勤続20年記念事業 
          
−南アルプス北部主稜縦走−  
                挾間 渉

 南アルプスの大縦走は随分以前から温めていたものであるが、結婚し家庭を持ち、子供も成長過程にあり、親として人並みの責任を課せられている以上、なかなか単独でチャレンジすることには抵抗があった。家族の理解なくしては、気まずい思いをしてまで強行しても満足は得られないかも知れない。折しも、今年県職員となって勤続20年の節目を迎えた。この20年間、いろいろなことがあったけれど、とくに現職場になってからの13年というものは仕事中心の生活で、休みを取って山などほとんど考え及びもつかなかった。

 「20年の節目の年に、ここら辺で孤独な独り旅でもして、過ぎ去りし20年とこれからの人生を静かに考えてみたい」と、お尻がこそばゆくなるような口実を説得材料にして、妻の同意を得て実現の運びとなった。対象の山域は、夜叉神峠を起点に、鳳凰三山、甲斐駒ヶ岳、仙丈岳、白峰三山、塩見岳など、日本百名山6座を有し、水平距離80km、実動6日間ではやや欲張りすぎの感は否めないが、『積極果敢な登山』にこだわり続ける身としては、あくまで天幕による縦走を基本としつつも決して無理をせず、かつ臆することなく北部の主稜縦走を全うしたい、と心に秘めて8月25日午後大分を発った。

 8月26日 晴れ 前夜甲府駅構内で一夜を過ごし、朝一番の広河原行きのバスに乗り込み、今縦走の起点となる夜叉神峠に向かう。早朝5時35分、この峠のバス停(標高1,380m)での下車は私だけ。バスのエンジン音がしだいに遠ざかると、一人取り残された何とも言えない気分で身支度を整え、勇躍夜叉神峠の登りの第1歩を印す。サルオガセが生い茂り、ホシガラス飛ぶ深い樹林帯の登ること50分程で夜叉神峠(1,770m)である。辺りが急に明るくなり稜線の向こうの雲海の上、指呼の間に巨大な山の連なりが眼前を覆った。それが、今縦走の終盤に登頂するであろう白峰三山の農鳥岳と間ノ岳であることに気づくのに少し時間がかかった。
 登る程に展望が開け、一度はその岩肌の感触を経験したいと思いながら結局実現せずじまいとなった北岳バットレスが全貌を現してきた。一方、白峰三山にばかり気を奪われていたが、旧杖立峠を過ぎる辺りで、ふと、振り返ると思いもかけぬ至近距離に富士山が秀麗な姿を現していた。

       

 歩き始めて約4時間、南御室小屋に着く。今夏の南アルプスは全般的に天気がぐずつき気味と聞いていたので大分を発つ時は思いもよらなかった快晴に、ノドの渇きも激しく、そんな時だけにこの小屋の水は、砂漠の中のオアシスのような格別な味だ。さらに進み、薬師岳手前の砂払岳付近は、白砂青松と借景の白峰三山が調和する日本庭園の趣だ。10時半、予定より2時間も早く薬師岳小屋に到着。これで、今日中に早川尾根小屋まで入れそうだ。それにしてもここまでの快晴無風のなかの標高差1,400mの登りには、随分と消耗させられた。主のいない小屋の前でラーメンをつくり、30分の大休止。

 薬師岳小屋まで夜叉神峠から7時間の行程であり、本来ここで第1日目を終えることになるのだが、それでは南アルプス北部大縦走はおぼつかない。早川尾根小屋まで、さらに5時間のアルバイトを我が身に強いる。



                         

 11時に薬師岳頂上へ向けて出発すると、途中、山頂まで写真撮影に出かけていた小屋のオーナー夫婦に会い、休憩をとらせたもらった礼を述べ、さらに登る。誰もいない観音岳(2,840.4m)山頂では、カメラにセルフタイマーがなく、日本百名山の一つ鳳凰三山の最高峰に立った証を記録できずじまいであったが、地蔵岳に屹立するオベリスクとその向こう遥かに八ヶ岳連峰が望まれ満足。 

 地蔵の分岐を過ぎると、甲斐駒ヶ岳が圧倒的な迫力となり、とくに松田さんから何度となく聞かされた麻利支天中央壁のスケールたるや他に比ぶべくもなく、先程までのバットレスの偉容がかすんでしまうほどだ。赤抜沢の頭(2,750m)、高嶺(2,779m)を過ぎる頃から、真夏の陽射しと先程のラーメンのせいでノドはカラカラ。水はあと500ccしかなく、早川尾根までさらにあと2時間半はかかりそう。この山行に備え、3ヶ月のトレーニングでウエストを引き締め、20kgの負荷で12時間行動可能な体力にした(つもりだった)。が、広河原峠を過ぎる辺りから、疲労が増し、疲れた身体では食べ物を胃が受け付けてくれそうにもない。何とヤワな胃であることよ、と嘆きながら、おにぎりを、乏しくなった水とともに無理して流し込む。

        



 16時前に早川尾根小屋に到着し、設営料300円を支払い、テントを張りかけると吐き気が間欠的に我が身を襲い始める。初日からこの有り様では、今後の計画の大幅修正を考えねばなるまいと悲観的になる。今回の山行では、装備の軽量化と簡素化のためにレトルト食品を中心に食事メニューを考えたが、自分でつくるレトルト食品はとても食えそうにもない。熱いスープ一杯で胃袋を落ちつかせ、小屋で求めた缶ビールで妻の差し入れのピスタチオをつまみに一杯飲る。ビールで吐き気が治るから不思議だ。以後、毎夕ビールを求めることになる。くたびれ果て、まだ日も落ちぬ夕方から寝袋にもぐり込むも、夜半空腹で目覚め雑炊をつくると、元気が再び甦ってくる。(コースタイム 夜叉神登山口5:35→夜叉神峠6:30→杖立峠7:30→南御室小屋9:20→薬師岳小屋10:32→観音岳11:32→地蔵分岐12:32→高嶺13:26→白鳳峠14:00→広河原峠15:09→早川尾根小屋幕営地15:52)

 8月27日 晴れ 昨夜の悲観論は取り越し苦労で、自分でも意外な程の足の軽さに「人間鍛えれば強くなれるものだ」を実感し、早朝5時、気を取り直して早川尾根の核心部に向かう。歩き始めて約2時間で早川尾根の主峰アサヨ峰(2,799.1m)、さらに2時間程で栗沢山(2,714m)に着く。早川尾根は人気のない静かな尾根である。カメラにセルフタイマーがないので、登山者と行き交う時にしか写真におさまる機会がない。栗沢山の頂では、昨晩小屋に泊まった初老の人に追いつき、撮影をお願いする。天気が良く、さわやかなそよ風の静かな山の頂で、束の間休息し、この初老の人と屋久島の話に花が咲くが、ゆっくりしてはおれない。ここから仙水峠まで高度差500mを一気に下る。

       

 10時頃、麻利支天中央壁を見上げる位置になる仙水峠に着く。異様なケルンの林立は厳冬期の麻利支天に逝ける人々の遭難碑か?ここでレトルトのご飯を炊きなおし、牛丼をつくる。食欲はないが、体力は減る一方だし、それに食糧の方も予定どおり減らさなければ荷がいっこうに軽くなりはしない。予定では駒ヶ岳から北沢峠まで主稜をトレースすることになっていたが、体力の温存を考えあまり気が進まないが、この峠から駒ヶ岳山頂まで空身同然でピストンすることにする。

 這松帯の尾根を登り駒津峰(2,752m)に立つ。明日の予定コース仙丈岳と長大な仙塩尾根、それに最低鞍部となる野呂川越を確認し、風化した花崗岩の砂利混じりの岩稜をさらに登り13時丁度に駒ヶ岳(2,965.6m)山頂。日溜まりでトカゲを決め込んでいる者数名あり。単独行では気分が内にこもり、何事も悲観的に、否定的に考えてしまい、精神衛生上よろしくない。気心の知れた者達で時にはバカも言いながら、こうしてトカゲを決め込むのも悪くない、と彼らを羨ましがりながら、祠の前にて記念写真をお願いする。

 残り少なくなった貴重な水を飲み干し、下りは麻利支天のザラ場から駒津峰経由で山頂を辞す。北沢峠からは、昨日同様しだいに疲労が増し、北沢長衛小屋ではかけ込むように吐き気止めのビールを求め、一気に飲み干すと先程までが嘘のように吐き気も治まり、テントの外で峠のたそがれを楽しみながら、カレーライスをつくる。(コースタイム 早川尾根小屋5:58→アサヨ峰8:13→栗沢山9:02→仙水峠10:12→駒津峰11:55→甲斐駒ヶ岳13:00→駒津峰14:12→仙水峠15:10→北沢長衛小屋幕営地16:32)

 8月28日 晴れ 4時5分起床。月光煌々、どうやら今日で3日続きの快晴の様だ。ゆっくりした朝食を取り、6時前に出発。北沢峠手前から仙丈岳の登りとなる。しばらくだらだらと林の中を登って行くと駒津峰の尾根からスポットライトの様な朝陽が射し始める。7時過ぎ、4合目の辺りにさしかかる頃には、早くも9合目の薮沢小屋か馬の背ヒュッテを早朝発ったと思われる「毎日が日曜日」という年輩の方を始め数人の、いわゆる中高年の登山者に次々と出会う。

              

皆、親切でゆっくりしているだけに話し好きの人達だ。8時過ぎ、小仙丈岳(2,855m)の尾根に達し、北アルプス方面に槍・穂高連峰を初めてとらえる。10時前、仙丈岳山頂(3,032.7m)。

        

 予定では、仙丈小屋で水が補給可能との見通しで、小屋への捲き道を選んだが、いたずらに時間を浪費したに過ぎず、アテにした水が得られず、わずか600ccで炎天下のバカ尾根の縦走を強いられることを考えると、山頂でおいしそうに生野菜盛りだくさんの弁当を食べている中高年登山者が恨めしい。

それでも雲海の彼方の中央アルプス、北アルプス、八ヶ岳連峰、富士山と続く山頂からの大パノラマはしっかり眼に、心に焼き付け、通称バカ尾根こと仙塩尾根に踏み込む。昨日まで北上しながら常に東面を見やってきた白峰三山を、大仙丈岳(2,975m)付近からは、南下しながらぐるっと一回りしながら、今度は裏側を見ながら、という恰好だ。

この尾根の南半分はあきれるほど長い樹林帯が続く。台風が本土に接近してきており、好天は今日で終わり、夕方からはくずれることが必至ということで、尾根からおそらく最後の眺望となるであろう南ア北部の連嶺を心ゆくまで眺め、静かな人気のない山歩きが続き、伊那荒倉岳(2,519m)、独標(2,499m)、横川岳(2,478m)と特徴のないピークを過ぎ、15時前に最低鞍部の野呂川越(2,290m)、ここで仙塩尾根をそれ、今日の幕営予定地である両俣小屋(2,010m)まで下る。



 両俣小屋は、野呂川の源流の右俣と左俣の分岐点付近に位置する。小屋に近づくと、小屋の真ん前の丸太のテーブルを囲んで、常連風の登山者数名と女主人(まだ若い)がのんびりと談笑中。幕営の了解を乞う前に、取りあえずビールを注文すると、中津からのお客さんの土産だと言うアサリの干物をつまみにと差し出してくれる。

 全行程を天幕で通すつもりの今山行であったが、疲労がピークに達し、台風の接近に伴い天気は下り坂、レトルト食品を受け付けぬ胃袋、両俣小屋の雰囲気、「今夜の献立は野菜のてんぷら、ハンバーグ、ツナサラダ、それにご飯と味噌汁のおかわりは自由よ! この3日続きの好天で、布団干しもできたし、寝心地満点よ!」との女主人の殺し文句に、妥協するのにさほどの時間はかからなかったのは言うまでもない。

 そうと決まれば、先ずは沐浴だ。この小屋の前の野呂川源流にあたる水量豊かな沢は一部せき止められており、恰好の水浴び場となっている。素っ裸となって冷水摩擦で全身のアカを落とし、心も清める。山のいで湯に勝るとも劣らぬ有難味で、束の間の憩いの一時だ。夜、ふんわりと気持ちのいい布団(山小屋では所詮湿気たせんべい布団と相場は決まっているのだが、ここはさすが女主人だけあって清潔さが行き届いている)にくるまって、心配しているかも知れない妻に、おそらく自分の方が先着するかも知れない葉書を書く。夜間、かなり強い雨がトタン屋根をたたく。(コースタイム 幕営地5:59→小仙丈岳8:44→仙丈岳9:57→大仙丈岳10:37→伊那荒倉岳13:16→高望池13:26→野呂川越14:54→両俣小屋15:30)

 8月29日 雨時々曇り 4時30分起床。5時には食事を終えたが、夜半よりの断続的な強い雨に同宿の皆は既に停滞を決めている様子。天気はますます悪くなるばかりで、ここで沈殿しても明日はさらに悪くなること必至だ。8月の南アの1週間で雨に会わない方がおかしい。まして、台風の接近とあっては思案のしどころというもの。

結局、迷いに迷ったあげく、雨はやむなしとし、台風そのものの風は明日いっぱいは大丈夫、明日中に下山すればいいとの判断に立ち、9時半過ぎ、勇躍小屋を飛び出す。今日のコースは野呂川源流左俣を遡行し、中白根沢の頭から北岳の肩に出る、今行程中最大の難所である。小屋から何度か沢を徒渉し、遡行すること1時間で、尾根への取り付きとなる。一般登山道とは名ばかりで気の抜けない急傾斜を登り、途中雨も止んだのでラーメンの昼食を取り空腹を満たす。

中白根沢の頭からは雨まじりの横なぐりの強風が容赦なく頬をたたく。肩の小屋との分かれを過ぎ、両俣小屋から4時間30分の所要で北岳(3,192.4m)山頂に立つ。視界不良で、人気もほとんどない山頂に、何年か前に山と仕事の先輩である内藤氏から頂いた年賀状にあった石地蔵が、吹きさらしの中に、ぽつんと寂しく立っているのが印象的であった。

                

 15時北岳山荘。天幕を張れぬこともなさそうだが、3,000mの稜線で吹く突風の恐さは知らないわけではない。ここは迷わず北岳山荘に入ることにする。(コースタイム 両俣小屋9:36→中白根沢の頭12:45→肩の小屋との分かれ13:37→北岳14:03→北岳山荘15:00)

 8月30日 曇りのち雨 明け方近く、「富士山が見える!」との同宿の者の感嘆符に起こされ、窓に眼をやると雲海の上に北斎画の様な朝焼けの富士が迫り、陽が昇るにつれてしだいに色を変え、幻想的だ。しかし、昨夜からの気象情報では、台風はますます接近しており今日の大雨は避けられない様子。明日は暴風雨と予想され、予定の塩見岳まで行けば、当分下山できなくなるだろうし、ここはいさぎよく農鳥岳〜奈良田温泉のエスケープルートに変更するが賢明と判断する。5時に朝食を取り、5時半過ぎに小屋を立つ。



 今は小康状態の天気もせいぜい午前中までと思い、どんどん飛ばす。悪天候とはいえ、高曇りで数日前の起点、夜叉神峠から早川尾根など、ガスの晴れ間に展望は開け、今日までのほぼ360度の行程を反芻しながら、6時52分間ノ岳(3,189.3m)、8時28分西農鳥岳(3,051m)、もくもくと歩き9時3分農鳥岳(3,025.9m)山頂。両俣小屋で買ったとっておきの桃缶を行動食にして、大門沢の下降点に着いたのが9時40分。ここからは奈良田温泉までの標高差2,000mの大下降となる。

 下り始めてすぐ、本降りとなり、下界に近づくにつれ雨足が激しさを増し、ゴアテックスの雨具も用をなさない。大門沢小屋でラーメンの昼食を取り、再び下降を続け、幾つかの釣り橋を渡り、奈良田の発電所が見え出す頃には、全身濡れネズミのひどい状態であり、14時過ぎに奈良田温泉着。これまでの緊張感が一気に緩んだのか、急に全身を疲労感が襲う。それでも、檜の香漂う奈良田町営の共同湯に浸ると、この5日間の充実した山行の疲れがみるみる取れていくのが分かる。

       

 塩見岳を残し、計画の8割、全行程を天幕のつもりが、後半は小屋泊りと、妥協。「まあ、いいさ。そんなにこだわる年でもなかろう。また来るさ」と自分に言い聞かせ、心ゆくまで湯に浸った。(コースタイム 北岳山荘5:37→間ノ岳6:52→農鳥小屋7:45→西農鳥岳8:28→農鳥岳9:03→大門沢下降点9:40→大門沢小屋11:50→奈良田発電所14:20)
         (平成3年8月25〜31日の記録)

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