◆国東半島トレッキング(2012.3.21,狭間会員) 「国東半島の古刹を巡るトレッキングが毎年、国東市の主催で開催されていますが、結構な参加料であり、それに優先する他の山々のこともあり、前々から気になってはいましたが、参加は見合わせていました。そんなある日、誤送信で送られてきた加藤さんの〔3,4月の予定表〕の中に、ひこさんクラブそれに高校の同級生の登山愛好家グループ・十二期会での第二回国東半島トレッキングを目ざとく見つけ、飛び入り参加を申し出たところ快諾をいただきました。

3月20日午前7時に上野を発。おゆぴにすとは加藤、塩月、それに私。途中次々と合流し、中島、下川氏ほかこのところの飛び入り参加で知己を得た皆さんも多数で総計14名。

まずは
屋山長安寺に参拝ののち、4台の車を最終ゴール地点までの数地点にデポするために別行動となった4名を除く10名で天念寺川中不動まで3.5キロのウォーク。菜の花や遅咲きの梅の花など咲き乱れ国東路がもっともそれらしい、のどかなプロムナード。天念寺では車のデポを終えた加藤、塩月両氏など4名も合流し計14名の加藤トレッキング隊(男性6名、女性8名)が勢ぞろい。岩場のある無明橋など難所・天念寺耶馬越えを前に、岩場越えコースと、岩場を回避して一般道遠回りコースを当初考えたようでしたが、エネルギッシュな皆さんの声に圧倒され加藤会長の2コース案はかき消されたかっこうでした。

 さて、
難所の天念寺耶馬越えの下部はぬかるみに足を取られるところからスタート。無明橋直下の岩場は鎖場の連続。スリル満点と言いたいところですが、何しろ平均年齢は60歳代後半なのですから、しんがりを務める筆者としては、万一に備え受け止め体勢で構えていましたが、皆さんお歳のわりには身が軽く、案ずるより産むが易しといったところでしょうか。隊列の中に誰一人よこしまな心を持った人は居なかったとみえ、全員が無事、無明橋(※)を渡ることができました。

 しかし、難所はまだまだ続きます。短いですが、馬ノ背のような岩稜の縦走ののち、無動寺への下山路となるコルへの最後の下りはちょっとした圧巻でしたね。20メートルほどの切り立った岩場を鎖に身を委ねて、14名が数珠つなぎになって下って行く様を最後尾(最上部)から見下ろしながら、『自己責任とはいえ、よくもまあこんなところを齢七十の婦女子が下るもんだ・・・、引率する加藤会長も内心とんでもない所に連れてきてしまった、と思っているのでは』などと考えてしまいましたね。実際、加藤さんは要所では一番心配そうな御婦人に対しては荷を担いでやったりと、心優しく頼もしい一面を見せたのでした、高校時代のクラスメートの間での
“頼もしい加藤君”そのままに。

 さて、難所を過ぎ昼前に
無動寺着。歩程としてはたかだか1キロメートルにも満たない、この天念寺耶馬越えに、思いのほかの時間を取られたため、予定を変更して、お寺の庭先を借りて昼食になりました。

 余談ながら、加藤グループの昼食というのは、各々が自慢の料理を皆に振る舞ったり、時間をたっぷりとって、昼食そのものを楽しもうとする姿勢が観られますね。これは、大いに学ぶところありなのです。それにつけても、おゆぴにすとには何かにつけ慌ただしいのが何人か居り、最近少しずつ波長が合わなくなってきていることを感じることがありますね、筆者は。

 無動寺での昼食後は、
応暦寺までの4キロ、そこからさらに標高約300メートルの峠を越え中山仙境のすそ野を迂回し霊仙寺までの約6キロ、車道をのんびり歩いて、本日の全行程15.5キロのトレッキングを終えました。予定では、さらに山道越えで千燈寺まで歩くことになっていましたが、天念寺からの無明橋越えに思いのほか時間を取られましたので、このコースは次回持ち越しとなりました。最終地点・千燈寺、それに天念寺にデポしていた車を回収に回ったのち、霊仙寺で解散となりました。今回はカメラ付き携帯電話を忘れましたので写真はなしです。

 あっ、それから帰路は加藤さんの隣保班の加藤さん(親戚ではないようですが)の鉄輪にある別邸にお邪魔し、
鉄輪温泉に浸かるとともに、タケノコ、シイタケ、ミツバ、セリなど、奥様心尽くしの季節の山菜料理オンパレードに舌鼓を打ち、それにかまどで炊いた、団塊世代以上には昔懐かしいお焦げご飯をご馳走になりました。この山行の企画立案の加藤家も含め、両加藤家に感謝感謝の一日でした。」筆者註:無明橋は断崖絶壁の上に架けられており、幅約1メートル長さは5メートル、よこしまな心を持った人が渡ると神の逆鱗に触れ、断崖に落とされるという言い伝えがある。