。

 二の鎖だけで70m余(と登ってから分かったのだが...。由布岳西峰への岩場くらいのスケールであろうと勝手に思い込んでいた)の断崖を攀じることは、小4の息子には結果的に少々の無理があったようだ。鎖に導かれるとはいえ、どうしてもこれに頼り過ぎて腕の力を酷使してしまい、ヒヤリとする場面は避けられなかったのだ。つい心配のあまり、「寿彦、下を見るなよ」と言ってしまって悔やまれることしきり。「ワーッ、怖い=」と案の定宣い、恐怖心をそそる結果になってしまったからだ。ルートの指示を与え、時には身を呈して彼の足掛かりを務め、なんとか一般の登山道に出くわすした時はさすがにホッと胸をなでおろした。後でこの鎖場に明るい挾間に話したところ、ここ数年で子供やお年寄りを中心に、はからずもこのルートに取り付いて途中で進退極まり、助けを求めるかあるいは不幸にも力尽きて墜落の憂き目にあったケースは、少なくとも数件に上る模様で、なるほどなと充分うなづける話であった。

 さてまだこれから直接頂上(弥山、1974m)に突き上げる、もっともダイナミックな三の鎖が控えているのだが、これに懲りてあっさりと巻き道を選び、5分程で山小屋と小さなお社、それに丸みを帯びた巨岩で覆われた弥山の頂に辿り着く。西方は指呼の距離に二ノ森(1929m)が座り高度を落としながら遠景に松山平野を臨み、東へ転ずれば主稜の連なりの中でひときわ高く、重厚な瓶ケ森(1896m)が構えている。もちろん周り一面無数の山々を眼下に、あるいは遠望しているのだが、いかんせん四国の山々に疎い身としては、ただただ山の連なりを見入るのみであった。

 さて、少し落ち着いたところでそろそろ主峰の天狗岳に取り付かねばなるまい。遠近、四方を見渡して、やはり一番気になるのは目前で天空を突いて峻立する天狗岳をおいて他にあるまい。注意深く岩場を下り、最低コルからは北壁を覗きこみそれなりに高度感を味わいながら、痩せた岩稜を攀じ登り、10分程で小さな石嗣を乗せた岩峰に立つ。大袈裟に言えば、加賀白山以西では最高峰であるからして、山高くして貴く実に気分はいいのだ。しかし、この喜びを記念写真に収めようにも、狭すぎて不安定なので慎重に少し下り、見上げる格好でモデルの寿彦へカメラを向けたが、へっぴり腰で怖々とVサインを出した真摯な眼差しが何かしらユーモラスで印象深いものとなった。秋晴れのもと、南北にスパッと切れ落ちた絶頂から見る谷の紅葉の鮮やかさに、しばし見とれるもここはのんびりとくつろげる頂とは言い難い。再び弥山まで戻り、大勢の登山客で賑わう中、安定した巨岩にどっしりと腰をおろしてピクニック気分で朝食兼昼食のおかか&紅鮭おにぎりをほおばる。こちらの頂ではのんびりと時間の経つのを楽しみながら、至福の時を過ごすことができた。

        

 そして下山は一般ルートを福岡の中年ライダーと三人で下る。250ccのスクーターを操り、阿波の剣山を踏んだ後、昨日土小屋の国民宿舎に身を潜め、黎明の中、頂を目指したのだという。(実は山頂で彼の地図を借り受けて、初めて二ノ森や瓶ケ森を確認したという自分自身のていたらくを暴露してしまうのだが....。これに加えて写真を撮ってもらったり、お菓子を分けて貰ったりと、少なからず世話になったので、特別にこの稿に登場を願った) 福岡の山の話をしながら、しばしば振り返り脳裏に焼き付けようと本峰を仰ぎ見るおじさん二人。これにもくもくと付いてくる児童一人といつた構図が1時間20分余り続いた後、人と車でごったがえす土小屋に戻った。

 満鑑飾の秋山の極致と、西日本屈指の鋭峰の名に恥じないちょっぴりスリリングな興奮を味わいつつ、ひとまず念願の石鎚登山を終えたが、西日本の最高峰ゆえ、稜線まで車で稼いで登るスタイルには便利さを享受しつつも、何かしら割り切れないものを感じるのだ。やはりこの山の本当の良さを知るには、麓から自分の足で登らなければならないだろう。挾間の口癖になりつつある、厳冬期の石鎚縦走はかなわないにしても近い日に面河渓から面河山への径を想い起こしながら、更に二ノ森〜石鎚〜瓶ケ森と早駆け登山を夢見るのも悪くないぞ。

 助手席でスヤスヤと午睡を楽しむ寿彦を横目で見遣りながら、次なる四国の山行プランはいかなるべきかを思い浮かべる。マァしかし、取り合えずは日本最古の歴史を持つ道後温泉に浸るべく先を急ごう。伊予の国の山といで湯の典型的な二点セットを踏破せずして豊予海峡は渡れないのだ。

〔コースタイム 小倉22:00→(フェリー)→松山5:00 5:25→(車)→面河渓関門・石鎚スカイライン入口7:10→(車)→土小屋7:35 7:50→二の鎖元小屋9:15石鎚山山頂(弥山〜天狗)9:45 10:55→土小屋12:18 12:40→(車)→面河渓関門付近13:05 13:25→(車)→松山・道後温泉(温泉館・神の湯)15:15 16:00→(車)→愛媛厚生年金休暇センター(伊予市)16:50 泊 8:12→(車)→三崎港10:15 11:00→(フェリー)→佐賀関港12:10→(車)→日田16:00〕
(平成5年10月8〜10日)

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