再びの長門・一位ガ岳と周辺の湯の巻
                                  
栗秋和彦
 
 季節の移ろいは確実にやって来る。まだまだ日中の残暑は癒えないまでも、つい先日までの『ギラギラ、ムーッ』とした勢いはなく、行動・徘徊・探索を旨とする自分にとっては、そろそろ“おゆぴにずむ”への自然発生的欲求を満たす時期が到来しつつあるという予感に胸躍ることになる。そこで近場ではあるが先の6月、MTBによる“一位ガ岳と俵山温泉の旅”でパスをした一の俣温泉が気になってしょうがないのだ。そこで家族に声をかけると、子供達は既に各々用件がある(本当かどうか知らん)と言い訳めいた返答。

 一方、奥方の方もとっさの用件を探す素振りは見せたものの、俵山温泉にも寄ることを告げると、少しは食指を動かしたらしく、「お父さんが、一人つまらなさそうにしてるんで、仕方なく付き合ってあげるか、ウン」と意外にもスンナリと承諾を得た。もちろんアドバンテージをかけたつもりで宣ったに違いなかろうが、それゆえ仮に「今度は、キッチリと太宰府の骨董市あたりに、運転手役で行こうよね・」等々の含みをもって宣ったとしても、その時々の判断に身を任せるしかあるまい。 

 まさに最近の週末に於ける家庭内の言動は、微妙なパワーバランスの上に成り立っていると思っているが、それはともあれ、久しぶりの二人旅である。もちろん単なる湯浴み行では“おゆぴにすと”ファミリーの名が泣こうというもの。当然、山とセットであらねばならぬが、とすればこないだの一位ガ岳山頂での眺望は、高曇りでイマイチだったことが、心残りとなってくるのだ。そこで再度、奥方を連れての一位ガ岳登山も、わるくはなかろうと大義名分をしつらえて、独断先行の行程発表となった。

 で、目当ての一の俣温泉・共同湯(大衆浴場との看板有り)は、一位ガ岳の西方(峠)を越え油谷町へ抜ける国道491号(今夏まで県道37号、下関・豊田・油谷線であった。国道に昇格したばかりであるが、部分的にたんぼのあぜ道みたいな細いダートや、くねくね急勾配の林道もどきのワインディングロードもあり国道とは名ばかりである)のまさに道端に、2〜3軒連なるしもたやの一軒であった。看板がなければ見逃してしまいそうな、うらびれたたたずまいである。貼り紙によると、入湯料は大人500円とあるが、1時間以内なら250円とまぎらわしい。

            

 もちろん250円を投じるが、ヌメヌメ、ツルツルとした適温のアルカリ性単純泉は心地よい。流しは素朴なコンクリのたたき、タイル貼りのシンプルな浴槽もかなりの年月を経て年季が入っているが、祭日にたった一人、貸し切りで湯をドウドウと出しながら身を預ける贅沢さは何事にも代え難い。真っ昼間、壁一つ隔てた女湯でも家内が同じ思いをして浸っていることであろう。余談だが、一の俣温泉で共同湯らしきところは、もう一軒ある。この“大衆浴場”から500m程奥へ行った『一の俣温泉保養所』がそれ。木造平屋の長屋風、まるで村の診療所か保健所といった構えであるが、広い駐車場を持ち、何台も車が留まっていたところから察すると、盛況の様子。こっちの方がメジャーであるわな。

 さて今回の大義名分、一位ガ岳登山の話に移ろう。とは言っても、国道491号から林道を経て一位ガ岳西峰の肩まで一気に高度を稼ぎ、ここに車を置いての登山だから、山頂まで20分余の行程であるが、問題は奥方である。日頃、運動らしきことは、キッパリと「家事だけよ・」と言いきるぐらいだから、コルまでの急降下に尻もちをつくのは序の口。滑りそうになると、「ワーッ」とか「キャーッ」とか、かしましい。そしてあげくの果ては「膝が痛い」と言いつつ、コルへ。しかしやっぱりしんどいのはコルからの登りだ。一気に急傾斜の直登ルートを、まるでカエルが斜面に張り付いたみたいに、へっぴり腰でかつ「ハーハァー」、青息吐息で登る姿は、日常ではなかなか見られない真摯真剣な面持ちと、充分過ぎる程日頃の運動不足を感じさせるシーンであった。

 ところが途中で、気を紛らわすちょっとした出来事が起こったのだ。4.5人グループの下山者の後尾にコリー犬に似た中型犬が付いてきた。もちろん「飼い犬を連れての登山だわな」と気にも止めなかったが、我々と出会うとすぐUターンして躊躇なく山頂への先導をしだしたのだ。しかも10年来の飼い犬みたいな表情(犬相とも言うべきか)で、尻っ尾を振りながらであるから当惑半分、興味半分である。よく見ると、なかなかの男前(若しくはべっぴんの下地あり)で首輪もなく、連れて帰ったら子供達が喜ぶだろうなと密かに思うも、アパート住まいではかなわぬ夢か。

 奥方も疲れはどこかに置いたように、この先導犬の後に付きピッチを上げたようである。そしてほどなくの山頂では、催促に応えておにぎり3個、唐揚げ2個、こんにゃくゼリー1個、それにベルギー産のミネラルウォーターと、与えるもの全てを目を細め(?)、尻っ尾を振り振り貪り食らい、すっかり我々に懐いてしまったようなのである。マァ、餌を貰った恩義ぐらいは分かるだろうから、当然の事と言えばそれまでだが、腰を下ろそうものならまつわりついてスキンシップを求めてくるのだ。義理と人(犬)情を重んじるタイプか、あるいは単純に仕官を求めてのビヘイバーかも知れぬ。「うぅ〜ん、こういう“へつらい”には弱いんだなぁ」、と情にほだされる自分を認めつつあるのだ。

 しかししかし、再訪の目的は山頂からの眺望を楽しむことであった。今回はよく晴れわたり、油谷湾や仙崎湾そしてこれらにつづく日本海まで期待どおりクリアに見渡すことができて、なるほど長門随一の眺望を誇る山であることを実感したのであった。先ずは本懐を遂げて、メデタシであるが、気はそぞろ。やっぱりこの犬の今後の処遇を考えると、気になるのですね。我々としては、興味半分で彼の関心を買い、一時の享楽と自己満足を得たが、情けは山頂だけで止めなければならぬ。

            

 ひととおり景色を楽しんだ後、奥方と目配せでさりげなく山頂を後にした。このとき彼は頂の南端に居たはずだ。「しめた、付いてこないぞ」 何か後ろめたく悪いことでもしたように、どんどん下るのも悲しいが、とりあえず忠犬の落胆指数を下げてやらねばとの思いは強いのだ。そしてようやく“逃れた”頃かなと安堵した次の瞬間、尻尾を振りながらも、「おじちゃんたちは冷たいね、黙って置いて行くなんて」といった表情を垣間見せながら、追い付いてきたのだ。ボクは心を鬼にして、追っ払うゼスチャーを見せたが、これにもめげず前になり後を追い、ずーっと付いてきたのだった。そして西峰肩のパーキングには心理的にも追い立てられたこともあって、思ったより短時間で着いたような気がする。

 いよいよ来るべき時が来たのだ。この期に及んでは躊躇することも出来ず、つらいが引導を渡さねばならぬ。ボクは完全に無視をして全速力で山を下る作戦を立てたのだった。しかし車に乗る瞬間、ホンの1〜2秒であったが、図らずも目と目が合ってしまったのだ。瞳が何かを訴えているようで、哀切の念は禁じえなかったなぁ。人間の本性は動物、特に有史以来人間社会への忠実な適応能力でもって、営々と仕えてきた犬族と接する時に一番よく表れるという。好むと好まざるとに拘わらず、ボクのナイーブさ(と言ったら厚かまし過ぎるか....)、いや優柔不断な性格があらわにされたことは、人生修行未熟さゆえの結果か。そして同時にこの山行を少しだけ後味の悪いものにしてしまったようで、自ら蒔いた種とは言え何かしら釈然としないまま下山の途についたのであった。
 
 さて、奥方目当ての俵山温泉であるが、今回は二つある共同湯の一つ、『町の湯』へ案内した。かくいう自分もこの共同湯は初めてで(過去三回訪れているが、いずれも木屋川の川べりにある落ち着いたたたずまいの『川の湯』に浸った)、ちゃっかりと初物にありつこうとの思惑は否定できない。こっちの方は旅館街のど真ん中にあり、大勢の老若男女で賑わっている。番台からつづきのフロアには、しゃれた造りの軽食・喫茶もあり(おばちゃんたちが席を占拠している図は、とても“しゃれた”とは言えず“しわがれた”雰囲気とでも言おうか)、古びた温泉街にあってはちょっとしたモダンアートものであるぞ。

 で湯上がりに軒下のベンチで涼んでいると、目の前に大型のコリー犬が、これも湯浴み後の主人とじゃれあいつつ、現れたんだね。もちろんくだんの“コリーもどき犬”とは明らかに体格・犬相が違っていたが、西方の山々を仰ぎつつ、改めて少しばかり案じたことは付け加えておかねばなるまい。しかし他方では、俵山温泉の名物である“白猿饅頭”(薬師如来の化身である白猿がこの湯を発見したとされる)をしっかりと買い求めたことで、無意識の内に犬猿の仲を増長させ、憂いを払拭していたのではあるまいか。とマァ、こじつけも甚だしいところでこの話はおしまいとしたい。
          (平成7年9月15日)

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