九重愛好会 第10回登山会 
               故高浪洋一先生を偲ぶ会

 第10回という節目を迎えた今回は当初、10月26〜27日に錦秋の紅葉鑑賞登山と銘打ってご案内しました。めずらしく10人近い参加予定者が見込まれていました。ところが、この会創設時からのメンバーであった九防協会長・高浪先生が10月9日に急逝され、いったんは中止も考えましたが、九重の四季をこよなく愛してやまなかった高浪先生のご遺志にそむいてはと、喪のあける時期11月26日に「高浪先生の追悼登山」と「高浪先生を偲ぶ会」として再度呼びかけをしました。

2016年11月26日 晴れ
 牧ノ戸峠登山口を出発したのは、長崎、御厨、挾間の常連に、今回初参加の岩田 晴(はれる、住友化学福岡営業所に仙台から転入)氏の4人。今回は2パーティに分け、挾間は、九重初見参でアスリートでもある岩田氏の案内役として星生山〜天狗ヶ城〜中岳〜稲星山〜久住山と、目ぼしい1700メートル級を総なめにしようと張り切って出発。一方、九重に精通したお二人・長崎さん、御厨さんは、のんびりマイペースで九重の晩秋を心ゆくまで味わいたいとのことで、2パーティが牧ノ戸峠を出発し別コースをとって久住山山頂で合流することになりました。

 天気は願ってもない好天…それもそのはず、ニューフェイス岩田氏の名前は”晴”と書いて”はれる”と読むらしく、”晴れ男”なのだから。今後、毎回是非とも参加してこの行事に好天をもたらして欲しいものだ。

 さて、前日来の好天で放射冷却のためか、朝方は厚さ5cmにも達する霜柱が登山道の随所にみられ、早朝の出発ならば霜柱を踏み砕く小気味よい靴音を響かせたであろうが、遅めの出発となった私たちにとっては、氷の融けはじめた黒ぼく土は大変に始末が悪く、足元を泥んこにしながらの登山となりました。

 法華院に現存する「九重山記」(1770年)に「春は黒 夏は青 秋は赤 冬は白」(現代語訳)とありますが、ついひと月ちょっと前ならまさに「秋は赤」の記載通り鮮やかな紅葉に彩られた錦秋の山であったでしょうが、今はすべての植物が静かに息を潜め本格的雪を待つ冬枯れの茶色の山並み…これはこれでまた趣あり、といったところでしょうか。そんな情景を噛みしめながら山頂を目指しました。

 閑話休題。張り切り欲張り組の挾間・岩田組が予想に反するローぺースで天狗&中岳を早々と諦め、這う這うの体で久住山頂に辿りついてみると、どっかりと腰を下ろして昼飯のおにぎりをパクつく長崎氏の姿がそこにありました。記念写真ののち、直ちに山頂を辞し、先に下山した御厨さんを追いかける。「私のことはええのよ!心配されるとかえって気を遣うから」といつもにこやかマイペースの御厨さんは、牧ノ戸峠で我々三人を出迎えてくれた。

記録:牧ノ戸峠9:40 → 星生山11:19 → 久住山12:43 → 牧ノ戸峠14:51

        

今宵の宿は、湯坪温泉の民宿「涌蓋(わいた)」…ロケーションの良い露天風呂と、湯坪の民宿では珍しい新鮮な刺身が売りの宿。「高浪先生を偲ぶ会」と銘打ったものの、師走の足音が目の前に近づく時期…各会員の皆さん、仕事や地域の行事など現役時代並みに忙しい方も多く居られ結局、参加者は4名と、高浪先生には寂しがられそうで少々申し訳ない気持ちでした。

 それでも、長崎、御厨、挾間…九重愛好会の創設時から常に高浪先生と行動を共にしてきた3名が、長崎さんがこの日のために編集した 故高浪先生の九重愛好会:足跡を偲ぶのスライド(写真参照)を観ながら、ご一緒させていただいた九重山行の一コマ一コマとともに、アメリカ合衆国留学時代のロッキーやヨセミテ山麓周遊旅行の思い出を感慨深そうに紹介されていた、在りし日の高浪先生の表情を思い起こすひと時を過ごしました。(写真:長崎、文:挾間)

       

                   高浪先生やすらかに 合掌