洋上アルプス縦断  −屋久島宮之浦岳−   
                               挾間 渉

 11月8日 夕方、遠出の山行きの場合必ずと言っていいほど感じる、家を出る直前の何とも例えようもない重苦しい気分も、いったん家を出てしまうと吹っ切れてしまう。三重町で今回のパートナーの加藤君と合流し、熊本経由で鹿児島まで愛車VISTAを走らせ、深夜加藤君の友人宅に転がり込み一宿一飯にあずかる。

 11月9日 曇りのち雨 8時に鹿児島港を折元汽船で出港。天気は下り坂で波高く、視界不良の中、約4時間半後に、どんよりとした雲に包み込まれたような屋久島宮之浦港に降り立つ。

       

 宮之浦港からは登山口となる標高625mの白谷雲水峡までタクシーを利用する。屋久島の山ではタクシーは予約が当たり前のようで、2日後の17時30分に下山予定となる淀川小屋付近の林道終点に待機するよう予約する。今回の縦走の予定のコースは、ここから辻峠を越え、小杉谷の軌道を伝い縄文杉経由で宮之浦岳の頂に立ち、花之江河を経由して淀川小屋に下るという2泊3日のコース。パートナーの加藤君は仕事仲間で弱冠27歳、杵築高校山岳部OB、今回の食糧担当で、この山行のためにカリマーの70リットルのザックを購入したが、わずか3日間の山行の割にはザックに入り切れぬほどの荷となった。

 午後2時、雲水峡を歩き始めると、早速激しい雨のお出迎えとなり、途中の増水した沢の徒渉には随分気を使う。南国らしい、あまり馴染みのない植相を珍しがりながら、途中の白谷山荘で小休止、歩き始めて2時間で辻峠(標高979m)。トレーニング不足の疲労からか、いきなりの雨のお出迎えからか、二人ともやや無口になりがち。しかし、峠からは下るだけ。元気を取り戻し、小杉谷の軌道までの約1時間は足どりも軽くなり、夕刻、三代杉付近のわずかなスペースを幕営地とする。

 ここからは高校山岳部で磨いた加藤君の腕の見せどころ。ザックに収まりきらぬ程の荷の所以もここにあり、だ。夕食のメニューは生野菜たっぷりの焼き肉。味付けはといえば、学生時代バイト先の焼き鳥屋で材料の仕入れからタレの仕込みまでまかされたという腕の程は、噂に違わぬもの。ワイン1本を空にして上機嫌で屋久島の夜は更ける。(コースタイム 白谷雲水峡14:02→白谷小屋15:15→辻峠16:04→17:15三代杉)

 11月10日 小雨 この山行で初おろしのテント(ゴアライト3人用)は、やや狭いが水には強く、内側に水滴が付かずまずまずの使いやすさ。月に35日は雨が降るという屋久島の山を意識して濡れ対策を万全なものとしたが、寝心地もまずまず。ただ昨夜は、雨それも雷雨と、鹿2万、猿2万といわれる屋久島の山では当たり前かも知れぬが、餌あさりに来た動物の足音、それも一匹や2匹ではない、取り囲まれているようで外を見るのが恐いほどのようで熟睡できぬまま朝を迎えた。

 朝食は鳥雑炊。もちろん、生野菜、生卵入り。テントでの縦走は、考えてみれば、登高会時代以来10数年ぶりのことで、あの頃は、軽量化には随分と気を使ったが、はっきり言って食糧の量が全然足りなかった。加藤君によって、新しい山の楽しみ方を教えられた気がする。

 さて、小杉谷の軌道を左に峡谷を見ながら進み、三代杉から約1時間半で大株歩道に入る。ここからは急登だが、楽しみにしていた屋久杉の銘木が次々と現れるはずで、この何とも言えぬ期待感には急登のつらさなど気にはならない。9時2分、まず、翁杉、続いて9時15分、大正3年にウイルソンが世に紹介したというウイルソン株。

       

 1586年(天正14年)楠川の牧五郎がやぐらを組み斧で切ったと伝えられ、株周32m、畳18枚、株の内側は空洞となっており、入口には鳥居、中には祠が安置されている。屋久杉は樹脂が豊富なため腐りにくく、周囲にはいまだに当時の木片が散在している。

 夫婦杉、大王杉と矢継ぎ早の銘木に溜息をつきながら、さらに30分ほど登ると、11時、霧の中に忽然と縄文杉が姿を現した。この杉は根周り43m、樹齢は7,200年とも言われ、樹幹の至るところに違った樹種が数多く張り付いた様は、さながらこの樹自体が一つの森を成すといった有り様で、驚嘆の他はない。

 ここから程なくで稜線となり11時25分、高塚小屋に到着する。稜線は風が強く荒れ模様であり、東京からという単独行者が小屋の前でツェルトを張って停滞を決め込んでいる。少し不安になるが、このあとの行動は小屋に入ってゆっくり考えようということで、大休止。食パン1斤、野菜サラダ、スープ、それにぜんざい、と豪華な昼食に1時間以上を費やし、予定どおり山頂を目指すことにする。

 高塚小屋からは稜線伝いではあるが、心配した風もさほどではなく、屋久島の山の深さを充分味わうも、夕方になってしだいに標高を稼いでくると、疲労と寒気でだんだん余裕がなくなり、ペースダウン。予定では本日のうちに永田岳往復のつもりであったが、明日に延ばし、16時過ぎに宮之浦岳頂上直下、永田岳との分岐点に程良い幕営地を見つける。辺りはこの秋(冬)おそらく初めての霧氷に覆われガスが静かに包み込む様は幻想的だ。手際よくテントを張り、暖をとり、取りあえずサラミと馬刺のくんせいを肴に焼酎をあおれば、バテ気味の五臓六腑にしみ渡り、先ほどまでの冷えた身体が嘘の様に生き返ってくる。やっぱりテントはいい。夕食はカレーライス。夜、天候がしだいに回復し、夜間は急に冷え込む。(コースタイム 三代杉7:20→大株歩道入口8:46→ウイルソン株9:15→縄文杉11:00→高塚小屋11:25〜12:32→第1展望台14:00→永田岳との分岐16:04)

 11月11日 ガスのち快晴 テントから顔を出すと周囲の草木はエビの尻尾に覆われ昨夕よりさらに霧氷が発達している。昨晩の寒気はスリーシーズン用の寝袋であった加藤君には少々こたえたようだ。私はといえば、厳寒期用羽毛製でほとんど寒さは気にならなかっただけに、何だか申し訳ない気分だ。昨日登り残した永田岳のことが気になるが、体調不十分であまり気乗りのしないらしい加藤君につきあって、この山はパスすることにする。何だか目の前の宮之浦岳ばかりでなく、永田岳をも登ってしまったら屋久島はこれっきりになりそうな気がしたことも事実だ。

 そうと決まれば、どうせ今日は淀川小屋付近の林道までだ。天気も上り坂だしのんびり稜線漫歩も悪くない。朝食の雑炊を平らげて、9時にガスの中を出発。登るほどにしだいにガスが晴れ、宮之浦岳(1,935.3m)山頂に着く頃にはほとんど快晴。屋久島に来て初めての青空である。眼前に登り残した永田岳(1,886m)のどっしりとした山容が迫る。周囲には雲海が果てしなく広がる。屋久島の最初の出迎えは雨、縄文杉では幻想的な霧、今朝は霧氷、そしてここに来ての快晴無風。どうせ雨にはやられると覚悟した屋久島行だけに、最も理想的な気象の展開に大満足して、記念撮影と山頂からの大パノラマをしばし楽しむ。

            



 下山は、翁岳(1,826m)直下の水場では歯磨きと洗顔、安房岳、投石岳を迂回し、黒味岳(1,831m)山頂では花崗岩の岩場から宮之浦岳と永田岳の両雄と眼下の花之江河の絶景に下山を惜しみ、花之江河では予約したタクシーの待ち合わせへの時間調整もあり、濡れたテント、寝袋、衣類を乾かしながら、ラーメンの昼食を済ませ、あとはのんびりトカゲを決め込む、といった具合。

        

 下花之江河、淀川小屋を経由して約束より少し前、17時2分に林道終点に到着。気の良い運転手が30分以上も前から待機してくれていた。(コースタイム 分岐9:00→宮之浦岳山頂9:37〜10:15→黒味岳13:00→花之江河14:00〜15:18→淀川小屋16:28→林道17:02)
         (平成2年11月9〜11日の記録)

【後記】屋久島の山々にはいろいろなアプローチのし方がある。登り残した永田岳へは、宮之浦岳との鞍部からの場合、空身の往復で2時間もあれば事足りたかも知れないが、永田の部落から長大なアプローチで頂上に達する方がはるかに有難味がありそうだし、この次2度目に来れば、1度目には目に入らなかった別の側面を見いだすかも知れない。
 もう一つ。山では食べる楽しみが重要だ。天幕を担いでの縦走ではいたずらに軽量化を図るあまり食事にしわ寄せが来がちだが、少々重くなっても食事の内容にはこだわりたい。高校山岳部OBの加藤君から、このことをあらためて教えられた。

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