念願の台湾 最高峰玉山に登頂するの巻         栗秋和彦

〇きっかけ・・・一昨年の夏、初めて富士山に登った際、お鉢を巡るちょっとしたアップダウンの一歩一歩が鈍重で不思議な感覚に陥った。そして剣ヶ峰直下、馬の背の急斜面では登りのきつさが単なる重力への抗いだけではなく、酸素の薄さに起因することを薄々感じ取ったのだ。今まで北岳や穂高などの標高では感じなかったものが富士山ではかくも影響するのか、高所とはこんなものなのか、と地球を覆う大気の濃淡が及ぼす人間の生理の妙に少なからず驚いた。と同時にこの高さで喘いでいては、4000〜5000mを歩くヒマラヤのトレッキングでは覚束ないぞ!と先々の淡い願望(?)にも一点の懸念を抱かせる山行だったと言えなくもなかった。

そこで標高的にも台湾の最高峰・玉山(ユイサン3952m)が段階を踏む意味でも、海外のエントリー登山として食指が動いた。もちろん唐突な思い付きではなく、遥かいにしえ所属していた山岳会(大分登高会)で先輩たちが、当時としては珍しい海外で合宿を張った山(※1でもあり、気になっていたのも事実。そしてその思いは昨年3月台湾旅行(※2の際、阿里山祝山展望台から、ご来光と伴に仰ぎ見た玉山の雄姿がまぶたに焼き付いたことで動き出し、今回のツアーに行き着いたのだ。縁(えにし)あっての玉山だもの、心して登ろうと思う。

(※1中華民国親善 玉山登山隊報告(1967年2月3~12日 大分登高会々報「登高」第18号参照)670320tokouno16.pdf へのリンク

(※22018年3月4~7日 「阿里山から玉山遠望など台湾縦断4日間の旅」 拙著参照

 

〇玉山登山の仲間たち

 

排雲山荘にて前列左からK野、Y久保、O栗、T井夫妻 後列左からY本夫妻、栗秋、N野、S藤  於:北中正紀念堂にて

ツアー(※3にのっかって参加したため、各地から全部で10名の陣容となった。参加者の平均年齢は外見や雰囲気からして60才台半ばと見立てたが、当たらずとも遠からずか(たぶん)。内訳は成田空港からそれぞれ単独参加のY久保()にN野()の両名。中部空港から岡崎市のY本夫妻。関西空港は岸和田市のT井夫妻に単独参加のS藤)は大阪市内から、京都市からのK野)、O栗()は岡山市と多岐にわたる5名で最大勢力?だ。一方、多勢に無勢は福岡空港からの筆者のみ(笑)。

と都合、二組の夫婦を除けば全て単独参加というところに指向性の強い山岳ツアーの特異性があろう。生来、人見知りにして寡黙な性格(異論もあります・・・笑)の筆者にとって、見知らぬ者同士で隊列を組む登山は若干の緊張を伴ったが、案ずるより産むが易し。目的を一にする者同士打ち解けるのに時間はかからなかった。おっと忘れてはならぬのが、控えめながらも面倒見がよかったH木ツアーリーダー(36才)の存在。仕事と言えばそれまでだが、細かいところまで手が届き全幅の信頼を寄せるに相応しい好青年だった・・・とは解散時のアンケートに記しておいたぞ()

 

総勢11名が織り成す台湾最高峰への山旅はどんな感慨、感想、感激などが待ち受けているのか、ワクワク感は隠しきれなかった。が総じて単独参加の女性陣の闊達さ、かしまし度合いは図抜けていた(と思う)。人見知りなどあろう筈もなく、登山途中もお喋りは絶えず。高度は脚で稼ぐのではなく、会話で登るもの。そんな現実を見せられたのは筆者だけではなかったろう。恐るべし饒舌パワーの威力。静かだったのは厳かな空気に包まれた玉山山頂のひとときだったのみ、と断言しよう(笑)。

(※3アルパインツアー()が主催する 「台湾最高峰玉山(3952m)登頂5日間」 に応募、参加した。

 

〇アプローチ・・・初日、嘉義から阿里山への上り坂途中、およそ1200m付近でチャーターしたマイクロバスが突然エンジントラブルに見舞われ立ち往生。代替のバスが到着するまでおよそ1時間20分ほど車外で待機を余儀なくされた。旅にハプニングは付き物だが、減価償却はとっくの昔に済んだ(と思しき)ヒュンダィ(現代)製のおんぼろバスは見るからに頼りなさそう。ホントにこのバスで2500m上東埔まで上れるんだろうか、との予感が的中した訳だが、なるようにしかなるまい。

  

午後6時ころ標高差2000mを駆け上がる阿里山登山道の中間付近で立ち往生するの図。真っ暗になって代替バス到着!

以降、阿里山到着後の夕食と宿入りのスケジュールが延びたのは当然として、現場は夕闇が迫り霧が立ち込める中、暑くも寒くもなく天候には恵まれたのは救いだったか。(霧で)幻想的な雰囲気の中、幕間を利用して自己紹介など、参加者同士の距離が縮まったのも確か。肯定的に捉えておこう。

 

〇登山初日(登山口⇒排雲山荘)・・・塔塔加(タタカ)登山口(標高2610m)から今宵泊まる排雲(パイウン)山荘(標高3402m)まで距離にして8.5㌔、標高差およそ800mの行程はけっこう長かった。H木リーダーによると「ほぼ水平に山腹をトラバースして最後にちょっと登ります」と気負いはない。信ずれば楽勝の筈だが、ほぼ水平に距離を稼いで最後のチョイ登りが800mはなかろう()、とちょっぴり身構えもしよう。しかし体感的には山腹のトラバースでじわじわと登り、標高を稼いだ感有り。よって最後の登りは額面通り“ひと登り”に間違いはなかった。但し“水平道“もじわじわ登り一辺倒ではなく、適度にアップダウンを繰り返しつつなので、特に初日の登りではちょっとでも下るのはもったいない気がしないでもない。我が心理は実直なものだ(笑)。

玉山への登路絵図(排雲登山サービスセンターのパンフレットより転載)

さて地図を見ると玉山主峰から派生する西の尾根は玉山西峰(標高3518m)から玉山前峰(標高3239m)へと続き、その末端が切れ落ちて塔塔加登山口に繋がっている。よってこの西尾根の南斜面(山腹)を東方へトラバースするコースは、当然のこととして幾重もの支尾根を廻り込み、数多の支沢を渡るので、そのうねうねした登路のひとつ一つの変化が面白い。

そして沢筋は概ね木橋(木道)が設えられ木陰の中を歩き、支尾根を廻り込む箇所は日当たり良好と言ったあんばい。しかし南面山腹コースゆえ、全体として直射日光に晒されるのは致し方ない。快晴の下、日焼け止めをしっかり塗って半袖Tシャツがベストだ。

   

上東埔でバスを降りて登山開始  塔塔加登山口まではワゴンで移動  ガス容器を背負うポーター  南面対岸の山嶺とシャクナゲ

一方、この時期の愉しみは全山を覆うシャクナゲ群落の花の酔いにあった。とは言っても事前に知る由もなく、その意味でサプライズそのものだったが、登山口を発ってほどなく2700m付近から認めはじめ、二日目の標高3600m付近までピンポイントで群落が現れ、ハッと息を呑むこともしばしば。花を愛で、花に癒され、花の彩を記憶し、記録(写真を撮る)を取ることで、登りの疲れは軽減すること請合いだ。その意味では無知とはいえ、たまたまこの時期(のツアー)を選んだ幸運を噛み締めなければなるまい。

 

加えて深い谷を挟み南面に展開する急峻かつ鋸歯のような峰々の景観も見逃せなかった。現地で戴いたパンフレットによると、玉山南峰(標高3844m)から西へ派生した稜線上のピークで主だったものは小南山(標高3582m)と南玉山(標高3383m)らしい。両峰はキレットで繋がり上部はガレ場とも崩壊跡とも見てとれる胸壁が下部の森林帯へ連なり、指呼の距離で迫る。これらと終始、対峙して歩いたが、次第に後方へ遠ざかると相対的に排雲山荘は近づいてこようというもの(当たり前です!)。

とまれ、くだんの稜線上の奥まったところが玉山南峰に違いなく、それを北へ転じれば玉山主峰が見えてくるのは自明。玉山山嶺の奥深く、大峭壁を経て支尾根を大きな廻り込むと、樹林の隙間から玉山主峰が圧倒的高度差で見え隠れしてくるのが分かった。そして時を同じくして頭上に山荘を認めたが、その意外なほどの近さは“ひと登り”にも満たなかったか。それでも登山口から7時間余りをかけて辿り着いた山荘で、先ず抱いたのは安堵感だったに違いない。

    

ハッ!と息を呑むシャクナゲの群落。癒されます  崖を穿った登山道を行く   排雲山荘に到着!    主峰西面の岩壁を仰ぐ

 

〇登山二日目(登頂及び下山)・・・午前2時40分、いよいよ山頂へ向けて出立した。身支度は昨夜のうちに済ませていたので慌てる必要はなかったが、気分的にけっこう慌しかったのは、宿泊した登山客全員(110名余の筈)が同じ行動を取ったためか。周りに遅れてはならじ、と群集心理が働いたのは想像に難くない。時間はたっぷりあるし、天空は月光が淡く照らし風もない。多少の冷気は織り込み済みで、絶好の登山日和に与れたのは幸運と言っていいだろう。昨日と同じ隊列を組み、ゆったりペースで先ずは樹林帯のジグザグ道を登る。見渡せばはるか上方から下部までヘッドランプの灯りが蠢いている。この時刻、ここでは日常的な光景だろうが、その一つひとつが登頂へ期待を背負った灯りだと思えば、おのずと心も奮い立って気合も入ろうというもの(笑)。

さて玉山南峰への分岐(標高3550m)で一本立てひとごこちとしたが、昨日仰ぎ見た玉山南峰へはここから行けるのか、登ってみたいなぁとの思いも刹那湧きいずった。まだ主峰も登っていないのに、欲張り胸算用は承知の上だが、半世紀以上も前のくだんの遠征時(※1、主峰は踏んだものの南峰へのアタックは直下で氷雪に阻まれたと書いてあったか。食指が動くのも道理だ。もっとも今回のようなツアー登山では行程全てに現地登山ガイドの同伴を義務付け、事前の許可も必要とあっては融通など利こう筈もない。分かった上でのつぶやきだったが、ここまで来て主峰だけではもったいないことしきりでしょう。

   

玉山南峰への分岐で小休止    やや明るくなった岩稜を行く 頂に躍り出た瞬間のご来光    山頂碑でご満悦

閑話休題、暗くてよくは分からなかったが、登るにつれ次第にハイマツに似た低潅木(ニイタカビャクシンと言うらしい)が現れはじめ、森林限界が近づきつつあるのは分かった。登路も次第にガレ場化して鎖に導かれ一気に高度を稼ぐと、キーポイントとなる落石避けのシェルターに到達した。鉄骨を組み上げ堅牢な躯体はまさに空中に貼り付いたオアシスの感。よくぞ機材を運び上げ、こんなものを造ったもんだと感心しきり。ここでストックの類いはデポして薄手のダウンジャケットを羽織り、その上にウィンドブレーカーを着こむ。もちろんガイドの指示だが、効果はてきめんにして納得のタイミングだ。と言うのも噂どおり、ここより上部は常に強風が吹き一気に体温を奪うし、三点支持の岩場が多くなり、なるほどストックは邪魔物以外の何物でもなかった。一方で薄明りの中、観察するに全くの断崖絶壁を攀じる風ではなく、手足を使って確実に上れば特に問題箇所はなかった。無雪期なら万人?が登って来れるように、急斜面ながらもよく整備された登路だったのだ。

 

そして頂に歓声が上がり始めた頃、我が隊列もてっぺんに躍り出たが(5時22分)、まさにその瞬間に東部の山嶺から御来光が上がってきたのだ。滑り込みセーフとはこのこと。それまでの歓声が一瞬、静寂と厳かな雰囲気に変り、やがて黄紅色の全容が現れると、再びの大歓声へと移ろいだが、誰彼とはなく祝福の声が飛び交ったのは自然な成り行きだったと思う。惜しむらくは中国語で「登頂おめでとう!」を予習してこなかったこと(※4。周りの大部分の登山者(たぶん台湾人)と喜びを分かち合えなかったのはもったいない気がしないでもなかった。

   

狭い山頂の混雑ぶりはこんなもの 逆さ富士ならぬ逆さ玉山 下山時ちょっとした高度感  落石避けシェルターはこんなところ

が一方でダイナミックな眺望には目を見張るしかなかった。特に至近に迫る玉山東峰への岩稜は両側が屏風のように屹立し、簡単に縦走とは言い難し。二の足を踏みそう。一方の玉山北峰はキレットを隔てて最後の登りが険しそう。いずれも脆く半崩壊状の岩尾根伝いに間違いなく、急峻さに加えて足場の不安定さは容易に察するところだ。(縦走への)興味半分、恐々さ半分が正直な思いであった。とそんな心配よりも足元の主峰も然り。狭隘な上に山荘に泊まった登山客全員がこの頂に移って来たようなもの。寒風に晒されながら己のスペース確保に気を遣ったことも記して山頂報告としたい。

さぁ後は一気、かつ慎重に下山するのみ。明るくなった下降道をつらつら眺めて、おっ!こんなところを登ってきたのかと反芻しつつ、急峻なガレ場をジグザグ状に下ったが、このルートの最大の注意点は落石を起こさないこと。まったくもってこれに尽きたが、浮石がめっぽう多く慎重な歩きを強いられたのだ。その意味で登山者の何割かはヘルメットを被っていたが、その必要性を明るくなってまざまざと感じたのだったね。

さて山荘で小1時間、軽食や身支度を整え、名残り惜しくも下山の途についた。天気は昨日同様に申し分なかったが、今日はやや肌寒く感じられ、長袖Tシャツが似合いだ。もちろん本懐を遂げた足どりは、まごうことなく軽快にして気分揚々。目線は谷を挟んだ南面尾根上のピーク(小南山や南玉山)を追い、やがて背後へと置いていく様で進捗を確認するのもルーチンかな。一方、至近では登りで捉えられなかったアングルの妖艶なシャクナゲ群を発見し愛でながらと、これまた飽きることはなかった。もっとも丑三つ時から行動している身では疲労も溜まっている筈。なかなか辿り着けぬ8.5㌔の長丁場を、うらめしく思ったことも吐露しておこう。

  

ガレ場が続く剣呑な下り 落石注意!       ハイマツ帯まで降りて来た  東埔の車道から仰ぐ 中央の尖峰は西峰、左が主峰

(※4Zhùhè fēnghuì) と言うのかしらん、たぶん。

 

〇登山雑感

①トレランシューズの適否について・・・ 登山口と排雲山荘の往復にトレランシューズを履き、山荘と山頂往復は岩場を想定して登山靴を履こうと目論んだ。しかし天気がよく雨の心配もなく、コース上も乾燥していることと、荷物も軽量だったことから全行程でトレランシューズを使った。結果、快適にして何ら問題もなかったが、軽い分、安全性を削っているということを常に念頭に置いて履いたつもり。日本の春山(残雪期)では考えられないし、今回排雲山荘までの往復にポーターサービスがあり、登山靴を預けられたことが大きい。よって我が登山靴は登山口と山荘の往復、ポーターに委ねられ、頂も踏まず。結果として日本国と台湾間を無為な重量物として往復しただけになった(苦笑)。

 

高度障害の影響について・・・冒頭で触れたように富士山での体験もあり身構えたが、結果杞憂に終わった。もちろん全くなかったとは言い切れないが、意識するまではなかったということ。登頂の前日3400mの山荘で11時間ほど留まったことが、高度順化に寄与したのではないか。そんな思いで勝手に結論づけている。

 

③排雲山荘の居心地など・・・定員116名(因みに外国人枠は26人とのこと)で当日はほぼ満員とはガイドの弁。これを多いか少ないか、混雑か否かは議論の分かれるところだが(シーズン中の富士山や北アルプスの山小屋からするとゆるゆるなのは言わずもがな)、寝床のスペースは充分にあり、比較的清潔感もあって快適な部類だったと思う。但し食事は胃袋に詰め込んだだけ。味覚を含め料理を愉しむような雰囲気ではなかった。それでも登頂後の軽食(麺)は「美味!」と前評判が高かったが、結果はほど遠く評判倒れ。食材・機材など全てポーター頼みの人力で賄っており、微妙な異国の味付けも加われば、食事に期待すること自体が高望みなんだろう。分かっていますとも。

 

④ツアー登山のペースについて・・・外国人パーティには現地ガイドが帯同することになっていて、常に隊列の先頭を歩いた。ペースメイクの役も担っていて、隊列は崩せない。一方で参加者の力量は(たぶん)まちまちである。よって最大公約数的に遅めのペースになろうが、もう少し上がらぬものかと気をもんだ。ペースが合わずエンジン?がかからないまま終わったのが実感だったか。もちろん一人抜け駆けできる筈もなく、これも分かっていながら(苦笑)ジレンマに苛んだことを記しておこう。

⑤それでも全員登頂達成!は麗しきこと・・・なんだかんだ言っても怪我もなくツアー参加者全員が頂を踏み、所期の目的を達成できたのは掛け値なしに喜ばしきこと。一人でも欠ければ三日目以降の旅の雰囲気も大きくトーンダウンするは必定。打ち上げもおおっぴらにはできないし、ツアーそのものの成否にも拘ろう。その意味で冒頭でも触れたが、春木ツアーリーダーのサポートは秀逸かつ的確であったと思う。寄せ集めの隊をよくぞ引っ張ってくれたし、全行程で一体感を創り上げてくれたくれたものと思っている(とアンケートにここまでは書かなかったけど・・・笑)。

〇行程 

4/23自宅635(タクシー)⇒門司駅640 59(JR〜地下鉄〜連絡バス経由)⇒福岡空港840 1055(CI 111便)⇒台湾・桃園空港(時差:日本⇔台湾=+1時間) 1230 1340(マイクロバス・嘉義経由 阿里山登山道の標高1200m付近にてエンジントラブルで立往生。約1時間20分後代替バスに乗り換える)⇒阿里山 2020 (夕食) 2113(マイクロバス)⇒宿2120               阿里山・高山青(ガオサンチン)大飯店泊 

 

4/24阿里山 (宿) 800(マイクロバス)⇒上東埔(トンプー)835 45→塔塔加(タタカ)警察にてパスポートチェック852 56(ワゴン車)⇒塔塔加(タタカ)登山口903 14→猛禄亭(モンルーティン)1006 20→玉山(ユイサン)前峰登山口1049→白木林(パイムーリン)展望台(昼食)1212 1300→大峭壁1410 25→排雲(パイウン)山荘1532 1605→西尾根の展望地1614 21→排雲山荘1628                     排雲(パイウン)山荘泊

 

4/25起床130排雲山荘240→玉山南峰分岐320 26→玉山主峰524 45→玉山南峰分岐650 55→排雲山荘718 819→白木林展望台1004 18→猛禄亭1149 1200→塔塔加登山口1243 1305(ワゴン車〜上東埔乗り換え〜マイクロバス)⇒塔塔加ビジターセンター(昼食)1330 1430(新中横水里玉山線〜南投市〜新幹線台中駅経由)⇒台中・宿1802                      台中・兆品(ザオピン)大飯店

 

4/26宿820(マイクロバス・新竹S.A休憩)⇒台北・陽明山中腹の北投温泉1055 1151(マイクロバス)⇒台北市内(昼食~買物)1227 1505(マイクロバス)忠烈祠1530 1630(マイクロバス)⇒龍山寺1655 1723(マイクロバス)⇒宿 1740 夕食は市中へ 夕食後近くの寧夏夜市を冷かして帰宿   

台北・皇家季節(ホンジャーシィジェ)酒店泊 

イメージ 6   

熱く硫黄臭のする北投温泉共同湯の露天  忠烈祠衛兵交代式  台湾で最も古く格式高い龍山寺    寧夏夜市を冷かす

 

4/27宿800(マイクロバス)⇒故宮博物院822 1035(マイクロバス)⇒台北市内(買物~昼食1100 1210(マイクロバス)⇒中正紀念堂1229 1303(マイクロバス)⇒桃園空港1353 1640(CI 116便)⇒福岡空港(時差:日本⇔台湾=+1時間) 2000 30(連絡バス〜地下鉄〜新幹線〜JR経由)⇒門司駅2133 40(タクシー)⇒自宅2145

   故宮博物院外観2景            蒋介石を祀る中正紀念堂は台北の中心地に威風堂々 

(平成3142327日)