吉和冠山
登山期間:2015年2月20〜22日
メンバー:安東、足立、三代、水原、挾間、首藤

吉和ICから一般道に出て、運転中の車窓越しに一瞬まみえた冠山。
冠山の全容を見たのはこの時だけに終わった。

 冠山と名のつく山は、中国山地の広島県内だけでも六つもあり、今回登った山の正式名称は冠山(1339.0m)だが、他の冠山と区別するために、リーダーの安東さんが使った吉和冠山あるいは安芸冠山というふうに、地名を冠して呼称しているようだ。ちなみに、「中国・四国の山」(ヤマケイアルペンガイド)では、安芸冠山としていることから、後者の呼び名の方が一般的らしい。

 さて、2月の定例山行は当初、伯耆大山であった。ところが、2月21、22日はあいにくの悪天が予想され、特に22日は春一番による台風並みの強風雨(大山の標高1500mで25m/sec以上)との予想に「当山岳会のレベルでは無理」との判断になった。これは当然の決断だろう。

 代替の山として十方山が提示され、この山域に疎い筆者は出張中に山の概念を一生懸命頭に叩き込んだのだが、出発当日には吉和冠山にさらに変更となった。計画の二転三転に、翻弄される戸惑いがなくはなかったが、リーダーが「悩みに悩んだ」結果としての決断だから、尊重してやらねばなるまい。

東尾根からのアプローチ 
   山陰の雪山と言えば若いころ、伯耆大山と氷ノ山しか眼中になかった筆者にとって結論から言って、山陰の雪山再発見と言えるほど味わい深い山登りを体験することになった。

 とりあえず東尾根とでも仮称することにする今回往路として辿ったコースは、潮原の集落を過ぎてすぐの林道分岐から、取り付いた。もちろん、一般登山道などではなく、多量の積雪がある冬ならばこそ岳人にルートを提供する尾根道だ。地図と磁石と、経験則に裏打ちされたルートファインディング能力とでも言おうか、踏み込めば、ある意味「山ヤとしての能力」が問われる、と言っても言い過ぎではないコースだ。

  
  のっけから膝までのラッセル        ワカン履いてピーク898.6mをまず目指す

 実際、取り付いてみて標高898.6m三角点、906mの独立標高点、1129mの独立標高点など、いくつかの重要なピークの確認、1129mピークから幕営地となる一般登山道との合流点までは、節目節目でルート確認に気を使った。幸い、この日は尾根の見通しがわりと良く、コースミスなどなく順調だった。

  
             我々パーティ6名だけ 静寂な山を独占

 ベースキャンプ設営予定地まで全体として森林帯のなだらかな尾根、距離にして2.5km、標高差700m、緩傾斜、急傾斜、小さなアップダウンなど繰り返しながらの登高は“山陰の雪山”低山の魅力を十二分に堪能でき、新鮮な約4時間だった。

輪かんじきとダブルストック
 東尾根には前述したように、汐谷沿いの一般登山道となる林道を進み、最初の分岐を“取り付き点”と見定めた。のっけから膝までのラッセルを強いられ「男は50歩、女は25歩で素早く交替!」との号令どおり、ツボ足での悪戦苦闘のラッセルで200mほど進んだところで輪かんじき(以下ワカン)を付けた。

 雪質は、パウダーでもなくシャーベットでもなくその中間くらいか。ワカンだとわずかに埋まり、ツボ足だと踏み抜いて膝上まで埋まってしまう、・・・ある意味ワカン装着の威力を最も発揮できる条件だったように思う。それに加えて、ストックに付けたスノーリングもそうだ。普段、ストックはあまり使わないが、荷を担いでの急斜面のラッセルとなると、膝には随分堪えるし、アルバイト量も半端でないので、スノーリング付きダブルストックを使ってみて、膝及び大腿筋への負担軽減を実感した次第。

 今回、メンバーの一人がワカンを持参しなかったこともあり、ワカン使用、不使用、スノーリング付ダブルストック使用、不使用という、比較対照区の両方を実体験してみて、これらの威力に意を強くした。

地図と磁石 VS スマートホンGPS
 道なき道を探る場合、現在地確認と方向見定めのための地図と磁石は必携品だ。しかし、現在地をピンポイントで知りたい場合、地図磁石だけでは不安だ。雪山のホワイトアウト下では地図と磁石にどれだけ信頼性が置けようか。天性の方向感覚や動物的本能には自ずと限界があろう。そんな時にスマートホンGPSや、これに地図ロイドやカシミール3Dを組み合わせることによる現在地確認は、今では雪山に欠かせぬアイテムになっている。今回はアナログ派・安東リーダーとデジタル派・筆者の、それぞれの“特技”を活かしたルートファインディングの、言わば“コラボ”(勝手にこう思ってるだけかも)で、特に難儀をすることなく東尾根を突破できた。

  地図を取り出し方向を見定める
気の抜けない瞬間だ。判断がパーティの命運を左右することだってある。

 筆者はスマートフォンGPSと地図ロイドの組み合わせを決して過信してはいない。冬山の低温下では下界ほどにはサクサクと動いてはくれないし、電池切れということもある。それらの欠点を熟知しておかねばなるまい。結局のところ近代兵器は、地図磁石を補完するものとして使う時、これほど強力なアイテムはない、ということだろう。やはり大前提は地図と磁石の携行ということだ。

BC設営
 雪山とはいえ山陰の低山なので、テントの補強は竹ペグ程度で充分かと思ったが、共同装備に雪スコップ2丁とあったので少々大袈裟な感じがあった。リーダーの意図は、予想される強風もさることながら、雪山で幕営する以上一通りの体験をさせてやりたいとの思いが強かったのだろう。

  
   地ならしと雪ブロックにより防風壁建設…身体が結構温もる

 先ずは皆が横一文字に勢ぞろいして肩を組んで前進し、雪を踏み固め、次に雪ブロックをスコップで切り出し、周囲に積み上げる・・・決して上手とは言えなかったが約2×4mを整地し、エスパース4-5人用2張りを何とか張り終えた。要領の良し悪しも、ひと通り“ベースキャンプ”設営完了の頃には上達し、次のこの機会に生かされるだろう。


 
   BC建設を終え、頂上“アタック”前、勢揃いした緑の“精鋭5名”(首藤さん撮影)

頂上アタック
 山頂への“アタック”の出発前、“BC”に勢ぞろいした大分緑山岳会の“精鋭”5名が記念写真に収まった。ここは一般登山道汐谷コースとの合流点だから、ここからは大勢の登山者に踏み固められた約1kmほどの雪道、標高差にして220mの登りで山頂なのだが、いったんゆるんだ緊張感を取り戻すのはなかなか大変。頂上直下の雪面の急登など随分と長くかつしんどく感じたのは、皆同じだろう。約45分の所要で冠山山頂着。時に14時29分。東尾根の長い道なき道をルートファインディングしながら辿りついた山頂だから感慨もひとしおと言ったところだ。

 冠山頂上直下最後の登り

 
   冠山山頂にて(首藤さん撮影)

幕営の醍醐味ここにあり
 2張りのテント、すなわち同型同色のエスパースマキシムナノ(以下ナノ、会備品)とエスパースマキシムエックス(以下エックス、挾間個人用)、いずれも4-5人用(2.1m×2.1m)、前者に女性4名、後者に男性2名が陣取ったのち、まだ明るい16時、エックスに全員が集合し、楽しい夕餉のひとときが始まった。食当(食事当番)の水原さんが用意した鴨葱鍋をつつきながら、話が弾み、担ぎ上げた菊水上撰900mLと智恵美人500mLは瞬く間になくなった。山の話やそれぞれの来し方行く末など悲喜こもごも、笑いあり涙ありの数時間。楽しいひととき、我々だけの何の遠慮も要らない時間、歓声が山域一帯にこだましたことだろう。

  
   鴨葱鍋と燗酒で盛り上がる…これぞ冬山の醍醐味

 苦労して担ぎ上げたテントや食糧、酒・・・道なき雪尾根をこの時期に辿ることにリスクはあっても、担いでいる荷はそれを上回る安心感を与えてくれる。そして小さなテントの中での賑やかな語らいのひと時は、たとえわずかな時間でも、岳人の連帯意識というか一体感を醸成するに十分な時間だ。雪山での鍋を囲んだ語らいのひと時・・・筆者はここに登山の原点がある、と素直に思う。

エスパーステント・・・ナノとエックスの差
 興奮冷めやらぬ中ではあったが、20時少し前、賑やかな老々男女はそれぞれのねぐらに帰って、山は元の静けさを取り戻したかに見えた。“事件”が起きたのはその直後だった。夕餉の支度が始まるころから降り始めた雨は次第に強くなってはいたが、エックスの中は快適だった。しかしその間にお隣のナノは天井から滴り落ちる霧雨状(足立SL談)の雨水で、すでに水浸し状態だったらしい。悲鳴を上げた女性陣4人がシュラフとマットを抱えて男性用テントになだれ込んできた。男性2人と70Lザックや炊事道具などの隙間に4人が入ったかたちの総勢6名は、まさにすし詰め状態。寝返りすら打てない状態のまま、長い長〜い夜が始った。

 決して先住権を主張したわけではない男性2人の隙間とはいえ、後から入って遠慮がちな女性4人は、さぞかし辛く長い夜になったことだろうと想像するが、彼女らはほとんど微動だにせず静かに朝を迎えたから、“女は忍耐強し”を目の当たりにした感じだ。

 
  左:エスパーステント 手前がマキシムエックス、奥がマキシムナノ
   右:6名が一張りにギュウギュウ詰めに…朝まで身動きできず


 さて、どうしてそういうことになったのか…ここはこの項のタイトルにあるようにエスパーステントマキシム“ナノ”とマキシム“エックス”の違いなど、多少記載はしづらくても検証はしておかなければならない。ナノは購入後2年ほど、製造元のヘリテイジHPによれば、オールシーズン用と謳い「超撥水性、耐雪性」を有するとしながらもちゃんと「降雨季に使用するにはフライシートが必要です。」と注意書きが記載されている。何とも微妙な言い回しだ。これでは中国地方の標高1000mの冬山はフライシート併用に該当しないとも受け取れる。一方のエックスは使用歴6年ほど、「従来のテント用ゴアテックスと同等の耐久性を持」つ新素材、X-TREKファブリクスのシングルウォールテントで「フライシート不要」とメーカーも自信を持って明記している。

 そもそも山陰の2月の標高1000m級の稜線が、雨に見舞われるというのは想像しがたい。ナノでもまったく問題あるまい、と考えたところに多少の誤算があった・・・というか、春一番の強風を恐れはこそすれ、気温の上昇イコール雨と想定していなかったのではないか、だからこそ装備表に「ザックカバーは不要」いう記載にもなった。

 ところが、気象予報では1週間前から直前まで21〜22日は春一番の雨と強風と気温の上昇、標高1000mでも6〜7℃と予想されていたから、降るべくして降った雨だ。もっとも、リーダーは、予想された雨さえも貴重な体験として甘受しようとしたフシがある。さて本当のところどうなのだろう。

 いずれにしてもテントの防水性の劣化などの問題ではなく、ナノの撥水性を過信した結果だろう。2張りともナノと同素材のテントだったら、と思うとぞっとする。今後に大いなる教訓を与えた“事件”であった。

山を去る
 東尾根での歓声、BC設営の歓声、頂上での歓声、テント内での夕餉のひと時の賑わい、雨漏りという想定外の出来事に見舞われての喧騒・・・と、何かと騒々しかった昨日が明けて22日、一晩中降り続いた雨がいくらか小康状態になった午前6時前起床。装備の多くを濡らしてしまった女性陣は、隣のテントとの行き来の際可哀そうに、冷たい雪面を素足で、という有り様だ(予備の靴下を濡らさないため)。

 それでも昨晩の鴨葱鍋の残りに蕎麦麺を入れた朝食を皆美味しく平らげた。午前7時48分慌ただしくパッキングを済ませBCを出発。下山路は汐谷沿いの一般コースに採った。大勢の登山者に踏み固められたトレールも昨日来の雨と気温の上昇により、ツボ足では思うように歩きづらく、すぐにワカンを装着した。

  

 雨は小降りながらも降り続いた中ではあったが、パーティ皆が昨日の得難い体験の余韻に浸るかのように、一様に朗らかに軽やかな足取りで下って行く。30分ほど下ると沢筋が明瞭となり、流れに導かれるように沢沿いの道を丸木橋を渡って右岸から左岸へ、左岸から右岸へと何度か繰り返した。雪解け水で増水し流れがますます激しくなる頃、最後の鉄橋を渡って右岸に出た。高度を落として杉の植林の中に入ってからが随分と長く感じた。9時半過ぎに出発点に戻り慌ただしく家路についた。

(コースタイム) 2/20大分市安東邸20:10発→鹿野SA24:00頃
2/21 鹿野SA7:30頃→潮原集落出発点9:02⇒林道東尾根取り付き9:10⇒898.6m三角点10:23⇒1129mの独立標高点12:09⇒狗留孫仏岩分岐12:29⇒BC設営地12:40〜13:43⇒冠山山頂14:29⇒BC14:53
2/22 BC7:48⇒8:19(ワカン装着)⇒林道8:38⇒鉄橋9:15⇒出発点9:37→大分市安東邸着15:00頃