親子三代、夏休み山のいで湯行脚の巻
                         
栗秋和彦 
 
 先日、高瀬がふと宣った「いで湯はやっぱり小国の山川温泉だい・」が妙に気になり、久し振りに行ってみることにした。思えば昭和58年6月九重山開きが雨にたたられ、予定を変更して“山のいで湯黄金ルート”を行脚。その一つとして山川温泉に浸って以来だから、12年ぶりの再訪となった。今回は好奇心旺盛な親父と、さかしい息子を引き連れてであるが、たゆまぬ習練の結果、けっこう“おゆぴにすと”マインドを持ち合わせた域に達しており、これでなかなか湯に対しては小うるさい。

 さて現実の山川温泉周辺はとなると、奴留湯から麻生釣方面へ少し上ったところから右に分かれ、旧宮の原線のアーチ橋(石橋)をくぐったまでは面影があったが、それから先は大規模な道路改修工事中で昔の風景が甦ってこない。共同湯周辺のイメージも湧いてこないのだ。取り敢えず、ひなびた旅籠(山川旅館)の前で車を留め、宿の奥方に聞き及んで、ようやく探し当てることが出来た。共同湯の開き戸を開けると、かすかに記憶が戻ってくる。硫化水素泉がゴボゴボと太いパイプから奥の小さな浴槽へ流れ入り、つづきの主浴槽へ熱めの湯がなみなみと注ぎ込む構図。周りの風景はかなり変わってしまったが、湯屋とお湯は昔のまんま、ハイグレードな山のいで湯である。高瀬の言わんとするところは、まさにこのあたりの事であろうと、確信をしつつ硫黄の匂いに包まれてどっぷりと浸った。

          

 ところで今回の狙いはもう一つ。昼食時を図って、湧蓋山麓の岳の湯に現れ、湯上がりに名物料理“地鳥の地獄蒸し”をワイルドに食しようという計画である。我ながらエキサイティングな構想にほくそ笑み、親父・息子に大いに喧伝してその気にさせ臨んだまではよかったが、地熱利用の調理法だもの、自然のサイクルに合わせたゆとりが必要で、宿の女将によると食えるまでには『注文して2時間半』ということになる。つまり事前に予約しておかないと、忙しき旅人には無理な注文なのであった。後ろ髪を引かれながらもパスをせざるを得ないのだ。そして肩透かしのあおりで、湯もパスして玖珠へ抜ける。さてどこぞ入ろうか、めぼしきいで湯は?....で最近、雑誌(“大分の温泉”だったか?)で知った旧八幡村に湧出する、新興の温泉が脳裏に浮かび上がってきたのだ。

 森町から山国町伊福へ抜ける県道沿いにあるぐらいは分かっていたが、記憶はおぼろげで名も知らぬ、行って見れば分かろう。後は道なりのおじさんに尋ねながら、突き止めたところが、川底という集落。明るく開けた谷あいの大きな一軒家であった。先客の村の古老が宣うには、付近の景勝地『鶴ケ原』と川底の両地名を合作して『鶴川温泉』と名付けたそうな。そぅ広くはないが、内湯のつづきに露天風呂も備え、51℃(玖珠にあっては中々の泉温ではないか。あっぱれである)の単純泉をポンプアップしているという。ビジターは一人250円であるが、件の古老は毎月2000円納めて、日がな一日何回も浸るのだという。いわば“入湯定期券”の制度をうまく使っているとお披露目し、話し相手ができたのか父上との世間話に余念がない。のんびりとした時間の流れが、この山里の湯ではよく似合う。そんな夏の日の午後であった。
                             (平成7年8月7日)

           

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