大分の山のいで湯における私的湯行回想録 
                栗秋和彦
編集部おことわり:本稿記事中‘硫黄の湯’の下りは、入山規制区域指定が実施
されるより以前のことであり、現在では規制区域に指定され立ち入ることはできない。

□青春の山
 青春の多感な時期、私は山に狂った。北アルプスの穂高や剣、山陰の大山に足繁く通い詰め、アルピニズムのみが全てであるように信じて、ひたすらがむしゃらに雪や岩を追い求めた。所属していた山岳会の「岩と雪」に対するシリアスな取り組みに、当時私は人生の目標を重ね合わせていたのかもしれない。

 しかし山への関わりや情熱が、仲間の事故や山の会内部ののっぴきならぬ事情により薄れていくのも速かったような気がする。時を同じくして家庭を持ち仕事の責任も増してきたのも遠因になろうが、志を抱いた多くの山屋たちが辿る道筋ではなかったかと苦笑しつつ、したり顔して言ってしまおう。青春はかくも純粋かつ刹那的偏狂心を合わせ持つ。
□山のいで湯を求めて
 そしてそれから幾星霜、旧山岳会の残党が再び集い、「山のいで湯愛好会」なるものを旗揚げした。唐突に山のいで湯行脚がオフタイム最大の関心事となったのだ。何故「岩と雪」が「山のいで湯」なのかはこの稿の主旨ではないので割愛するが、とにかく山に登ってその汗を周辺のいで湯で流す、すなわち“おゆぴにずむ(※1)”希求の旅に衣替えをして我が趣味は再び勢いを得た。

 さてそうは言っても、世間一般的にはこの趣味はいささかラクチンだと思われがちである。あえて否定はしないが、決して物見遊山な気持で取組んだ訳ではない。まだいわゆる「温泉ブーム」到来よりかなり前のことであり、もちろん風潮に流されて興したものでもないのだ。

 「岩と雪」同様、シリアスに追い求めるというスタンスは堅持しつつ真面目に活動を重ねた。すなわち“おゆぴにずむ”を理解し、それを実践するために難易度の高い湯行や、困難なアプローチでスポーツ的、闘争的な入湯を目指すことが本意なので、具体的には大自然の真っ只中で自分が掘って(湯船をつくって)入る行為こそ究極の目標である。
‘硫黄の湯’を楽しむ
 その意味では九重山群硫黄山直下、九州最高所1500mに湧く「硫黄の湯」はスコップ持参で沢(温泉)を堰止め、一部の人工もない天然野天の極みであり、九重山群からの下山ルートに加えれば、まさに最高難度の“おゆぴにずむ”を実践できる。但し現在は95年の硫黄山噴火以来、付近一帯は入山禁止となっており、その禁を破っての入湯となればスリリングさは倍加しよう。

 一方、牧の戸峠から久住山への最初のピーク・沓掛山を源流とする小田川上部(瀬の本高原から取付き、遡行およそ1時間40分)にも「沓掛の湯」と称し、気泡立つ硫化水素泉とおぼしき鉱泉があるが、適温とは言いづらく一般向けではない。しかしいくつもの小滝を越え雑木が覆い茂る中での遡行となるのでパイオニアワークに溢れ、笑みはこぼれる。(かように趣味とは傍から見れば、何とも名状し難いものなのである)
   
法華院あせび小屋の湯  明礬の山中で
 さて次に望むのは村のひなびた共同浴場。こちらは村人の日々の営みが如何にいで湯に関わっているか、その度合に注目するものであって、言わば山上の天然野天探求をハード面での極とするなら、メンタルな面で私の心を捉えるのは地区の住民が古くから守ってきた共同浴場の雰囲気である。

 特に旧宮の原沿線(玖珠郡九重町)に点在する町田、生竜、宝泉寺、串梶、桐木(※2)などの共同湯は、村の社交場として住民の生活にキッチリと組み込まれている様が、よく分かりその歴史は尊い。またいずれもドゥドゥと流れ去る湯量は多く秀逸だ。もちろん勝手には入れないので村の組長に仁義をきって(許可を得て)入湯となるが、そのやり取りから既に“おゆぴにずむ”は始まっていて楽しい。
桐木共同湯

□ホームページ紹介
 山のいで湯に関わる話は尽ないが誌面の方は冷徹に尽きる。詳しくは「山のいで湯愛好会」のホームページ
(http://www.oct-net.ne.jp/~w-hasama/ )を紹介して稿を終えたいが、タイトルでお分かりのように世俗事にかまけて久しく、最新の情報とは言い難いことをお断わりしておきたい。

(※1)アルピニズムをもじった造語。一般に湯治的な軽湯行ではなく、困難な湯行を伴う行為と定義しています。
(※2)桐木共同湯は町田川畔にあって四つの浴槽からなる風情のある建物だったが、91年の水害で流失して今はない。
編集部註.本稿は大分商工会議所々報2002年1月発行第618号に寄稿されたもの

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