屋久島紀行
                         加藤英彦

 5月の連休を利用して、かねてから念願の世界遺産登録地の屋久島に登ってきました。日本百名山の最も南にある山、九州最高峰の宮之浦岳(1935m)に登り、現在確認されている最大(最古)の屋久杉・縄文杉に会いに行きました。

 メンバーは毎月定例山行を重ねているうちの3組の夫婦6名でした。そのメンバーの一人河野夫人の実弟が屋久島の森林管理署(旧営林署)に転勤され、単身で赴任していると聞き、河野、宮崎、加藤の3組夫婦で押しかけて行った次第です。おかげで弟さん(井さん)には2日間の案内、車の運転と宿泊、何から何までめんどうをみていただき、すっかりお世話になりました。

          

5月2日
 大分発(8:15)にちりん1号→宮崎乗り換え→鹿児島(13:42)乗り換え→鹿児島北埠頭→トッピー→安房着(18:10)。安房の港に井さんが出迎えに・・・ワゴン車にて宿舎5分で着。さすがに南国らしい植物に囲まれた宿舎、テッポウユリの大ぶりの白い花が目立つ。その夜は近くの居酒屋にて夕食をとる。地元産の海産物、刺身やカニのごちそうと焼酎「三岳」が美味しかった。

5月3日 5時30分起床。6時10分出発。
 井さんの運転するワゴン車にて出発。途中、予約していた弁当を受け取り屋久杉自然館の前駐車場にて停車。連休中(3,4,5日)荒川口−経由縄文杉方面に入る自家用車はここでシャトルバスに乗り換えとのこと、我々は淀川登山口へ向かうので通過できる。

 さっそく登りにかかるとヤクザルの一群が歓迎の出迎え。やや小さめな野生味たっぷりのサルのムレである。屋久島はかつて‘サル二万、シカ二万、人二万’といわれたほどサルとシカの多いところだが、人口は現在1万4千人に減っているとのことだ。

 車はぐんぐんと高度をかせぎ山ふところに入っていく。途中、荒川口との分かれ道にもチェックのための警察が出ている。そこを左へと屋久杉ランドの前を通過。道路脇にある紀元杉を通過して林道終点の峠へ。先行車両が10数台あり駐車スペースがなく車だけUターンしてやや下ったところに置いてくる。登山口のトイレ横にある登山届提出ボックスに用意してきた登山計画書を一通入れる。

 いよいよ登山開始(7:20)。淀川登山口の木道階段を登りにかかる。屋久島登山の第一歩である。うっそうとした森林の中、整備された登山道がつづく。少しの登りののち、やや下ったところが淀川小屋(7:55)。ここまで35分のペースだ。ガイドブックどおりの所要時間だ。小屋の前の鉄橋をわたる。清流、新緑のコントラストがきれいなところだ。ここからやや急登となり汗もふき出るようになるが、登り切るとゆるゆかな尾根となる。

 しだいに樹木の背丈が低くなって見通しがよくなる。左手に高盤岳が見えるかっこうの展望のポイントがある(8:51)。山頂の花崗岩の造形がトウフ岩と呼ばれている特徴的な岩だ。ここからすぐに今度は右手岩の上の展望所に出る。対岸の山々が見事に岩と樹木のコントラストだ。ところどころピンクのツツジもみえる。ヤクシマミツバツツジか?。ここからやや下ったところの開けた湿原が現れる。小花之江河だ(9:20)。

          
                      花之江河

 そこからもう一息登ったところ(9:30)にある湿原が花之江河だ(標高1640m)。中央に古びたほこらがあり、周辺に高山植物群や屋久杉の白骨樹が立ち並び自然が創った日本庭園の雰囲気がある。寒冷な山岳地で見られる高層湿原で屋久島の多様な気候がうかがえる。木道が完全に整備されており、「踏み出さないように」との注意書きがある。尾瀬と同じような雰囲気となる。名前だけは昔から聞いてはいたが、いざその場に立ってみるとやはり、「ここまで来たか」、「やっとみれたか」といった感激がある。先を急ぐことにする。

 かつてはえぐられていて通りにくかったであろう登山道は、立派な木造の階段状の道がつづき、木の下にはいたるところきれいな水が流れている。屋久島の持ち味を充分示す道である。

 やがて黒味岳へ左へ登る分かれ道を過ぎ(9:45)大きな岩も出てくる。一歩一歩の歩幅が大きくとらねばならぬ状態のところが増えてきた。黒味岳もまくようにしてロープを伝って下るところ、そしてロープを伝って登りきったところが投石平である。

 屋久杉の白骨樹がめだち、あせびやシャクナゲに囲まれたような投石平で一休み(10:10)。ここから黒味岳山頂はすぐに見える。山頂にいる人に声をかけられるほどの近さだ。

 この辺りから行く手に目的の山、栗生岳と重なった宮之浦岳を確認できる。少し霧が上がってくるのがわかる。「霧よもう少しまってくれないか」と言ったら案内の井さんが「この霧のお陰でこの屋久島は保たれているのだ」と言った。さすが職業柄霧に対しての感謝の言葉なのだ。

 ここから投石岳をまいていくとヤクザサが現れてくる植生の堺だ。このあたり昭和31年3月に松本氏をリーダーとするしんつくし山岳会の一行が宮之浦岳をめざした時に玖珠出身の高倉氏が霧と雪のため遭難したところだ。古いガイドブックには「遭難碑が登山道右手にある」とあったが、見当たらなかった。

 やがて先頭の方から声がした(10:50)。近づくと見覚えのある顔だ。後輩の、プロガイド・安東圭三君が5人のメンバーを率いて宮之浦岳より下りてくるのに出会う。一行の中に女房の知人(一昨年ネパールに同行した)河野シーちゃんもいてしばしの間情報交換し、記念撮影をして別れる。

 やがてこのルートの最後の水場となるところでのどをうるおし、翁岳登路をすぎ、栗生岳への急登をあえぎあえぎの登りとなる。栗生岳山頂の岩を左に見てほこら(「祠」に統一?)をすぎると宮之浦岳はもうすぐ目前だ。一歩一歩ゆっくりと登り先行した宮崎2人に遅れること5分でやっと宮之浦岳山頂へと到着(11:50)。

 眼下には広がる山なみ、目前に霧の晴れ間に永田岳がみえる。一瞬の間のシャッターチャンス、九州の山の最高点の雰囲気は素晴らしい。

           
                    宮之浦岳山頂より永田岳

           
                  九州最高峰 宮之浦岳山頂にて

 いつもの感じの昼食だ。ビールで乾杯。おにぎりにカップめん、そしてコーヒーを沸かす。この時が最高である。最後の登りでややバテ気味だった河野夫人も少し酸欠状態だったが、少し休むとすぐに元気をとりもどす。山頂での恒例となったハーモニカを3曲吹き、九州最高点登頂を祝い記念撮影、そして最後に今西流の万歳を三唱して下山にかかる(12:50)。

           
           ヤクザサの中木道で整備された登山道(背景は宮之浦岳山頂)

 下山はペースは速い。快調にとばしていく。投石平で黒味岳へのコールをする(13:55)。

 花之江河にて長めの休息(14:40)、見納めとなる湿原を再度堪能する。写真を撮ろうと一歩木道より踏み出したとき、離れていた見ていたガイドの1人から注意の声が飛んできた。失礼しました。

 あとの下りもコースタイムどおり。淀川小屋に休憩した時(15:50)、大分からの知人がいて河野さんが声をかけられる。今夜はこの小屋に泊まって明日黒味〜宮之浦岳往復とのこと。

 林道入口(16:40)に到着。このコースは距離にして片道8km、高度差575m、ポイント毎に目的地までの距離の入った指導標がたてられており、迷うことなくコースの安全を確保している。宮之浦岳登山の最もポピュラーなコースである。登り4時間30分、下り4時間の行程を終える。

 無事下山し終え車に乗り込む。すぐに鹿が一匹目の前を横切る。何も恐れていない。ゆうぜんと車の横を通り過ぎていった。紀元杉では一周する木道があり巨大杉の見学。下山中にまたサルの一行に会いながら安房着。

 その夜は車で20分のところにある尾之間(おのあいだ)温泉へ。モッチョム岳が右手山の手によくみえた。ひなびた共同浴場で汗をながす。ぬるっとした単純泉、浴槽はやや深めだが最高の温泉であった。女性達は大阪から来たというクサとりのボランティアの婦人連中との話がはずんだとかで長湯となった。

5月4日 縄文杉へ登る
(6:35宿舎発)
 かつての宮之浦歩道と呼ばれていたルートを利用して縄文杉へ登った。なにしろ荒川ルートで行けば約4時間の行程を荒れた林道を車で40分約6km登りそこから全くのむかしの宮之浦岳登山のコースを登り約2時間で高塚小屋に出てそこから縄文杉へとのルートであった。

 途中うっそうと繁る原生林のなか太古杉と名のついた杉をはじめ多くの巨大な杉をみながらたどりついた縄文杉はやっぱり他のものより風格があり見事であった。この杉も昭和41年にみつかるまでは全く知られていなかったようである。森林管理署の井さんが言うには、屋久島の中にはまだこの杉よりも大きなものがあると思われるということで、その自然の壮大さは我々人間の力のはるかおよばないところにあるとしか思えない。
 
     
                               縄文杉の前で

 帰路、時間があったので観光地化された白谷雲水峡へ寄ってみたが、そこにある弥生杉はまだ小さい方の杉の部類でしかないように思えた。

 誰かがつくった川柳「世界遺産 ゴミおとさずに カネおとせ」の精神で白谷雲水峡入場料(協力金)300円をふんぱつしての見学であったが、2日間屋久島の大自然林のなかを歩いてきた後だったので、ちょっとコンパクトな印象を受けた雲水峡でした。この日も一旦安房に帰り近くのおみやげ店で資料その他を仕入れ、宮之浦近くの楠川温泉に入って屋久島の最後の夜を安房川ほとりのビアガーデン「八重岳」にて楽しんだ。

 屋久島では1ヶ月に35日雨が降るといわれている。我々が山に入った2日間は全く雨がなかったので、ほんとうに降るのだろうかと言っていた。帰る5日の夜半より大雨が降り出した。トッピーに乗船の際は小降りになっていたが、やはり雨の方は屋久島は本ものだと感じたしだいである。

 2日間、ほんのさわりの部分の屋久島にふれ山を歩いてきた。昭和の初め頃、まだ未開の屋久島に情熱を燃やして何度もその山に挑んでいったパイオニアとしての役割を残してきた父の業績が偲ばれる屋久島であるが、以前に比して簡単に宮之浦岳へも立てるようになったし、初めての屋久島の印象は最高のものとなった。又機会があれば屋久島へ行きたいと思いつつ4日間の楽しい山旅を終えることが出来た。

 最後にお世話になった井さんに‘感謝 ’です。
                                  (2003年5月2〜5日)

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