’96新春、九重・大船林道をMTBで攻める        栗秋和彦

 第2次硫黄山噴火調査隊、盗難に遭うの巻 栗秋和彦 昨秋の九重は硫黄山の二世紀半振りの噴火の報を聞き、とりあえず挾間、高瀬と第一次の噴火動向調査隊を組織して噴火三日目にして現地入りを果たしたが、官憲の厳しい監視網に遮られ、長者原界隈から遠巻きに眺めるのが精一杯で、近づくこと違わず、悔しい思いをした。そしてその後、活動は沈静化の兆しを見せ、マスコミの関心も薄くなり、我々としてはやっと静かなホームグランドを少しなりとも取り戻せた、と思っていた矢先、師走も押し迫って再びの噴火活動活発化のニュースに胸騒ぎを覚えた。これはなるべく早い時期に第二次学術調査隊を目論み、我が母なる大地・九重に接見せねばなるまい、とは自然の成り行きであった。

 そこで毎度のことながら正月の九重・坊ケツル(法華院)詣を、この第二次学術調査と兼ねることにして同伴者の選定作業に入ったが、当初名を連ねていた挾間兄も、家庭内のパワーバランスがもたらした結果か、直前でキャンセル。そして高瀬も寄る歳なみには勝てずか、はたまた年末の宴会つづきで心労が重なったためか、入院騒ぎのていたらくと相成り、最終的には昨年と同じく息子の寿彦と“おゆぴにすと”の会友・矢野君の両名に落ち着いたのだ。

 さてそこでこのメンバーならではの登路の選定となると、当然くだんの規制で雨ケ池コース以東に制限されていることもあり、MTB(マウンテンバイク)フリークである特性を生かして、長者原・吉部(千町無田)・大船林道・坊ケツル・法華院とMTBで攻めようということになった。もちろんMTBでは大型ザックは背負えぬから坊ケツルでのキャンプは諦めて、ぐっとゴージャスに法華院温泉山荘泊まりということになるわな。マァしかしMTBの起用は、以前から抱いていたささやかな夢の実現でもあり、山荘泊まりは当然の帰結でもあるのだ。
 そして年末寒波到来直後とあってかなりの積雪が期待でき、かつ快晴無風というベストコンディションにも恵まれ願ってもないシチュエーションの下、観光客であふれる長者原を後にした。出発にあたってこの山湯行を展望すると、要は大船林道の凍てついた雪路を人・車(MTB)一体となって楽しむこと、一年振りの法華院温泉の硫化水素泉にどっぷりと浸り一年の計とすること、それに毎年正月のみ宿泊客にふるまう清酒『八鹿』の樽酒飲み放題に身を任せることの、“おゆぴにすと”にしてバイクフリークの我々が考え得る最大嗜好3点セットを完遂させることにあろうや。

 そこで先ずは吉部の閑道に入ると日陰は立派に固く凍った雪道をしつらえて、のっけからスリリングなブレーキングを試され、胸躍る出迎えをしてくれたのだ。もちろん大船林道に入り高度を上げるに連れ、だんだんと雪深くなりタイヤ接地面のきしみ音とせわしげな吐息以外は、表面上はいたって静かな午後の風景が流れた。しかし要は三人だけではあるが、雪のヒルクライムレースである。特に序盤先行の寿彦に対しては、素早くアシストの矢野君を反応させて先頭集団(二人だけだが)のコントロールを図ったが、一応ここいらで親の威厳を見せておかねばならぬ場面でもあるのだ。

            

 そこで回転数(心拍数)をイエローゾーン付近まで高めて途中でやっと追いついたものの、ちょっと油断をしようものなら、スーッと重いギヤで先に抜け出してしまうので、結構本気で漕がざるを得ない。子供の成長に目を細めながら親の威厳を保とうとするところに、微妙な心理的葛藤が芽生えるのですね、オーバーだけど。であるからして法華院温泉山荘の玄関口まで、ごく一部の急坂を除いて殆どライディングのまま登り切ることができたのであろう。中でも山荘前の急坂では、期せずして宿の部屋から先客の拍手なんぞが湧きおこり、矢野兄や寿彦あたりは懸命に急坂にこらえながらも、片手を挙げて答えるしぐさで己のパフォーマンスを演出していたが、いやはや自分としては気恥ずかしさが表に出てなじめぬのだ。しかし達成感というか爽快感はじっくりと味わい、一人ほくそ笑んだのでした。

            

 ところで残った“樽酒”と“いで湯”の2点については、経験上得意とする正攻法(?)で攻めるしかなかろうとの基本姿勢で臨んだ。時は夕刻、キッチリと湯上がりにBeerパーティを催した後、おもむろに樽酒に挑み、途中からはこれに気付いた他の宿泊客と競合かつ談合しつつ競り勝って(?)飲み干し、至福の時を過ごした。そして更に酩酊しつつも夜半の二度目の湯は、混沌とした記憶の中にもちょっぴりと放歌喧噪の趣を呈し、寿彦に言わせると「矢野のおじちゃんは目がうつろ、親父は同じ事を何回も言う」との症状を呈していたという。もちろんこの後の“初夢”なんぞは夢のまた夢に終わってしまった模様であった。

 そして明けて二日も寝覚めの贅沢は、小原庄助ばりの長々とした朝湯であろう。寝覚めの悪い寿彦でさえ「山のいで湯の朝風呂は人生最高のひとときであるわねぇ、矢野のおじちゃんよ〜」と、いっぱしの“おゆぴにすと”気分で宣う。この親(自分のこと)にしてこの子か、とちょっと大袈裟ではあるが、人生の輪廻転生もむべなるかなと思うなぁ。

 さて本日の行動である。ちょっと安易な感も否めぬが、先ずは坊ケツルまでちょっと下りMTBをデポして矢野君未踏の平治岳を往復することとした。大戸(うとん)越しまでの樹林帯は新雪を踏み締めて、うねうねと森を彷徨うような静かな山歩きが楽しめて、新春の雅楽の調べにも似たのびやかな心地であった。そして山頂からは雲ひとつなく、九重山群はもとより豊後、豊前の山々の眺望を欲しいままに。中でも注目の硫黄山は噴火口がよく見て取れる高さと角度になり、噴煙の位置も従来の山腹とはかなり異なり、北千里側の斜面からも新たにモクモクと大量の噴煙を上げる様は、257年振りの噴火が現実のものとして捉えるに充分な迫力であった。おっと例の3点セット成就で影がすっかり薄くなってしまったが、噴火動向に対する第二次学術調査隊としての任務を兼ねていた訳で、取り敢えず簡単、明瞭(?)、その場しのぎの感なきにしもあらずとも、上記数行の表現で代えることとしたい。

            
                      平治岳山頂にて

 とここまではすこぶる順調な山旅であったのだけれど、意気揚々とMTBデポ地点の坊ケツルへ下ってみて驚いたのだ。何と・矢野君のMTBの荷台に縛っていたボストンバッグが盗まれているではないか。中身は自分と矢野両名の羽毛服、オーバーパンツ、インナースーツ、食器、コンロ、ラーメン等々と、平治岳への往復には不必要な物を詰め込んでいたのだ。幸い財布やカメラなどの貴重品は背負っていて難を逃れたのだが、長者原界隈ならいざ知らず、坊ケツルで盗難に遭うとは何たることか。ゴムヒモで縛っただけで、まったく油断していた我々も浅はかではあったが、「山屋も地に堕ちたもんだね」と後刻、盗難届けを出した玖珠の警察署のオジさんの弁が空しく聞こえたのでした。それにしても長年使い慣れた羽毛服やシェラカップとの別れは辛いよなぁ、と惜別の念に堪えない。と同時に、犯人よ・ 山中での行為はただ単に窃盗に止まらず、時と場合によっては『身の安全』を脅かすに充分な行為であるのだ。このことを充分知らしめる必要がある、と憤りをもって言いたいのだ。

            
                        大船林道を下る
 
 で、坊ケツルからの下山の途はすっかり意気消沈してしまったが、MTBによる豪快な凍雪道のダウンヒルは、微妙なスリップターンやブレーキテクニックが要求され、「まるでスラロームスキーの醍醐味と同じく、これは病み付きになりそう」と、たかだか一回のスキー経験しかない、ノーテンキでこざかしい寿彦の弁ではあったが、なるほど実感ではあると思う。そしてこのダウンヒルに夢中になりつつも、頭の片隅ではやはり「願わくば、これで病み付きになって欲しくはないのだよ」とこの不埒者の今後の人生をおもんばかって物申したいのが、偽らざるところであった。下山後、仕上げの湯とした筌の口温泉の共同湯では窓から差し込む初春の穏やかな日差しを受けて、身も心も湯ったりとのびやかにと言いたいところであったが、今ひとつ気分が乗れぬ。多少のしこりが残るのはいたしかたないが、くだんの事件がもたらした鵺(ぬえ)とのまつわりをこの湯で流し、気持ちを切り替えて禊(みそぎ)清めることにすれば、新年早々のこととて一年の幸を占うに遅くはあるまい。今年は少し変則ではあるが、『一年の計は正月二日にあり』としてスタートとしたい。激動の時代、臨機応変の術もまた必要であろうぞ。

(コースタイム)
1/1 長者原14:00⇒(吉部経由byMTB)⇒大船林道入口ゲート14:20⇒(大船林道経由byMTB)⇒法華院温泉山荘15:36 法華院温泉入湯
1/2 法華院温泉山荘8:35⇒(byMTB)⇒坊ケツル分岐8:40 43⇒大戸越9:30 35⇒平治岳10:03 20⇒大戸越10:44⇒坊ケツル分岐11:15 37⇒大船林道入口ゲート12:06 22⇒長者原12:46 筌の口温泉(共同湯)入湯
                               (平成8年1月1〜2日)

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