鶴見岳、一気登山は田植えの如きドロンコ競争であったぞなの巻                        
                                  
栗秋和彦
 鶴見岳一気登山大会も早いもので、今年で8回を数えるという。別府湾の波打際から頂上まで約12k、標高差1375mの道程は幹線道路を一切使わず河原を駆け、公園を突っ切り、はたまた野辺の小径を辿りつつ登ることのユニークさは誉めてあげよう。しかしまさか自分が、出ろうなんぞは思いもよらぬことであったが、大分方面の山旅へちっとも誘ってくれない“おゆぴにすと”の面々に業を煮やして(申し込み用紙は2年連続出場の挾間から送ってもらい、誘いにも取れるそぶりとも思いはしたが)といった本音半分、未知へのルートに対する楽しみ(レース中は苦しいことのみであろうが....)半分で申し込んでしまったのだ。もちろん山頂まで本気で走ろうなんておぞましいことは考えてはいないし、一人吠える挾間の挑発に乗るほど“燃えて”はいないのだ。要は下山後、最近とんとご無沙汰している山のいで湯は堀田か鍋割(カラス)の湯あたりの露天に浸り、緑々の自然と風薫る4月を体感しつつ、リラックスするのが目的なのさと秘そかに反芻しつつ、『貴方の特急30分おき』のJRは、ボクのささやかな夢とロマンを豊後の国へ運んでくれたのである。

 しかし、翌9日の本番日は無情の雨。一宿一飯の恩義の手前、挾間邸で出発準備に勤しむワタル兄を前にして「雨降りのレースはしるしぃばい。止めようかねぇ」とは言いづらく、急遽駆り出した高瀬サポーターの運転に身を任せ、ずるずると別府はSPAビーチのスタート会場まで来てしまったのだ。そして受付界隈はそぼ降る雨にも負けず、大勢の物好きランナーやハイカーで賑わっているではないか。もちろん受付会場は活況を呈しており、主催者側の中止はありえないのは火を見るより明らかであろう。落胆しつつ周囲を見渡すと、挾間はもちろんのこと周りはこの雨をものともせず、喜々とした面々ばかりでボクの心を更にユーウツにさせるのだ。そして雨脚は強くなるばかりといったシチュエーションの中、「1時間半は切ってみせるぞ、ワタル兄・」と豪語し盛んに挑発するヒマラヤニスト・吉賀や「今週は200kしか走れなかった。運動不足だわい・(ビールはたっぷり飲んだけど....)」と宣うクレージー・ウルトラ・ランナー岡、更には日焼けした顔に無気味な笑みを残し、ウォームアップに余念のない加治君(大分CTC)とノーテンキな材料には事欠かない。ボクは本気で「えーぃ、君たちはマゾヒストか・」と強く訴えるのであった。 

           

 さてそうは言ったものの、腹をくくって出場した“いだてん天狗タイムレース”の部はおよそ180名の物好き集団がSPAビーチの南端に集結。奇しくも統一地方選のこの日、落選の憂き目に遭うことを予期したかどうかは分からぬが、何かしら陰りのある薄笑いを浮かべた中村太郎別府市長の号砲で9時ちょうどレースの幕は切って落とされたのだ。いざ始まってしまえば、それなりに流れに乗るしかあるまい。そしてくだんのマゾヒストたちの戦意を喪失させるためにも、最初が肝心であろうぞ。とボクはのっけから飛び出し、SPAビーチを縦断する350mの遊歩道をかっとぶ。そしてR10をまたぐ歩道橋に辿つく頃までは5〜6番手をキープしていたのだから我ながらすごい(?)。しかし先頭グループの面々は、ボクにとってはトップスピードとも思える均衡速度のまま、当然のごとく突っ走ってしまうイヤらしき人種たちでもある。

 春木川の河原に入ってからは、ボクの目立ちたがりやの性分も中年性非効率・低トルク・低速度指向エンジンの要求には勝てず、あっさりとペースダウンの道を選んだ。そしていつものようにズルズルと、抜きたいだけ抜かれ(既に婦女子2名の後塵も浴びて)5k付近、堀田の手前では恐れていた挾間からもかわされ、更にズルズルと深淵にはまるがごとくのていたらくで、ロープウェイ下(8k地点)の通過は9時54分。ここはちょっと傾斜も緩くなり、ハーフの部のゴール地点ということもあって、大会本部のテントもあり雨の中でも見物人が多く、少しだけオアシス気分に浸ることができるのだ。

 と突然テントの方から「栗秋さ〜ん・」と黄色い声。思いがけぬ声の主は加治君の奥方でした。彼女も夫の応援に駆り出されて(?)大変であろうぞ。同情とやっかみ半分、そして本音はずいぶんと元気づけられて本格的な鶴見岳登山道に入る。ところがこの登山道、晴れた日でも滑りやすいところを、雨水をたっぷり含んだ火山灰特有の真っ黒な、グリップ力の全くない代物で、木々や草つきを手がかりにしてスリップをくい止めながらの登山(走れゃしない)は難儀そのもの。白の手袋、靴下、シューズのいで立ちでは、またたく間に真っ黒になり果て、田植えよりもひどい有り様。まさにズルズルのドロンコレースの様相を呈してきたのだ。

 そこでコースのコンディションのみを論ずるならば、スキーのアルペン競技に似てなくもないぞ、とスリップに気を使いながら思うのだ。登高と滑降の違いはあれど、シュプールやスリップ痕の出来にくい、なるべく早い順位で通過した方が断然有利になるのだから、と悔しまぎれに断言しよう。そして終盤は女子3位のおばさんと、抜きつ抜かれつ、滑りつ止まりつを演じながら、ほうほうの体でゴールの山頂休憩所に辿りつく。時刻は11時01分(所要2時間01分)を指し、65番の着順完登証を受け取った目の前に、先着した挾間のこだわり顔(ワシゃぁ、12分も前に着いたんぞぅ・ しかし結果は不満。天気が良ければあと10分は縮められたのに......と言わんばかりの表情は、読者諸兄ならお分かりいただけよう)と高瀬サポーターの呆れ顔がセットで出迎えてくれた。

 やれやれともかく何とか辿ついたぞ。全身を安堵感が包み込んだが、心の隅っこには落胆の色が広がり始めたのも認めざるを得ないか。昨年の永田や挾間の所要時分(1時間37〜41分)からして、いくら非効率・低速度指向型エンジンを備えている我が身とはいえ、1時間40分台の後半か、悪くても2時間を越えることはなかろう、といった幻想に囚われていたことが分かったからである。マァしかし、今回はレースに賭けた訳ではないのだからと言い訳を用意しつつ、それでも何となく中途半端なレース結果を悔やむ、複雑な心境なのである。

 でこんな話しはもうよそうぞ。それよりも、雨に加えてガスと強風、視界は20〜30mの中、続々とゴールしてくる岡、吉賀、加治君あたりのマゾヒストグループを迎え、彼らのこだわりや言い訳、はたまた完登のヨロコビなどの弁を聞かなくてはなるまいて。

 さて冷えきった体を堀田温泉・夢幻の里露天風呂に委ね、身も心も幸せになったところでメインイベントの『花見の宴』を開こうということになったが、無情の雨は別府の山里周辺で適当な会場探しを難しくさせてくれるのである。そこで頼みの綱は、これまた応援に駆けつけてくれた地元の荒キンちゃんとなったが、彼女は自信たっぷりに母校、南立石小学校の校庭を推薦してくれた。なるほどまわりは満開の桜に囲まれ、グランドにつながる校舎の地階は広々としたコンクリートのたたきになっていて、雨も降り込まず恰好の宴会場であった。そして山のいで湯にどっぷりと浸った後の炭火焼きとビールの取り合わせに対峙するは、“おゆぴにすと”に生まれて(?)良かったと、しみじみ思うひとときである。加えてノーテンキな仲間と、借景に満開の桜を配して何の異存があろうぞ。特にボクは今日みたいな散り頃の桜がいい...などとさしたる脈絡もなく思ってしまう。若い頃は花が咲こうが散ろうが知ったこっちゃなかったが、最近になってそのへんの感受性ができてきたのだろうか。花ビラがひらひらと舞う中、満開を少し過ぎた頃の花を見上げながら歩くと、実に贅沢な気分がしてクラクラする。桜の盛りの雰囲気というのは、はっきり言って頭がぶっとぶものがあるのだ。まして雨に濡れた花ビラはしどけなくエロティックでいささか誘惑的であり過ぎると思うのだが、それを宴に取り込んでしまったのだから最高の気分である。「ウゥ〜ン、しびれるなぁ」 おっと皆んなが乾杯をしようと、しびれを切らして夢遊病者のボクを待っているではないか。我にかえり、そして田植えもどきのドロンコレースの辛さもすっかり忘れて改めて思うのである。
 「こういう生活を私はしたい・・」と。

            

                           (平成7年4月9日)

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