いで湯との出合い
 落ちこぼれオユピニストの弁明
  宮崎 正

 ひと昔前なら、「なぬ!山のいで湯愛好会? 軟弱な!!」なんて言っていた自分であるが、今では一応山に関係する社会人クラブとしては、この「山のいで湯愛好会」のみが暖かく(?)迎えてくれる唯一のクラブとなってしまった。しかし、この会からさえも、今まさに首を切られんとする風前の灯の状態なのである。

 この「山のいで湯愛好会」なるものは、山の中の温泉で、酒でも飲んで、うつつを抜かせばことが足りるものと気楽に、鼻唄まじりで汗を流していたら、あにはからんや、この会は、崇高なるオユピニズムのもとに、いで湯道を極めんとするオユピニストなるものの集う会というのである(創刊号参照)。

 さらにまた、「会員は会誌『おゆぴにすと』に一文を掲載すべし」とのH鬼編集長も出現するやら、生来の筆不精者にとっては、ゆゆしき一大事であり、アルピニストに落ちこぼれたように、今またオユピニストにも落ちこぼれになろうとしている次第である。しかし、落ちこぼれにもいささかのプライドがあり、いで湯との本格的(?)出合い及びその付き合いも若干のアカデミックな一面もそなえており、諸兄よりも幅広い実績を有しているのではないかと考えている。

 そもそも、いで湯との出合いは昭和47年の九電大岳地熱発電所の熱水及びその周辺地域の温泉水の調査に同行(手子として強制参加)させられたことに始まる。これらの調査結果は「含砒素熱水による筋湯川(筑後川支流の玖珠川上流域の通称)の砒素汚染問題」(現在は熱水の地下還元により問題なし)を提起したことで有名であり、熱水中の砒素濃度(Asとして約2〜3mg/l)を広く知らしめることとなった。

 しかし、自分としては、学友と汗を流した、筋湯温泉の共同湯である「うたせ湯」に思い出が残る。筋湯は湯治で有名な温泉地であり、「うたせ湯」の滝湯(すじ湯)で我々もいろいろなところをうたせて騒いだものであった。この「うたせ湯」の効能については本誌創刊号の「クリさんのいで湯行脚−1一」で実証済であるが自分たちの効能については、うたせたところがところだけにはっきり申し上げられないのが残念である。

 また、若きクライマーの華麗なる(?)テクニックを被露して垂壁を攀じたことなどを思い出すのである。なお、この「うたせ湯」などの筋湯温泉の泉質は、温泉分類上は一応「単純温泉」であるが、PH約3〜4と酸性で、地下水に深部熱水及び火山性ガス(亜硫酸ガスなど)が作用して生成されたものと推測され、地熱地帯周辺に見られる温泉の型であり、単なる「単純温泉」とは異なるということを付記したい。

 その後、公害衛生センターで奇しくも温泉分析等に従事することとなり、関孫した約7年半の間に県内の若干の温泉と接することができた。しかし、当時としては、はなはだオユピニズムに欠除しており、汗を流したいで湯はごく一部であった。それでも、温泉分析に従事した最後ぐらいとなると、若干のオユピニズムなるものも自然に熟成されてきたものと思えて、強酸性泉である秋田県玉川温泉(PH約1.1。自分のような善良な者は良いがスネに傷をもつような人は入浴不可。要注意!)やラジウム泉(放射能泉)で有名な、鳥取県三朝温泉の露天風呂(温泉街を流れる川の河原に湧出している。直上流に橋があり、夕方の風情が格別の趣きがある。)などに鋭意入浴したことを思い出す。

 しかし、鋭意入浴といえば、北アルプスの秘境、黒部源流にある高天原温泉の露天風呂を目指した山(湯)行は、自分にとっては、まさに、オユピニズムを実践し、オユピニスト足り得た数少ない山行ではなかったかと思うのであり、語らずにはおられないのである。しかし、前述のように、生来の筆不精のためにエンジンのかかりが悪く、締切りを過ぎてはや一週間になろうとしており、この山行については次回ということで筆をおくこととする。編者に迷惑をかけたことをここにお詫びする。

 ちなみに、筆不精については、唯一の転勤の時(S58年)にあて名書きを不精して、一枚の挨拶状も出さずじまいとなってしまったことがある。また、山旅等で知り合いながらも、筆不精の為に御無礼した人々も多々あるので、良い機会であるのでこの紙面を借りて、これ等の人々に御無礼を丁重にお詫びしたい。(つづく)

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