富士山登頂報告
                         加藤英彦

 富士山に登ってきました。メンバーは月1回の定例山行を重ねているうちの以下の5名でした。
 加藤英彦(61)、立川孝夫(61)、塩月靖浩(61)、中島洋祐(61)、匹田昭洋(59)
 参加したのは読売旅行の主催する富士登山とお鉢めぐり3日間 7月31日出発、8月2日帰分(2泊3日)

 実は今入っているコーラスグループで9月のコンサートの一曲に「富士山」という組曲が入っています。それでまず本物の‘富士山’を征服することで、この歌も征服しようというもくろみがあり、コーラスグループの立川、中島もこの山行に積極的に参加しました。このために7月も2回トレーニング山行してこの山行にそなえました。
 今年の梅雨はなかなかあがらずにやきもきしましたが、どうやら九州北部は7月26日に梅雨明け宣言が出されたかっこうでしたが、それでも雨は心配でした。

7月31日(日) 
 朝6時、5人で一台に乗り空港へ。近くの駐車場に入れ、空港へ。早速読売旅行の担当より搭乗券をうけとり荷物を預け、まず出発前の景気づけに一杯ということで空港レストランの‘なな瀬’にて生ビールで乾杯とする。順調なフライトで羽田へ。(8:25発、10:30着)

          
                 大分空港で事前景気づけに乾杯!

 ここから4番口にて九州各地よりのツアー参加者を待つ。長崎からの中に今回の添乗員山口氏がみえる。他に鹿児島、福岡、宇部、山口からとそれぞれ集まって35人のメンバーとなる。そのうち23人は女性、しかもかなりの高齢者もいるようだ。我々5人のメンバーが一番強力メンバーとみる。

 空港バス乗り場へ移動。YOMIURIと書いたブルーの貸し切りバスに乗り込む。席も指定されており、すぐ出発となる。すぐに首都高速へ。添乗員が自己紹介の後、早速今日の昼食と帰りの昼食の弁当代の徴収となる。

 バスは都内の渋滞もたいしてかからずに中央高速道へ。やがて談合坂SAで昼食タイム(30分)。ここでめいめい弁当または軽食をとる。

 再びバスに乗り込み大月インターから分かれて富士吉田へ。富士急ハイランドのジェットコースターをみると自動車道を出て富士吉田市内を少しぬけスバルラインの有料道路へだんだん登っていくが、沿道はアカマツ地帯をぬける。前方にみえるはずの富士も雲の中。

 5合目(2,304m)へと到着。ここは多くの人や車のたまり場だ。早速、指定の店の3Fへ着替えや余分な荷物を預け、広場へ集合。ガイドが待っていた。早速の諸注意を受けたのち歩き始め、やや下りから泉ヶ瀧というところより右へ、山道に移る。馬が人を乗せて追い越していく。ガイドが、目につく花の説明を詳しくしている。ハクサンシャクナゲ、クルマユリ、タカネバラ、オンタデ、ホタルブクロ等が目立つ。ダケカンバも出てくると6合目だ。富士吉田警察の安全指導センター前に‘富士登山者の皆さんへ’と書いた概念図と注意書きを書いたものを受け取る。ここまでは足ならしといったところ。立派なバイオのトイレが出来ている。

           
                 六合目付近より上部山小屋群をみる

 ここまで来ると登る上部がみえるようになり、這いつくばるようにして上部に小屋らしきものが確認できる。今日は7合目までということであり、ゆっくりゆっくりとのペースを保ちながらの登りである。砂防の施設もがっちりとしてある横をジグザグな登りがつづく。中島先生は追い越してきたオランダからの姉弟を相手に、得意の英語で相手している。富士山に登る外人が多いとは聞いていたが、やたら外人が目立つ。この2人も日本滞在30日間、その間に富士をめざしているという。

 メンバーの中の一番遅い人にペースを合わせている。我々は一番最後からとなる。しばらく登るうちに足がつったとかで止まる老女がいる。その老女に合わせるペースなので、まったくゆっくりとした登りとなる。

 ガスは上がり気味だが、時折下から強く濃く襲ってきては又薄く上が見え出すといったあんばいの天候である。安全センター前の天気予報では明日は「晴れ時々霧又は曇り」とある。

 やがてゆっくりとしたペースで7合目の入り口花小屋をすぎるとその3つ上の小屋が本日の宿泊地・鎌岩館である。やがて7合目トモエ館をすぎ、やっと鎌岩館(2,750m)到着。本日は我々の団体のみの貸切のようだ。部屋は畳の2段ベッドの上部。くつろいですぐに夕食(弁当形式のもの)をとり、外に出て下を眺めても雲だけ。食堂にもどりしばしの歌の時間をつくって3人のコーラスで数曲披露して早い寝床となる。

           
                   七合目鎌岩館での夕食

8月1日(月) 
 あけて1日4時起床。一度トイレに起きた1時頃でも下から登って小屋前にて休憩をとり又登っていく連中がいる。

 日の出を前にして皆続々と起きてくる。雲海の中より紅くそまった色が刻々と変化していき、やがて待ちに待った御来光だ(4:56)。いっせいに太陽に向かって万歳の声がわきあがる。

           
                     七合目から御来光をみる

 すぐに朝食をとり出発。相変わらず下界の方に雲海が見え、ときおりガスが湧いてきては又晴れるといった状況だ。快適な登りだがペース自体は相変わらずのゆっくりペースだ。昨日足のつった老女もなんとか先頭についてきている。

           
                 朝の雲海の中、いざ出発(鎌岩館前)

 やがて(7:25)8合目、本日の宿・太子館に到着。ここで荷物を軽くすべく必要なものだけにして着替えその他を本日の割り当てられた3Fの奥の寝床にめいめいが置いて出発。ここで一人だけリタイアする人いたが、昨日足のつった老女は登るという。だから、ペースは相変わらずだ。上へ登るにしたがって、もう2,3人調子のよくない組も出てくるが、我々の組は全く快調だ。やはりトレーニングの成果といえよう。

 8合目トモエ館(10:05)をすぎ上部へ鳥居がみえだす。右手前方には雪渓が少し残っているのを確認できる。天候はどうやら安定してきた。上は青空となり飛行機雲が何回となく現れる。

 やがて鳥居(9合目)をすぎ、いよいよ最後の上りとなる。下から「読売九州ガンバレ」と気合いを入れる声を飛ばしながらもペースはゆったりだ。何となくこの最後の一合は意外と楽に登れたように最後神社の前の鳥居をすぎ山頂である。久須志神社前へと出る。

           
                    山頂久須志神社前鳥居にて

 山頂は人の群れであふれている。すぐに最奥の山口屋本店の中で昼食。太子館でもらった弁当だ。ペットボトルもここでは500円となっている。昼飯をかっこみすぐにお鉢めぐりへ、一行のうち24名で出発。残りはここで休んでいる。

 お鉢めぐりも順調に、左回り(時計回り)へと進む。大日岳の左をまき伊豆ヶ岳付近ほぼ水平に歩く。東側が切れ落ちている河口のふちを通るようになる。やがてNTT分室をすぎ、御殿場口登山路は測候所職員のために、下から全ルートを鉄柵が誘導しているとのこと。

 やがて銀明水の前をすぎ浅間大社奥宮の鳥居あり。富士山頂郵便局もある。ここは富士宮口より登りついた終点となる。剣ヶ峰はもうすぐ目の前で、最後の上り・馬の背と呼ばれるザラザラとした傾斜の急な登りを登りついたところに測候所の階段を数段登ると、そこに最高点が待っている。

           
                 日本最高峰剣ヶ峰にてガイド山田氏と

           
                  最高点二等三角点をハイタッチ

 日本最高地点と入った標柱があり、そばに二等三角点がある(3,775.6m)。三角点を撫でて全員が記念撮影だ。なぜ二等なのかの説明もガイドの山田君、親切に説明してくれる。あまりに高すぎて本来の三角点の機能をとりにくいために、二等に格下げされているとのことだ。まったくうなずける高さで、日本列島を自分の足もとにしての感激である。

 すぐに出発したためいつもの山頂セレモニーは忘れてしまったが火口下山中せっかくもってきたハーモニカで「富士山」、「箱根の山」の2曲を披露する。

 西河原をすぎ、やや火口へ下ってそして金明水をすぎやや上りにかかり又もとの久須志神社、前標柱に出てお鉢めぐりは終了。

 さて下山にかかる。須走口下山道は登ったルートとは違い下り専用道だ。山口屋本店前からすぐに左へ下りにかかる。長いジグザグコースだがザラザラとしたブルートーザ道だ。道幅は広いが砂ぼこりがひどい。

 下りにかかると膝を痛めた老女のペースがにぶる。荷物はガイドがもっているのでから身だが遅い。見るに見かねて右手を差し出しつかまるよう指示する。これから明日の下山まで、この飯塚から参加したという72歳のおばさんの脇をささえての下山となった。

 それにしても下山は長くえんえんと続く。3,700mから下りるのだから無理もないが、飽くほどのジグザグの下りとなる。須走口と河口湖(スバルライン)への分岐には大きな看板あり。ここをすぎ、なおも下る。やっと本日の宿・太子館がみえてきた。

 ジグザグから上り専用道太子館方面へと続く道に入り、やっとの思いで太子館前広場。山小屋のバイトが到着する一人一人におしぼりを配っている。これでほこりを払って宿へ入る。3Fのせまい寝床。頭を打つ人が次々だ。全く注意しないと頭を打つこととなる。夜の食事は富士山名物・ビーフカレーだ。太子館の主人が一般的な説明。2泊3日のコースが良いとの説明。そして我々のガイド・山田君について優れたガイドであると力説。確かに24歳にして世界七大大陸の最高峰に登ったギネスブックものである。エベレストには昨年登っているとのこと。しかも東大スキー山岳部の現役であり、来年はK2へ挑戦、そのための資金稼ぎのアルバイトで読売ツアーのガイドをしている、とのことである。

 この夜は山小屋よりみる山中湖畔の花火大会が2ヶ所からあがり、最高の花火見物となった。パッと小さな輪ができたあと、しばらくたって花火のドカンという音がかなり小さく聞こえるといったあんばいの花火であった。夜中の1時ごろ、2Fの団体が山頂目指して出発していったが、うるさくて眠れなかった。

8月2日(火) 
 4時起床。この日も御来光がみられたが昨日と違って二日目なので見る側も感激する場面が今ひとつであった。朝食をとらずパンと弁当をもらって下山となる。

 昨日の膝を痛めた老女、相変わらず私の右手をたよって下っていく。下山路のジグザグを何回かすぎたところで朝食をとる。パンだけで済ます人もいたが、釜飯も朝ふかしたのだが時間がたって少し冷えたものとなる。

 順調に下っていき見上げる上部、あれだけ下りてきたのだと思えるほどの高さであり、宿泊した山小屋もかなり上部に確認できる。やがて6合目。安全指導センターの前で一昨日の登るルートに出て、あとは人や車で雑踏する5合目に無事下山。今日は土曜日なので特に車の多さが目立つ。さすが、人気の富士登山コースである。

 バスに乗り込み河口湖畔のドライブイン・蓬莱家にて入浴。3日間の汗を流しビールで乾杯。お世話した飯塚からの老女からのビールの差し入れを飲む。バスは順調に中央高速−首都高速を走り羽田へ。ここで各地へ帰る組と別れ大分組は6:55発のJASで大分へ。

 初めてのツアー参加の富士登山だったが、富士登山自体はけっこう観光目的な者が多い。我々は登山ととらえトレーニングもしてきたが、そうでない者が目立った富士登山であった。天候にも恵まれた3日間でした。

 コースタイム 7月31日 10:56登山口発、12:25談合坂s/s着、13:05談合坂s/s発、14:20五合目着、15:05五合目発、16:00六合目、17:42七合目花小屋、18:30鎌岩館着(2、750m)、18:50夕食、20:30寝床  8月1日 4:16起床、4:56日の出(小屋前)、5:00朝食、6:00鎌岩館発、7:25八合目太子館着、8:05八合目太子館発、9:00白雲荘、10:05本八合目トモエ館、10:45御来光館、12:40山頂山口屋本店、13:20お鉢巡り出発、14:20剣ヶ峰、15:20山口屋本店、17:05太子館着
                                  (2003年5月2〜5日)

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