‘18年2月 積雪期西中国山地(小五郎岳〜安芸冠山)縦走の巻 (1)速報!(おゆぴにすと掲示板へ)
![]() ![]() ![]() 小五郎山への登路2題・・・さぁ山頂と思いきや奥深く、なかなか辿り着かない ようやくの小五郎山の頂にて そんなこんなで簡単に登れるつもりの小五郎山になかなか辿り着けないもどかしさを途中、何度も味わったが、次第に「この縦走、一筋縄ではイカンなぁ!」と思いいずる羽目に。幸いにも天気は高曇り、雨(山は雪)の予報に反し何とか持ちそうだし、視界もそこそこ。しかし尾根上は疎林が邪魔してすっきりした展望は臨めない。それでも細長い小五郎山の山頂からは遥か山嶺の先に、安芸冠山がちょこっと頭をのぞかせて、「ここまで来れるかねぇ?」と囁きかけているかのよう。よ〜し、目標物(山)は捉えた。が先ずは目の前、谷を挟んで容谷山を擁する南北に延びる尾根まで、如何にスムーズに到達できるかが第一関門だ。 小五郎山の頂から先は期待していたトレースはなし。まっさらな雪面を踏み締めながら北へ向かうが、東側は小ぶりな雪庇が延々と連なっていて、部分的には庇の上部に亀裂が入っている箇所もあってスリリングだ。しかし昨春の上蒜山尾根のそれに比べれば庇も亀裂もスケールは小さく可愛いものよねぇ(庇に近づく愚は取らないにしても)と一人ごちる。やがて北東へ向きを変えると一気に下りはじめ、ドスンドスンと体重をかければ膝上まで潜ることもしばしば。登りには使いたくないコースだ。でけっこう脚を使い、距離の割には時間もかかってカリマタノ峠に降り立ったが、容谷山尾根への登り返し(でのズブズブ)を思うと少々難儀なのは相棒殿も同じに違いない。 ![]() ![]() ![]() 小五郎山の頂から遥か安芸冠山を遠望 小ぶりな雪庇を見遣りながら北へ向かう 潜りながらカリマタノ峠へ下る さぁ小憩後、杉林の急登わずかで911mの台地に出て、容谷山方面の視界がちょっと開けたが、既にフーフーの体。後は大小4回ほど尾根のアップダウンを繰り返し、ガッーと下ったところが容谷山稜線へ一気に突き上げる最後のコル。がここからが潜って潜って潜りどおしの三拍子。たまらず先頭を交代して貰い、追随する場面も。這う這うの体で稜線に辿り着けば、もう16時半近くとあって、どちらからともなく「ここでテント張ろう!」と。計画ではこの先の藪ヶ峠付近としていたが、もはやこれまで異存などあろう筈もなかったのだ。 久し振りの雪山、昨春の蒜山(ひるぜん)山行からして、今回もズブズブ歩きを予想してはいたが、辛さは殆ど忘れかけていたものね、うぐうぐ。とまれ早く設営を終え、テントに潜り込みたい気持ちは同じとしても、相棒殿はテントの張り綱をしっかり固定した上で(これは分かる) 周りに雪のブロックを積み上げ風除けにしたいと言うのだ。設営訓練ならともかく天気は明日、明後日とも穏やかな日和を予測しており、いくら何でも防風壁はいらんやろう、と筆者。加えてこのテントはカラコルムの難峰・シスパーレ(※)でも使った高性能な代物である(相棒談)。「6600bの最終キャンプでも防風ブロックは積み上げんやったのに!」と訴えると、さすがに諦め表情に変わり、こっちは安堵した一幕も。 されどテント内は天国。飲食共に進み、小世界のひとときをまどろんだ。殆ど風はなく、夜半テントから出ると満月が煌々と雪稜を照らし、幻想の世界へ誘われたのだったね。小用を果たすにはもったいないくらいのシチュエーションだったけど。 ![]() ![]() ![]() 峠から登り途中、小五郎山が大きく視界に 容谷山への分岐稜線にテントを張る 夕餉は挟間家特製の具だくさんの鍋 (※) カラコルム山脈の標高7,611mシスパーレ峰の登攀ドキュメンタリー(NHK BS1で2/3放送) 日本を代表するクライマーの平出・中島両氏が標高差3,000mの垂直の氷と岩の絶壁に挑む様は、圧巻の一言。 (行程等) 行動時間 6時間42分 天気 晴れ時々曇り(稜線上は時々小雪) 門司(自宅)7:00⇒(車・北九都市高から九州道〜中国道六日市I.C経由)⇒向峠小五郎山登山口(標高386m)9:19 45→小五郎山登山口10:14 18→小五郎山(1162m)13:00 15→カリマタノ峠(878m)14:20 30→最後のコル15:20 30→容谷山分岐稜線(1018m)16:27 (テント泊) 歩行距離 9.6 km ●挾間記(2018/02/25分) 若いころは中国地方の積雪期の山と言えば、その雄・伯耆大山がまず一番に、続いて、その東の雄・氷ノ山・・・この二つの山しか思い浮かばなかった。氷ノ山は九州からは少し遠かったし、それよりも先輩たちがヒマラヤ遠征のトレーニングに合宿を張った山ということで豪雪のイメージとともに、少し敷居が高かった。結局、中国地方の冬季の山としては伯耆大山が、手近にアルパインを実践できる格好の試練場として足繁く通った時期があった。 ![]() ![]() ![]() ![]() 朝日を浴びて出立準備 まだ雪は締まって快調 迷いながらも藪ヶ峠へ到着 右谷山への登りで挟間のワカン補修 右谷山への登りもけっこう潜りながら喘いだ。時間が経つにつれ雪面が緩むのは致し方ないが、気まぐれにズボッと入るのはロシアンルーレットみたいなもんじゃな、と感心している場合ではなかったか、フーフー。この登りで相棒殿の右足ワカンのベルト付け根が切れかかり、グラグラ状態で補修を余儀なくされたが、よく見ると左側も危なっかしい(道具の性能やメンテナンスにこだわる彼としては珍しいこと?)。加えて二日目に入り彼の体調も思わしくなく、胃痛と相俟ってエネルギー補給もままならず。ペースが落ちるのは仕方ないにして、藪ヶ峠から2時間余りも要してようやくの右谷山到着。何の変哲もない頂だが、コース全体の中間地点でもあり、重要な通過点なのだ。 一方、この頂で顔がほころんだのはここからはスノーシューのトレースがあったこと。潜らないし、ルート探索も要らない。もっともミスコースへ誘導されることも有り得るが、ここは全幅の信頼を寄せてなぞったのは言うまでもない。精神衛生上好ましいし、現金にも意気軒昂と化す。しかもミノコシ峠まで下りズンズンである。がトレースは峠から寂地峡へ下っており、これ以上はなぞれない。昨日か一昨日辺り?で寂地峡からこの峠を経て右谷山を往復しただけの足跡だったのだ。嗚呼、ひとときの享楽も愉しからざる時、足早に来るである。峠からすっくと延びる雪尾根はまたまた無垢の世界を装い、しかも上りへと付き合わなければならなかったが、恨めしそうに見上げたことを忘れやしませんぞ。 ![]() ![]() ![]() ![]() 全体の中間点、右谷山に到着 錦岳への稜線で南面が開けた 錦岳から一気に下る 静寂のミノコシ峠で大休止 それでも地図で見るかぎり、昨日のカリマタノ峠や今朝の藪ヶ峠からの登りに比べると、寂地山方面への登路は等高線も緩く、標高差も小さい。天気も快方へ向かいつつあり、ここは慌てず急がず倦まず弛まずの気持ちで行こうや、と相棒殿との目配せも忘れないように心掛けた。そんなこんなで途中、ミスコースもあったが、1309mの台地・西寂地山を踏み、犬戻峡分岐 (筆者は今回で四回目の通過となったが、雪尾根というよりもだだっ広い雪原の趣だった。無雪期とは大きく様相が違った) もちょっと立ち止まっただけで、寂地山まではわずか、広い尾根を潜りながらも何とか到達だ。登山口の向峠(むかたお) 集落からすると、遥かなる山、区切りの山で、かつ山口県の最高峰だもの、それなりの感慨はあったが、それより足取り重く、時々吐き気を催す相棒殿の体調面が気になって、浮かれた気分にはなれなかったのも事実。陽はまだ高いが、早々の幕営地探しが暗黙の了解事項だったと思う。 結局、山頂から東へ延びる稜線上を30分弱歩いたところ、広い尾根のやや南側の窪地、自然林と植林の境界付近を今宵のキャンプ地と定め、バタバタと設営して転がり込んだ。が会話は湿りがちで夕飯も食は細くと、ちょっと心配はあれど、明日はひとっ走り(※)で最後のピーク・安芸冠山である。後は下山するのみじゃないか・・・と明るい未来?づくりに努めたつもり。おっとしかし筆者も疲れを感じない訳ではなく、己に言い聞かせていたような気もする。そして19時過ぎにはシュラフに潜り込み、うつらうつらと長い夜を迎えたが・・・下界では殆どないほどホント長かったなぁ。 ![]() ![]() ![]() ![]() 西寂地山付近を行く 犬戻峡分岐は広い尾根の一角にあった 区切りの寂地山に到着 テント場を探して東尾根を行く あっ、しかし今宵の悶々も、再びテントの縁でカラコルムの難峰・シスパーレ繋がりで申せば、そして全く次元は違うものの、6600bの最終キャンプで暴風雪に苛まれ一睡も出来ぬシチュエーションに比べると、何ちゃない夜なんだけどね。こっちの難儀は2回も3回も夜中に小用を果たすため、もぞもぞとテント退出入を繰り返すことぐらいだもの。今宵も煌々と輝く満月を仰ぎ見るご褒美はあったが、やはり何回もトイレで起きたくはないからねぇ。 (※) 95年6月、長男・寿彦と犬戻峡から寂地山に登り、(小走りの記憶はあるが)その足で冠山まで往復した。その時の記録を見ると、寂地山から冠山まで往路49分、復路42分。指呼の距離の筈だったのだ。 (行程等) 行動時間 7時間28分 天気 薄曇りのち晴れ キャンプ地5:30起床 7:28→藪ヶ峠(943m) 8:30 32→右谷山(1234m) 10:43 48→錦岳(1260m) 11:05 09→ミノコシ峠(1130m) 11:27 48→西寂地山(1309m) 13:35 40→犬戻峡分岐(1278m) 13:48 52→寂地山(1337m) 14:02 19→寂地山から東尾根上700b地点(1300m) 14:56 (テント泊) 歩行距離7.3 km ●挾間記(2018/02/26分) 昨夜は容谷山分岐からわずかに容谷山寄りの稜線上にテントを張った。もちろん常法通り踏み固め、スコップで高低を均し、ビニールシートを敷いた上からテントを張り、竹ペグを埋め込んで張り綱をし、四隅もペグで固定した。昨晩から今日明日のこの山域は好天が予想されていた。テントはエスパースのゴアライトエックストレック・・・ヒマラヤの8000m級の前進キャンプにも使用される“すぐれもの”だから、せっかくスノースコップを持参したものの、防風壁までは必要ないだろう。4〜5人用のゆったりとしたスペースの中で、鍋を囲んで(といっても二人きりだが)近況話に花が咲いた。 ニラ玉子雑炊の朝食を終え、いざ撤収の段になって埋め込んだ竹ペグを掘り起こそうとしたものの氷結したため掘り起こせない。今回ピッケルを持参していないため、やむなく竹ペグは残置。四隅に埋め込んだペグでさえ取り出すのに相当難儀した。午前7時半いきなり輪かんじきを着けて出発。朝の雪面は表面がしまっているが、つぼ足だと膝まで埋まる。雪面の状況は輪かんじきが一番能力を発揮できる雪質だ。全てが落葉した樹林ごしに右谷山を見やりながら一定のリズムで前進する。尾根は全体になだらかだから分岐の箇所では注意深さが必要だ。藪が峠への下りでルートミスして15分のロスを出した。 右谷山の最後の急登付近では、長年愛用してきたアルミ輪かんじきの登山靴を固定する布地部分が一部断裂し、細引きで応急処置をする破目に。この輪かんじきは昭和47年にサニースポーツで購入し、昭和47年冬の穂高合宿で最初に使用したもので、釜トンネル出口の新雪のラッセルで活躍して以来だからもう46年目になる。無理もない。「最後まで持てばよいが」とひたすら祈るのみだ。右谷山の急登も含め今山行では先輩を慮ってか、相棒栗秋が終始先陣で切り開いてくれる。本来、先頭交替しながら高度を稼いでいくのが、暗黙の了解事項であるべき筈だが、荒い息遣いながらもただひたすら黙々と高度を稼いでくれる。ありがたいことだ。 右谷山山頂には、小五郎山々頂以来“久々”の人の気配すなわちスノーシューの轍があり、寂地峡分岐となるみのこし峠までのわずかな距離、トップはいくらかラクができたようだ。が、それも束の間、再び動物の足跡だけの世界に。みのこし峠から先は高度が高くなるにつれて一面ブナの世界になり、そしてそれは冠山までずっと続いた。この頃から疲労が増してきて、やわな胃袋は食い物を受け付けそうになくなったが、カップ麺にお湯を注いで無理やり胃袋に詰め込んだ。 だだっ広いブナ林の尾根・・・中国山地では著名な寂地山のことだから犬戻峡分岐までたどり着けばトレースはあるだろうと思ったが人のにおいが感じられない。雪の西中国山地の真っ只中、静寂の中に身を置く喜びを求めてきたのだから、有り難い筈なのに、何か拍子抜けの思いはぬぐえない。それでも寂地山の山頂を過ぎるとスノーシューや輪かんじきのトレースがあった。どうも冠山からのピストンのようだ。寂地山から冠山までの間は随所にブナ林の中の広大な雪原が現れる。トレースも思い思いに試行錯誤しながらルート選択している様であまりあてにもできない。それよりもやわな身体には限界が近づいてきた。寂地山と冠山との中間点付近の鞍部にテントを張ることにする。 ここまで来れば、何となく人里に近づいたような気分だが、そうでなくても、テント、食糧、炊事道具、燃料、寝袋を携えているということの絶対的な安心感は、「登山は自己完結」と常々思う筆者にとって面目躍如の時でもある。この夜は体調不良のため、相棒が豊富に用意した食材や酒肴に大して手をつけられず、食欲旺盛な様をただただ羨ましく見つめるのみで19時過ぎに就寝。 C 最終日(2/27)・・・5時50分起床、テント内のペットボトルも凍るほど冷え込んだが、天気は快晴。 もどかしくも忙しげに出立準備を整えて7時52分発。ガチガチの踏跡 (寂地山からスノーシューのトレース有り) をなぞり先ずは冠山・松ノ木峠への分岐を目指した。それもどこを通っていいのか分からないほど、だだっ広い尾根がつづき、トレースがなければ思案しそうな箇所も多々あり。裏を返せば楽チン至極。しかしこれも迷走しばしばで、まるっきりの信用はできない。しばらく東進すると、谷を挟んで目の前に冠山の頂稜部が迫った。ならばコースは南下の筈。ふむふむ地図どおりのトレースだぃ、と信用してズンズン進むと、今度は西側の谷が迫ったところで途切れてしまい、その辺りを右往左往してお茶を濁している?じゃないか、ブツブツ。 ![]() ![]() ![]() ![]() 三日目の朝、しんしんと冷えた トレースを頼って東尾根を行く 谷を挟んで冠山の頂が見えた 広い尾根を彷徨する トレースも方向性が定まらないし、一方で後ろからは「ちゃんと地図を読めよ!」とひ弱な?声で檄を飛ばすおじさん一人。まさに迷走かつ珍道中の様相を呈しつつ、何とか分岐とおぼしき(トレースの)クロス地点を発見してホッとしたが、ここまでで既に55分ほど費やす羽目に。昨日の寂地山頂からだと1時間20分余もかかったことになり、23年前(95年6月) とはあまりにも違う所要時間に戸惑いしきりでもあった。 それでも後はゆるっと下って最後の登りもちょっとの辛抱で山頂だ、と言い聞かせながら進むもすっかり緩んでしまった雪には手を焼いた。特に頂上直下の急坂は潜り潜ってちっとも進まぬ。目の前に頂稜台地が見えているのに辿り着けぬもどかしさを、この時ほど感じたことはなかった。蟻地獄の如く、非力さを思い知った最後の登り、ヒーヒーハーハーの体とはまさにこのことだったか。 そして最終目標の安芸冠山には寂地山から起算すると2時間20分余を費やし、這う這うの体で辿り着いたが、山頂はいたって穏やか。空は広く晴れ渡り、二人だけではもったいないほどの天気と空間を占有しつつ、日向ぼっこと決め込んだ。もちろん目の前の眺望も伸びやかで、主に東面から南面の眺望を愉しんだ。名も無き?山嶺の連なりを見遣り、眼下の谷には中国道が東西に走っている。そしてその視界の先にゴールの吉和SAらしき広場を認めれば、距離と時間を値踏みするのもルーチンの一つだ。と言うのも初日のテント場以降、二日振りにネットが繋がったこの山頂で、高速バスの時刻を知り得たばかり。射程内の深谷PA行きは12時43分発、逃せば2時間半後だ。あと2時間20分余りの猶予とあらば、充分到達可能だが、忙しげな下山風景を思い浮かべては苦笑いするしかなかった。 ![]() ![]() ![]() ![]() 南北に細長い冠山の頂稜を行く 冠山の山頂にて2題 下山後、六日市温泉でまどろむ さて下りは堅牢かつ国道並のトレースに導かれて迷うことはなかったが、なおも吐き気を催し絶不調の相棒殿を追い立てる訳には行かず、時間との競争に。そしてそれもギリギリ定刻の1分前に到着し、益田行きに間に合ったことはこれまた速報で触れた。まさに手に汗握る乗車劇だったが、終わりよければ全てよしだ。相棒殿も幾分なりとも安堵の表情を見せ、長大縦走の達成感も滲ませている。 一方で都合二泊三日、延々27`にも及んだ山旅も、わずか13分のバス旅で振り出しに戻るのは心残りの感無きにしも非ずだ。しかし深谷PAが近づくと、バスの車窓いっぱいにガッシリとした男性的な山容を認め期せずして歓声が上がった。登ったからこその感慨、それを帰りのバスの車窓から(旅を) 振り返りつつ仰ぎ見るのも悪くはない。山名とは似ても似つかぬ小五郎山の雄姿であったが、西中国山地随一と言っても言いほど雄大な山容は雪をまとい、標高以上に高峰たる威厳をも併せ持って迎えてくれたのだ。筆者にとって全く無名だった小五郎山だが、まさに西中国山地国定公園の西の端を締めくくるに相応しい山。この時期にもう縦走することはないかもしれぬが、そのあっぱれさに恐れ入りつつも、数々の思い出を携え、無事山旅を終えたことを喜ぼう。山の神や天候、それにお膳立てをしていただき、不本意ながらも頑張ってくれた挾間兄にも感謝だ。 (行程等) 行動時間 4時間50分 天気 快晴 キャンプ地5:50起床 7:52→冠山・松の木峠分岐(1261m) 8:46 9:10→安芸冠山(1239m) 9:44 10:20→新しい林道を横断11:05 13→林道出合11:40→潮原温泉(624m) 12:00→吉和SA(646m) 12:42 43⇒(高速バス)⇒深谷PA12:56 13:09→向峠小五郎山登山口13:16 33⇒(車)⇒六日市温泉入湯13:55 14:47⇒(車・中国道六日市I.C〜九州道〜都市高速経由)⇒門司(自宅)17:03 歩行距離10.1 km 車の総走行`328`(門司自宅始終着) |