九重・黒岩山、親子三代人助けに功ならんの巻
                 栗秋和彦
 一泊二日の上浦町・瀬会(ぜあい)の浜でのCTC恒例の県南夏合宿では久し振りにスイム・バイク・ランとハードトレーニング(?)をこなし、7日午後3時半の打ち上げで散会。上浦〜臼杵〜野津〜竹田〜久住高原を越えて日田へ帰省した。今回は帰省専用の臨時自家用車を運転手付き(名を矢野と申す)でチャーターし、さかしい書生(言わずとしれた愚息・寿彦)も一名伴ってのお国入りである。途中、瀬の本高原の三愛高原ホテルでラドン温泉・大露天風呂に浸って、潮の香漂うトライアスロンWindから山のいで湯の世界へ切り替えを図ったが、もちろんこの一点で済む訳ではない。しかしながら県の東端から西の端までの車の旅はことのほか時間を費やし、夕闇迫る頃やっと実家の玄関をまたぎ、この日の“山といで湯”活動は時間切れ持ち越しとなった。

 さて翌8日は当然、“山といで湯”の本番日である。目玉は“親子三代じっと我慢”の寒の地獄−継続入湯30分への挑戦である。今夏のような近年希に見る酷暑の時だからこそ、この冷泉の価値は高まるのだ。そしてこのメインディッシュのオードブルとして牧の戸峠から涼風吹き抜ける稜線慢歩を楽しみつつ、黒岩山(1503m)をやろうということになった。この山なら父の歩きでも可能であろうと判断してのことである。

 で話は一気に賑やかな牧の戸峠を経て、対照的に人ひとり会わず静かな黒岩山中腹の急坂に飛ぶ。頭上、一面に文字どおり黒い大きな岩の塊が散在する中、ひときわ大きな岩に立っている幼子を認めた。こんなところで小さな子供が一人山登りに興ずるとはどう考えても不自然である。と同時に我々の姿を認めたのか、堰を切ったように大きな泣き声を発し始めた。何等かの意志表示にちがいない、事故か?、山中で親から見捨てられた家なき子か?、はたまた思い出のこの山で、無理心中を企てるも果たせず子を離し、逝ってしまった母親をおもんばかってのシグナルか?と三面記事もどきの想像逞しい父上は(と想像逞しく筆者も思ったりして)、すぐにでも駆け寄り、事情聴取に参画したい趣であったが、急な登りでは著しく機動性に欠ける身を悟ってか、「トシ、先に様子を見に行きなさい。おじいちゃんもすぐ駆けつけるから」と、これまた興味津々な面持ちの寿彦に偵察隊長を命じ、「こりゃー、苦しい。ヒーヒー、足が棒になってしもうた」と宣いながらも、好奇心旺盛な表情を隠さなかった。このあたりが、ミドルオールドの域ながらヤングオールドを標榜しつつ血気盛んな父の真骨頂なのかも知れない。(話は余談になってしまったが....)

 とまれ、くだんの幼子の立つ大岩まで辿ついた我々に、既に尋問を終えて待機していた寿彦は「どうも山頂近くで親とはぐれて探しているうちに、ひとりでここまで下ってきたんよ。そうやろ?ボク」とメガネを光らせ客観性を装いながら断定的に結論づけた。一方、三面記事的愛憎関係の事件性は薄くなった状況に接して、心なしか落胆の表情を滲ませながらも父は「おぅ、そうかそうか、お母さんも上で探しょるやろうに。心配せんでもいいからね」と幼子を勇気づけ、更に「トシ、先に上へ連れて行って一緒に探してやりなさい」と今度は捜索隊長を命じ、好々爺の面目躍如たるものがあった。気を見るのに聡い親と孫の生態を客観的に見れるのも、子の役回りであろうか、と苦笑しつつ馬酔木(あせび)とミヤマキリシマの群落を分け、スローペースながら事の顛末をしかと見届けるべく、ピッチを上げた父上と頂を目指した。

 そして山頂台地にて、これまた探しあぐねて途方に暮れていた両親を見つけ、引き渡し、その役目を終えたトシは引き返して本隊と合流。「おぉー、そうか、見つかったか、ハーハー、よかった、トシは人命救助もんばい、ゼーゼー」と少し大袈裟ではあるが、喜びと登りの悲鳴ともつかぬ交錯した口調の中にも安堵感を滲ませた表情を見てとった。やれやれである。一方、寿彦はといえば得意げに今度は祖父の牽引車の役目と心得て意気揚々である。

 さて山頂台地の北端、わずかに盛り上がっている小高い丘が黒岩山々頂であるが、ここで必然的にくだんの幼子とその両親に会った。40路を過ぎたと思われる母親は、我々を出迎えて丁重に礼を申し述べたが、岩塊に座って、もやった彼方を見遣る父親は何故か寡黙である。そして至近距離に達して「やや・、お父さんはフランシスコ・ザビエルか、はたまたラモス・ルイか。まぎれもない、正真正銘の外人ではないかいな」と思わず父と顔を見合わせる。

         

 聞けば、オーストラリアのタスマニア島出身、京都在住12年になるが、仕事場が外人ばかりの環境なので、なかなか日本語に疎いのだ、と奥さんの通訳を介してである。そして今度は直に片言の日本語とジャパニーズ・イングリッシュ、それに得意のボディランゲッジを駆使して話し込んでみると、息子を拾って(Takes sonと言ったような?)くれたことに対する感謝の念を伝えようともごもごしている様が感じとられ、ごく普通のガイジンお父さんであることが分かった。更に好奇心旺盛で、話し好きな父上の聞き込み調査の結果、昨夜は別府は明ばん・温泉保養ランドの泥湯に浸り、今日はこんこんと涌く単純泉の決定版・満願寺温泉へ向かう途中(夫婦して露天風呂が趣味だそうな)、たくさんの駐車につられて、牧の戸峠に降り立ち、展望台で景色を楽しむつもりが、立派な登山道に導かれて黒岩山まで登ってきてしまったのだと言う。夫婦共々のサンダル履きが如実にそれを表していたが、一緒に下山しながらあの急坂の下りをどうするのかと興味深く見守っていると、なんのことはない、やおら裸足になり、露岩や木の根っこなどはものともせず、たて髪をなびかせながら強引に下って行くという、さすがオーストラリアの野生児ともいうべきワイルドなシーンを提供してくれたのだった。こうしてオードブルの筈の黒岩山登山が図らずも迷子を拾い、世のため人のために少なからずは成ったであろう結末に水戸の御老公になりきっている父をその表情に見た。

 さて10年ぶりの寒の地獄入湯記の方は飽食の時代とて、メインディッシュは慎ましやかにと、とても30分もの長居は贅沢だと理屈をこねてまず5分で寿彦、心臓に悪かろうと自分に言い聞かせた父上が15分で離脱し、あまり待たせてはとの心づかいで20分で切り上げ、ストーブを友とした。本当のところ、痩せ我慢もほぼ限界に達していたが、相変わらず鋭く刺すような冷泉の威力もなかなかのもの。敵ながらあっぱれであった。隣接する閑散とした食堂にて鳥肌を立たせながら熱いお茶をすすり、かけうどんを貪る姿こそまさに慎ましきメインディッシュであったかもしれぬ。(平成6年8月8日)

                            

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