夏、雲上の湯の愉しみ方〜九重・硫黄の湯〜 
             
栗秋和彦

 遅めの夏休みが始まった。とは言っても土日の週末に金曜日を加えた三日間だけのささやかなものだけど....おっと、リストラ、不景気、そしてデフレスパイラルの当世にあっても、ぬくぬくと夏休みが取れるだけでもシアワセではないか。とそれはさておき、今休暇のコンセプトを「何でもできるのに、何もしないでいる!」と定め、避暑がてら九重は長者原の山荘で実践しようと目論んだ。そこでかねてから思い描いていたこと、つまりは白昼堂々と?女気はいっさい断って、山荘のバルコニーで小鳥のさえずりをBGMにコーヒーなどをすすりつつ、読書三昧で過ごそうという近年稀にみる静かでアカデミックな休日を画策したのだ。フフフ...もうお分かりか? これぞ究極のブンカジン的軽井沢生活を目指そうとするもので、我が崇高なるプランに酔いつつ山中に分け入ったのだ。

 ところがである。ある程度予測されたとはいえ、やっぱりじっとしている性質ではなかった。ものの1時間が限度であって、新刊本の斜め読みやパソコンをいじってはみても間が持たない。何せ標高1050mの高原を吹き渡る風はあくまでも爽やかで、木立の向こうには九重山群の雄、三俣山から硫黄山〜星生山へとつづく嶺々が迫り、我が身を誘うのだ。つまりこのシチュエーションに抵抗できるほど意志強固とはいえず、いそいそと出かけてしまうのだ。まったくもってブンカジン的試みはあっけなく崩れ去ってしまったが、目指すは眼前で噴煙吐く硫黄山を攻め、復路はすがもり越にも立ち寄るワインディングロード13kの早駆け走だ。

 夕刻になって空気は冷清にして澄み渡り、この時期下界なら5kも走れば汗びっしょりのところも、湿気に惑わされることなく爽やかでピッチも上がった。まさに登山とエクササイズを併せ持つこの魅力的なアクティビティを心ゆくまで実践した訳だが、夜は山荘の支配人S氏等と心地よい汗を補うため、ビール三昧の夕餉となり、意に反しつつ(半ば追い求めていた?)享楽的な時を過ごして初日は終わったのだ。う〜ん、精神的清貧を目指したものの、まったくいつものと変わらぬ行動パターンとなってしまったか。しかしこれも我が安直人生の帰結と言われれば言葉はない。

 で二日目はとなると、初日以上にブンカジン的軽井沢生活は望むべくもなかった。と言うのも早朝7時過ぎには招集していた「門司えすかるご」精鋭隊三名が到着したからで、何あろうこの隊は「好奇心旺盛で、アウトドア好き、宴会大好き」という意味において精鋭なので、一人孤高を保ち読書三昧という訳にはいかぬのだ。これはもう九重の山野に繰り出す以外に取るべき道はなかった。

 となれば彼らにはとっておきの雲上の湯へ案内せねばなるまい。九州はもちろん西日本以西では最高所1500mに湧く天然野天自家掘りの湯を、自らの足で登り、自らの意志で浴槽をしつらえて入湯し、もって「おゆぴにずむ」の極意の一端を会得せしめるものであって、ひらたく言えば「自分の湯は自分で掘って入ろう」という単純明快な行動形態なのだ。

 そこで朝食小宴会もそこそこに出立としたが、長者原から硫黄山直下までは、すがもり越への登山道と重なるので、この道すがら大勢の登山者から注視を受ける。それもそのはずランシューズ、ランパンにTシャツ姿は山にはなじまぬ。加えて山荘で借り受けたスコップを担いだ出で立ちだもの、奇異に映るのも無理からぬこと。そして聞かれることはただひとつ、「兄ちゃん(まさか?)たち、何しに行くの?」である。すかさずひょうきんもののM兄は「砂防ダムの土木工事が残っているのよね!」とケムにまいてのおとぼけ登山だ。

 一方、紅一点のU姐もくだんのコスチュームにスコップ片手では、他の女性登山者たちとは次元の違う趣を呈する。まさに異彩を放っていたし、我が長老格のN重鎮に至ってはその風采からして飯場のおじさんたちを統括するリーダー然として、役どころに嵌っていた。周りから言われればすぐその気になる性分は「山のいで湯自家掘り隊長」としては適役なのだ。つまり傍から見ればおかしなグループの珍道中だったに違いなかろう。

 さて登りはじめて1時間余り、硫黄山直下はごろんごろんの、ごろた石の斜面が続いて草木は一本もはえていない。斜面のあちこちに噴き出る硫黄が、明るいレモン・イエローに輝いている。そしてそのごろた石や岩の間を、細い湯の川が流れていて、あちこちに小さな湯だまりができている。湯の川の上流の方は熱くて、流れるほどにぬるくなる。手をつけてみて、好きな温度のところに入ればいいのだ。とは言っても湯だまりは底が浅く、身体を沈めるには自分で砂を掘って「自家用」を造らねばならない。スコップが威力を発揮する所以だが、早速、土木工事にとりかかり15.6分ほどで3.4人が入れる湯船をこしらえた。

        

 白濁したぬるい湯はお世辞にも快適とはいかないが、周りはごろた石、真正面には圧倒的なボリュームで三俣山が迫るシチュエーションは、いつ浸っても野趣に溢れ非日常心をくすぐる。湯船から少し腰を浮かせば真っ青な空の下にすがもり越への登山道が見下せる。この時刻ならまだ登山道をかなりの人が歩いているだろう。そういう人間たちを見下しながら、ここで素っ裸になって白昼の温泉を楽しもうという行為が尊いではないか。これ以上の贅沢はなかろうと思うと、自然に笑みがこみ上げてくるのだ。

 閑話休題、都合1時間ほどで、この雲上の地の湯を切り上げ、すがもり越経由で下山の途につく。心地よい風にまかせながら精鋭隊三名の表情は意気揚々として晴れやかであった。であれば案内役としての任は一応果たしたつもりだったが、彼らはまだ満足せず、寒の地獄をもおとしめようとしていたのだ。もちろん「おゆぴにすと」たるもの、いずこの湯でもひるむにあらず。最低20分は黙って浸り、この冷泉でも範を示したつもりであったが、このおじさん(おばさん)たち、次はどこぞ!と言い出しかねない雰囲気があり、ひとすじ縄ではいかぬ、まさに精鋭隊であったぞ。

と、まぁボクの夏休みの一日はこんな無益な時を費やして過ぎた訳だが、無益だからこそ休みと言えるんであります。その意味では彼らに感謝せねばならないのかもしれない。しかしながらくだんのブンカジン的軽井沢生活は、ますます遠のいていくばかりで、まったく形を成さなかった。ここは己の性分は棚に上げて、「門司えすかるご」精鋭隊のせいにすれば次もテーマに困ることはない。                                                    (平成14年8月17 日)

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