’95G.Wは山菜狩りと山のいで湯にうつつを抜かしたぞの巻                          
                               
栗秋和彦
 馨しい皐月、憲法記念日は今や父子参加で恒例となった、ツール・ド・国東 80k山岳コースの完走を果たし、夕方にはこれまた恒例となりつつある玖珠の祖父母(Toshiにとって)訪問でG.W後半のスペシャル・プライベート・オプションプログラムが始まった。今年は“おゆぴにすと”方面からの誘いもなく、寂然の念を抱きつつも久し振りのイーハト・ブンゴ(ありていに言えば童話の里を中心とした豊後国の西部を指す)の山々にどっぷりと分け入り、山菜狩りと山のいで湯に興じようと秘そかに思いを巡らしていたのだ。

 そこで玖珠での狙い目は、玖珠川河畔に湧出する玖珠川温泉・清流荘の共同湯にからっぽの頭を捧げることと、万年山西端に位置する玖珠町小田の高原に自生する肉厚たっぷりの“わらび”採取になろう。もとより義父は箱庭的家庭菜園づくりにかけては、手間、暇、財力をいとわず農作業的アウト・ドア指向の強い御仁だが、栽培農法を旨とする典型的弥生人の風貌は、自然の恵みを採取しつつ、行きあたりばったりの彷徨癖をさらけ出して、時を費やす縄文人的な己とは、いささか趣を異にしているので、『わらび狩り』を口に出すのは若干のためらいを伴ったのだが、驚きの表情と共に快諾を得て、急ごしらえの親子三代わらび狩り班は小田の山に分け入ったのだ。

 但し、孫一名はいつもながら「エーッ、オレはそんなこと約束しとらんよ・」とゲームポーイを握りしめて少しばかりの反抗を示したが、まだまだ親の威厳が優っていたのは明らかである。ところで小田の高原を指図したのは、10年前に加藤らと徒党を組んでこの地を訪れ、塩漬にしてひと冬を越す程、大量かつ肥えた『わらび』を採った記憶によるものである。しかし今回は時期が少し遅かったようで、残影は高原のいたるところで見受けられたが、既に葉を広げているものや、地上面にわずか茎だけを残した採取跡ばかりが目につき、いとおしく、ふくよかな年頃(食べ頃)のそれは期待していた程ではなかった。

 それでも脇目もふらず、辛抱づよく・諦めず、コツコツと草原を2時間近くも徘徊すると、買物袋いっぱいとなり所期の目的を達することが出来たのだ。もちろんこの時刻には義父やToshiとはテリトリーを異にして、県境の吉武・亀石山を遠望する見晴らしの良い草原まで足を伸ばしていたので、周りの風景を愛でながらも、単独行動の縄文人的狩猟採取人と化していたのではあるまいか。早い話、没頭しすぎたきらいありで、自分としては後髪を引かれながらも、駐車ポイントへ取って返すと、呆れた表情の二世代顔が揃いぶみで待っていたのですね、当然のごとく。そして予期していたとおり、「父さん、遅いじゃないか。ずーっと待っていたんぞ・」 二人を代表したToshiの言葉が峠道に響いたが、最後の最後までボクの視線は駐車周りのカヤトの植生に隠れるように潜んでいる、年頃ワラビ探索に集中していたので『馬耳東風』とはこのことか。

            

 さて話は前後するが、玖珠川温泉清流荘共同湯の営業休止の顛末も申し述べなければなるまい。3日、玖珠到着と同時に義父を誘って三人で清流荘を訪ねたものの、今までとはちょっと雰囲気が違うのだ。正面玄関を避けて、共同湯へつづく軒下の細い通路が消えていて、周りはえらくハイカラになっているではないか。すかさずフロントのオバさんに尋ねると、改装に併せて共同湯は潰し、泊まり客のみの温泉としたそうな。あぁ、玖珠ではいっとう歴史と風情を兼ね備えた、かの湯が消失してしまうとは何とも残念である。ヌルヌルとした湯量たっぷりの単純泉の浴槽は、思いがけず深くゆったりとしていたなぁ。ここはまだ幼子だったJun(2〜3才の頃だったか)と一緒に浸ったのが最初。この時、Junは浴槽の深さにオドロキ、泣きながらの湯浴みであったぞ。とまれ、思い出には浸っても湯には浸れず、仕方ないので父の提案で町の西端、滝瀬集落にある新興の滝瀬温泉を稼いで一応のノルマを果たしたのである。

            

 さてさて、場面は代わって今度は子供の日、またまた父上は変われど親子三代揃って日田の山へ分け入る。正確には日田郡天ケ瀬町出口(いでぐち)にある、我が家の山林であるが、この山は知る人ぞ知るタラの芽の宝庫なのである。数年前、林道が開通し、以前よりアプローチは便利になったが、タウンカーが入れるようなヤワな道ではなく、結局は林道入口に車を置き、20分程この悪路をつめて辿りつく。雲ひとつない五月晴れに恵まれて、このアプローチだけで汗をかくに充分である。早速、森の中を見遣ると、あのトゲトゲの精神注入棒モドキのタラの木が四方八方に林立している。思わずコーフンしてしまう場面設定ではないか。しかし、よ〜く見ると既に先達者が、少なくとも一回は摘んだ跡がはっきりと見てとれるのだ。

 あ〜ぁまたもや、二番煎じか、と思いきや意外や意外、新芽がしっかりと顔を覗かせている。つい直近に摘まれたのなら、今日の収穫にはありつけなかったであろうが、幸いにも充分なスパンを経たからこその新芽に違いあるまい。ただただ自然界の植生輪廻には恐れ入るばかりである。しかしながら、いざ採らんと欲するも背丈を優に越えるトゲトゲ棒の概ね先端に新芽が出来する現実では、そぅ簡単に摘ませてはもらえないのだ。木をしならせて先端部を手繰り寄せるためには、力強く木胴部をつかむ必要があり、改めて分かったのだが、鉈(ナタ)の類いは必需品である。

 つまり握り部分のトゲトゲをツルツルの肌にしてからおもむろにかしぐ。ホラホラ先っ穂にやわらかでふっくらした新芽が誘っているぞ。そぅ、いとおしくやさしく、来春またお目にかかれますように感謝の念を込めて、木部本体には傷をつけず、頂戴たてまつり候なのだ。タラの芽採りの極意・喜びはこのあたりにあろうかと思うのだが、手元にはちっぽけなスイス・アーミー・ナイフしかない。準備不足をなげいても仕方ないので(鉈を車に積むように段取りはしたものの、慌ただしくのいで立ちで失念したと父上悔しがる)、根気よくこやつで例の作業をこなすと努力には天が報いるものだ。エキサイティングでスリリングな摘み取りの結果、みるみると袋を占めるに至ったのだ。 

 そして山の恵みはタラの芽だけには止どまらず、足元をじっくりと観察するとクルクル巻いた綿帽子調のゼンマイや、本日の主役であるタラの芽に優るとも劣らない春の山菜の王様・ウドの一族が至るところにかしずいていて、森の贅を欲しいままにする気分である。山菜狩りにうつつを抜かすとは、まさにこの情景であろうぞ。ボクは時の過ぎ行くのも忘れて、昨日来の縄文人的狩猟採取人の道をつき進んだのだ。

 さてそうは言っても、昼時には用意した袋の類いは既に満ち足りて下山の運びとなった。両手はふさがり、下りの道すがらも路端のウド君を見過ごす訳にはいかぬ性格にて、荷役満載の末、車に辿りついたが、心軽やかに胸はずむ一日とは今日のことであろうぞ。何も山はピークを踏まずとも、充分リフレッシュできるのであります。そして下山後の山のいで湯は、雑踏を避け(近くの杖立温泉は人と車でいっぱい。とても立ち寄ろうとは思わぬ)少し足を延ばして、10年振りに南小国は山里のひなびた奴留湯の共同湯を訪れた。G.Wのさなかにあっても、旅人ひとりおらず、地元のじいさまと子連れおとうさんの、のんびり湯浴みに割り込んでどっぷりと至福の時を刻んだのだが、湯小屋こそ新しく建て替えられたものの、昔とちっとも変わらぬ風情がそこはかとなく漂うのだ。よそ者が口出す道理ではないが、昔ながらの丸石を敷き詰めた質素な浴槽に、湯量たっぷり、あくまでも温めの硫化水素泉、いつまでも近在の村人のいで湯であって欲しいね。と同時に、週明けの落差がオソロシイぞ、とからっぽの頭の片すみにチラついてくる。会社人間の悲しい性か、思わずの苦笑いがこの旅を締めくくった。
                           (平成7年5月3〜5日)

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