開聞岳と利尻岳
                挾間 渉
 日本本土最南端の指宿と最北端の留萌周辺で二つのトライアスロンがあり、そのトライアスロンのレース出場にひっかけて、南の開聞岳と北の利尻岳の頂上に立つことができた。今回は列島両端の二つの山の記録である。
 
開  聞  岳
 昭和61年5月24日 前夜高瀬のブルーバードで高瀬夫妻と共に大分を発ち、早朝に登山口に到着。かつて女流アルピニストを夢見たこともある洋子夫人をデポして、空身同然の出で立ちで出発。

 開聞岳は薩摩半島の南端に位置し、標高924m、裾野を拡げた秀麗な山である。終戦後中国で不慮生活を送った百名山の選者が、内地に引き揚げてきて船が日本に近づいたとき、万感の思いを込めて眺めた山である。1000mにも満たないこの山が、名立たる高山を差し置いて、百名山にリストアップされた背景には、単にその整った美しい山容からだけでなく、帰還時に眺めたこの山の強烈な印象があるようである。
                    
        


 さて、裾野の原生林の中の小径をダラダラと登っていく。南国らしく我々には馴染みの薄い草木に、さすが“南国の地”を実感する。25分で4合目。遠望すると草原の山かと思うが、実際にはかなり南国特有の照葉樹の密林帯である。が、所々に切り開かれた展望所?があり、この4合目からは桜島、高隈山、池田湖の展望が良い。

この山の登路は裾野を時計回りに回転しながら次第に高度をあげていくことになるが、6合目を過ぎても低潅木に樹種移り変わるだけで、眺望は悪く単調な登りにややうんざりさせられる。時折り現われる樹を切り開いた休憩所からは、最初池田湖や桜島が、中腹からは南海の大海原が、そして8合目からは再び薩南の山々が見えてくるという具合である。
        

 高度をあげても相変わらずの眺望悪く単調な登りである。「おっちゃん(高瀬)よ、この山は女にたとえて言えばどんな女に見えるか」と僕。「なかなかの美人ですよネ。でも、ただそれだけという感じ」と高瀬の開聞岳評。

 8合目で今日最初の登山者に出合う。9合目では最初のウグイスの声を聞く。8時2分頂上着。麓より1時間半。日本百名山17座目の頂を踏んだ。高瀬の日本百名山行も大体同じくらいだ。「年の割りには、また、日頃アルピニストのなれの果てを自称する割りには、その年でたったそれだけか」などと決して思ってはいけない。入山日数の割に踏んだ頂の数の少ないのは、アルピニストの証拠ともいえるのだ。そんなに慌てて登る(稼ぐ)ことはない。60歳以後のために半分はとっておくもんだ。だけどチャンスがあれば貧欲にでも登りたい。今回も、トイアスロンレース出場のついでに山を稼ぐのではなく、気持ちのうえでは、山に登ったついでにトライアスロンに出場するという建て前論には、あくまでこだわりたいということである。

 頂上はさすがに独立峰のこと故、眺望は抜群である。当然1等三角点と思いきや、2等三角点であった。高瀬と二人の時は(何だかお互い気恥ずかしくて)K・Kコンビ同伴の時のような頂上でのセレモニーはない。

        

 大阪から出張を利用しての登山という御仁に写真を取ってもらい、しばし、薩南の山々や、南西諸島を遠望する。いい眺めだ。明日のトライアスロンレースの会場となる魚見岳も確認できた。天気は上々、明日は思い切りレースを楽しもう(ライバルのチームメイトへのほんのちょっぴりのこだわりを含みながら)。

 事後評として「裏山の雑木林がただえんえんと続いているような感じの山」と手厳しかった高瀬とは対照的に、百名山一覧表にまた一つ○印が増えたことに一応の満足感を得、この山は登頂済みで食指の動かず、トライアスロンのことで頭がいっぱいの栗秋の待つ指宿へと急いだ。(コースタイム 登山口:6:35 2合目6:40 4合目7:00 8合目7:46 頂上8:02 登山口9:30 昭和61年5月24日の山日記より) 


利 尻 岳
 北海道での国内最長のトライアスロンレースに出場し完走した僕の、北海道行きのもう一つの目的は、利尻岳への積年の思いを成就することにあった。北海道のトライアスロンに出場し、その足で利尻をやろうという同種の試みの持ち主は、参加者の中に数人いた。

 トライアスロンの翌日、羽幌からの沿岸バスに乗り合わせたのは、埼玉の西脇さん、それに僕と同じく利尻を目指す田中さん。お二人とも豊富温泉に宿泊し翌日は宗谷周辺を観光しその後利尻、礼文にわたるという。とくに田中さんは日本百名山を目指している。どちらもゆとりのある旅とお見受けした。

 せっかくの北海道だが僕には時間的余裕がない。幌延からJR稚内線に乗り換え豊富温泉までの道中は、芒洋としたサロベツの原野を眺めながら、昨日こそやり遂げたばかりのオロロンライントライアスロン(本誌69P参照)の話題に花が咲き、途中豊富温泉で降りるという二人と別れ、夕方稚内の安宿に投宿した。

 僕にとって最初の記念すべき北海道の山をどれにするか、日程やトライアスロン完走後の体力消耗などと相談した結果、楽な大雪山系旭岳がもっとも手頃であるが、僕の北海道の山に対する思いは利尻であり、日高であり、これらの山への思いはつきない。そこには「北の山の栄光と悲劇」がある。日高は無理にしても、なんとか限られた日程の中でもせめて利尻岳の頂を踏みたい。ということで結局利尻岳に落ち着いたわけである。

 利尻岳の登山口である鴛泊港から山頂往復は行程表によると約7時間10分。稚内港を出た船が鴛泊港に着くのが9時。稚内への最終便は夕方5時。稚内駅発札幌行きのJR夜行便に乗らなければならない僕にとって、与えられた時間は8時間。したがっていつもながらの余裕のない登山を強いられることになる。

       
 
 さて、登山である。8月25日早朝、島にわたる。利尻山頂への期待を込め、レース出場後の疲労感も吹き飛ぶほどに僕の心は高鳴った。登山口となる利尻神社ですれ違った娘さんに道中を確認すると、「甘露泉まで1時間位ですよ。お気をつけて」なんと感じのいいきれいな人だ。今の一言で「利尻、気に入った」

              

 自然休養林を抜けると程なく、この山唯一つの水場・甘露泉水がある。エキノコックス病のことなど(なにかの本で礼文・利尻地方の風土病であると読んだことがある。)が気になるが、長いレースを戦ったあとであり喉の渇きを覚える。「日本最北端の名水」の魅力もあり、口に含んでみる。うまい。水のうまさでは四国石鎚山系土小屋の水が最高と思っていたが、この水もまた格別な味わいがある。
 エゾマツ、トドマツの樹林帯を抜ける。島に渡った時には全山(全島)を覆っていた霧が次第に晴れだした。

        

 潅木帯を抜けハイマツの広々とした尾根に出る頃には陽が射し始めた。4日前北海道の雨の千歳空港に降りたって以来、初めて見る太陽だ。鴛泊やポン山を眼下に見下ろす広々とした尾根を登り長官山小屋に丁度正午に着く。昨夜来小屋泊りの大学生パーティに利尻山頂を背にシャッターを押してもらう。小屋の傍らに石碑があり

  「利尻岳登り登れば雲湧きて 谿間遥けく 駒鳥の鳴く」

と刻まれている。

        

 長官山小屋からは盛りを過ぎたお花畑を左手の斜面に見やりながら、ガレ場を直登すること約1時間で、13時丁度に標高1712mの絶頂に立つことが出来た。

        
 連日悪天候の北海道に来て唯一つの幸運は、山頂到着の前後1時間だけ、それまで山全体を覆っていた霧が晴れ、日本海から北海道北部の全容を明らかにしてくれたことである。何という幸運であろうか?つい一昨日数々のドラマを産んだ、あの全長200kmのオロロンラインを眼下にしたとき、「日本海に沈む真っ赤な夕日」こそ拝めなかったが「北海道・・・来て良かった」という思いを実感するとともに、日本の山岳史上に残る初登攀争いが演じられたことでも有名な仙法師稜、西壁など「北の山の栄光と悲劇」を含んだ岩稜とそのパイオニア達に時の経つのも忘れるほどに思いをめぐらした。

        

 小1時間後、残り少なくなった時間を気にしながら足早に下山し、17時発の最終便のフェリーに乗船。今朝方、島に渡るときと同様、再び雲にすっぽり覆われてしまった利尻岳を何度も振り返りながら、もう2度とくることのないかもしれない利尻島を後にした。(コースタイム 鴛泊港9:10 利尻神社9:31 自然休養林10:04 甘露泉水10:16 長官山小屋12:00 山頂13:00 7合目14:22 自然休養林15:40 鴛泊港16:30 昭和62年8月25日の山日記)

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