白銀の九重・坊ケ鶴キャンプで ’95の“山のいで湯”は始まったの巻                                                       栗秋 和彦
 
 昨年は元旦早々、田舎(日田)で早起きしてのジョギング中に転倒。思わぬ怪我を負い、楽しみにしていた正月の九重、法華院温泉山荘一泊のいで湯&祝い酒びたり遠征隊の一員から外れ、地だんだ踏んだ悔しい思い出が記憶に新しい。後日聞いたところ、この山行の言いだしっぺ、こだわりの挾間なんぞは自分の齢も顧みず、いくら九州の山とはいえ積雪の正月に、しかも我が“おゆぴにすと”ならば神聖にしてはしゃぐべからずの九重の山野をジョギングシューズにディパックのいで立ちで、吠えつつ走り回ったという(注1)。何という破廉恥なビフェイバーであろうか。しかも当日の夜は新年を祝って山荘提供の清酒八鹿の樽仕込みが飲み放題だったというではないか。当然、激情・興奮・失禁(?)に至り、騒々しく立ち振る舞ったことは容易に想像できよう。そしてボクはこういう軽薄な(自分が参加できたならば、又べつの感想もあろうが)山行を軽蔑しつつも、かなわなかった昨年の思いを果たす意味からも、この正月に再び九重、具体的にはまたぞろ法華院山荘か、あるいは坊ケ鶴の原野に身を任せ、貴重な正月休みを充実させようと画策したのであった。

 ところが本命の挾間は、寄る年なみには勝てずか、このエクスペディションをキャンセルしてしまったのだ。そこで相棒のポーター・矢野と協議し、今回は凍てつく九重の自然をもっと満喫し、より清貧度合いを深めようと、坊ケ鶴でキャンプとし、加えて息子の寿彦にも自然の教育の場(父親の趣味を押し付けて?)を体験させるため、有無を言わせず隊の一員に命じた。もちろん今回は縁起をかついで、早朝ジョギングは行わず万全の態勢で出発にこぎつけたことは言うまでもない。 

 さて前段はこのくらいにして、元旦の真っ昼間、寿彦が謀反を起こさぬうちにと慌ただしく日田を出発。杖立〜黒川〜瀬の本〜牧の戸を経由して長者原へ。天気は快方へ向かい晴れ間ものぞきはじめたが、昨夜来の降雪で三俣、星生、沓掛山等の峰々は白銀の衣を被り、わくわくするようなシチュエーションに気分は高まる一方であったが、ここに来て寿彦の足ごしらえに一抹の不安を覚えることになったのだ。当然と言えば当然だが、雪の九重に運動靴(まるで昨年のこだわり挾間と同じ状況ではないか)のいで立ちは、結果が見えている。思案したあげく、この地で別荘の管理人をしている友人のS氏を訪ね、相談したところ運よく息子の足にピッタリの長靴を借りることができた。これでノゥ・プロブレムだ。我々は雑踏の長者原ターミナル界隈を素通りして、勇躍吉部の登山口へと向かった。

 今回は坊ケ鶴でのキャンプを唯一の目的としたため、吉部から大船林道に沿った最短ルートの『暮雨の滝コース』を選んだのだ。このコースはボクも初めてだが、挾間の宣うところによると、一部急な登りはあるものの他は水平道の趣を味わいつつ、坊ケ鶴へ至る最短、最小ポテンシャルコースということである。そして午後の陽光の中、吉部登山口から新雪を踏み締めながら登ると、くだんの急な登りで軽荷の寿彦から追い立てられる場面もあったが、なるほど気持ちのよい自然林の小径を散策気分で進むことができた。更に歩を進めると鳴子川の源流を挟んで対岸の平治岳の面長の山腹が、セピア色からだんだんと白銀の世界へ変化し、まるでシャッタースピードを極端に遅くしてとらえた時空のごとき、たおやかな冬の午後、九重の真っ只中に居ることを実感させるのだ。

 そしてようやく登山口から1時間20分余で陽光溢れる、懐かしの坊ケ鶴へ到着。草原の雪はまばらで、5〜6張りのテントが広いキャンプ地をいっぱい使って、思い思いに佇んでいるる様はボクの山登りの原風景なのだ。周りの山々に目を転ずると、三俣、中岳、白口、大船、平治岳と上部は白銀の衣をまとい、傾きかけた陽に照らされ眩いばかりである。このひとときを逃すまいと、ボクの鈍重な美意識でさえも驚嘆の声を上げずにはいられないのだから、今年はツイているぞ、と感動の極みを内に押さえて思わず含み笑い。そしてその傍らで寿彦はと言えば、スタイリスト・矢野が伊達に持って来たピッケルを遊び道具に使い、夢中に周りの霜柱を掘り起こしているではないか。「おい、そこの少年・“長靴”に“ツルハシ”のいで立ちで、この正月に何の工事だね?」とテントを張りながら、矢野の質問。これには答えず、次には雪玉造りに精を出す様を見て、彼の表情は、『落差の大きい親子のシーン』に苦笑いを隠せない模様であった。                           

             
     
 ともあれ、食住環境(テントを張り、新年宴会の準備を終えて)を整えた後は、法華院温泉にて“山のいで湯”に身を投じなければなるまいて、といそいそと1300mの凍てつく原野を横断して山荘へ。さすがに元旦の夕べ、この界隈は坊ケ鶴とは違いそれなりに賑わっているのだ。で予想していたとおり浴場はイモの子を洗うがごとき、あまりうれしくない繁盛なり。それでもどうにか割り込んで、数年ぶりの湯に身を任せたが、なんかこぅしっくりとはいかないのである。何故だ・ 以前のイメージと比較して、浴槽は狭いし温いしそれにちょっぴり高い(300円也)ぜよ、と内心思っていると、同浴のイモの子の一人(少しお酒の入ったおじさん)が「昔は湯量も豊富で泉温も高かったけど、最近は温いんで冬は真水をボイラーで沸かして温泉と混ぜているのさ。その証拠に夏は白濁した温泉だけど、冬は湯と混ぜるんであんまり濁っていないだろ」と断定的に口上を述べ立て、更に一部の疑問に答えるように「源泉をそのまま沸かすと、硫黄でボイラーが一発でダメになるからね」と蘊蓄を傾け始めたが、なるほど理にかなっているし、この湯温では十分に暖まらないと上がれないので、皆聞き流しながらもじっと湯舟のとりこになっている、といったところであった。

 九州の営業温泉としては最高地に湧く(この地から2kとは離れていない星生山直下、硫黄噴出孔に源を発する“硫黄の湯”が九州のいで湯では最高地なのだが、この稿の主旨ではないので)法華院温泉は『高潔(?)、高温、白濁したひなびた山のいで湯であらねばならぬ』とのボクの理想とくだんの現実のギャップに、坊ケ鶴への帰り道一人憂いを重ねたが、同伴約2名の「湯あがりはビール、ビール・はよ新年会やろう」とか「オレ、腹減って死にそぅ」とかの一次欲求レベルがまわりでは、大上段に構えて一人孤高を保つのは難しいと悟り、ノーテンキな新年宴会へ突入せざるをえないのだ。

 ちなみに、坊ケ鶴原野にポツンと咲いた黄緑の“ムーンライト”なる天幕に設けた、急ごしらえの宴席のメインディッシュは、シェフ・矢野が腕によりをかけて(と本人宣う)作ったキムチ鍋。グツグツと煮えたぎる鍋の味見をしながら、彼は我々凡庸の舌には理解できないキムチ特有の激烈な辛さの中にも微妙な味わいをもつ、秘伝のスープに表現できた秀作と自画自賛するところから察すると、もうすでに酔ってきたか。しかし食してみると、これがすきっ腹になかなか応える。おかげで用意したビール2.7・、清酒日本盛一升も時間はかかったものの空になったのだ。

 一方寿彦は旺盛な食欲で貪りながらも「かれえ、かれぇ」と宣い、ポカリを2本飲み干した後、坊ケ鶴の凍てつく清烈な沢水まで飲み続けたところを見ると、ただ単に辛かっただけなのかもしれぬが、その頃には大人二人は既に酩酊度合いを深めていたので、真実は闇に葬り去られたまま新年宴会はお開きとなった。おやすみは10時頃か。

 翌2日、7時起床。とりあえずテントの中は快適で、初夢を見る間もなく熟睡した朝を迎えた。しかし外に出していたコッヘルの水は底まで完全に凍っており、寒気は一級品であろう。そして雲ひとつない快晴、白口から中岳にかけての稜線に、大船山方面から朝日が燭光のごとく赤く照らし、荘厳なひとときを味わう。新春のおだやかな朝に、ここ坊ケ鶴で迎える贅沢のひとつはこんな光景に接することなのかも知れない。さぁ、後はのんびりと準備を整えて、昨日の暮雨の滝コースを引き返すだけなので気分までゆったりしてくる。おきまりのキムチ風味の雑炊でお腹を満たした後、9時半に下山の途につく。山の冷気は厳しいが、坊ケ鶴盆地からゆるやかに下る牧道は新春の陽光溢れるプロムナードの趣だ。しかし、ところどころの水溜まりは完全に氷化して、これがまた寿彦の恰好の遊び場を提供してくれる。跳んだりはねたり、これでも割れない頑固一徹“氷”については、例のツルハシ代わりのピッケルを突き立てて、強引に割れる音色を楽しむという、多少サディスティクな遊びに熱中していた模様であったが、さりとて置き去りにはされたくないらしく、道草を食いながらもしっかりと付いてくるといった、正月の九重にふさわしいのどかな坊ケ鶴盆地からの下山風景であった。

           

 さて下山後の一点はS氏の元へ長靴を返しがてらの星生温泉だ。とは言っても老舗の星生温泉(星生ホテル)とは違い、やまなみハイウェイを挟んで北側、泉水山東麓にひろがる新興の別荘地(2階建コンドミニアム)に湧く、近代的な造りの山のいで湯なのだ。国立公園内の建築基準により、地階の浴場は意図的に目隠しをした外壁に遮られて、眼前に広がる九重の山々を望むことはできないが、S氏のご好意で真っ昼間からいで湯ざんまいに身を預けた。横を見遣ると湯気で濡れた髭をしごきつつ、ニタリノフ・矢野はキムチパワーの高笑いを見せ、寿彦はといえば貸切をいいことにプールと心得て「バシャ、バシャ、ドボン、・・・・・・(潜行中)、プーッ」と喧噪がまわりを支配したが、ボクはこれにはめげず静かに至福の時を過ごした。九重の山に入り、天気にも恵まれ、雪景色と一級の寒気も味わい、長靴のおまけに湯量たっぷりの高温の硫黄泉に浸れて今年は春から縁起がいいぞ。この勢いで一年過ごせますように。

(コースタイム)
1/1 日田11:35・・(松原ダムで矢野と合流)・長者原13:10 30・・・吉部登山口13:40 50・坊ケ鶴キャンプ場15:12
1/2 坊ケ鶴9:31・吉部10:30 40・・・長者原(星生温泉・星生倶楽部)11:00 12:02・・・日田13:25
(注1)おゆぴにすと第6号(平成6年7月1日発行)P55『正月はやはり九重だ』、P60『雪の九重を駆ける』参照
                           (平成7年1月1〜2日)

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