名山探訪 第3回 −大台ヶ原山と天城山−
                                 挾間 渉
 我々山仲間の間で、あまりハードでない山登りを云う場合に、よく「チンタラ登る」と表現することがある。このチンタラという言葉の響きは、無計画で行きあたりばったりという感じで、あまり好きではないが、ひねもす心ゆくまで草原の旅情を満喫しながらの山歩きは、私の願いとするところである。特に滅多に行けない中央の初めての山で、そのような歩き方を一度ゆっくりしてみたいというのが夢である。ところが現実はどうであろう。近頃は、年休をとって山に行くなどということが以前に比べできにくい。県外に出かける数少ない機会を貪欲に利用することになる。といっても、そのような山登りというのは時間の拘束が甚だしく、草原の旅情を味わうなどという心境には決してなれない。

 しかし、中央の山など遠方の山々に何日も休暇をとって出かけるということが出来にくい以上、また多くの名山に足跡を残したいと思っている以上、さらに限りある人生である以上、とにかく貧欲に、少しでも嫁げるチャンスに稼いでおかねばならない。今回登場の2つの名山は、いずれもそのような所用を利用した慌しい山行であり、標題の「探訪」とは、いささかニュアンスを異にする。そもそも「探訪」とは、全国各地の名山と称される山々を訪れ、その山にまつわる歴史、民話、伝説など山とその周辺のあらゆるものにまで気を配るという意味合いが込められ、また、ゆとりある山行という、現実とは裏腹な筆者の切なる願望が込められた言葉なのである。

大台ケ原山
 大台ケ原山(1695m)は、紀伊半島西部に位置し、奈良、三重県境にある高見山から始まって南に延びる台高山脈の南の終り近くに盛り上っている山である。この山に惹かれるようになったのは、NHKの日本紀行か何かで、大杉谷の大峡谷を見た時からである。多量の降雨が育くんだ豊かな森林と、大蛇嵒(ぐら)などに代表される巨大な岩壁、次々と素晴らしい滝が現れる大杉谷の峡谷美とともに、水は清く豊かで日本中でも屈指の渓谷と言われる。岳人と称される者ならこの山に食指が動かないわけはあるまい。

 さて、数年前の秋、大台ケ原山を訪れる機会を得た。名古屋での所用を終えた私は、紀伊半島を南下し、その日は独り熊野に投宿し、翌朝、奈良交通の南紀縦断バスで熊野を出発。大台ケ原登山の拠点となるわさび谷で下車。わさび谷までの行程は、ダムとその一帯の紅葉が印象的であった。奈良交通北山営業所の話では、わさび谷より昼前に大台ケ原行きのバスが出るとのことであったが、一向にその気配はなし(実は10月末で運休)。最寄りの街まで15km。週末というのに車は全く通らず、止むなくタクシーを呼ぶこととなったがかなりの出費であった。

 わさび谷よりは約10km程で大台ケ原山頂近くの駐車場着。頂上付近はガスで全く眺望がきかず時折小雨がぱらつく天気であった。この大台ケ原山一帯は日本有数の多雨地帯であり、「大台ケ原に登って雨に会わない人は余程行いの良い人」と言われるくらいなので、日頃の精進の悪い私にとって、これは止むを得ないだろう。

 霧と小雨の中、良く整備され、登山道というよりは自然深勝路といった感じの歩道を早足で登る。何しろ9.2kmの周遊コースを行くわけであるが、バスの最終時間まで2時間50分しかない。従って散策などといったものではなく、かけ足づくめの、日程の消化といった感じである。14時すぎ、一等三角点のある大台ケ原山の主峰日出ケ岳(秀ケ岳とも書く。1695m)に着く。そそくさと記念撮影。何しろ背広に皮靴、途中買い求めた小学生用使い捨てレインコートで腕の半分まで胴の半分まで雨をしのぐだけといった出立ちで、端でみたらおかしくなるだろうが「旅の恥は掻き捨て」とばかりの厚かましさである。
 慌しい記念撮影の後、三角点の山頂を後にし、樹幹がしっとりとこけむしたトウヒ、ブナ、ウラジロモミの原生林を進み、正木嶺(まさきとうげ1690m)のピークを過ぎ、正木ヶ原着。ここら辺では、クマが樹皮を食うため(とくにウラジロモミとか)、それにより枯死し、数百年も経った白骨林が随所にあり、石鎚山のそれを思わせ感慨深いが、クマが出没すると聞いては、ゆっくりもできない。早足で正木ケ原、牛石ケ原をダラダラ登り下りした後、大蛇嵒に着いた。この大蛇嵒付近の尾根一帯はツクシシシャクナゲがあたり一面にあり、また晴れていれば眼前に紀伊半島の最高蜂八剣山を盟主とする大峰山脈の長大な尾根がせまるであろうに、実に残念である。

 ところで、大台ケ原や大峰山脈などには、この大蛇嵒をはじめとして、せいろ嵒・千石嵒など嵒(ぐら)と名のつく岩場が随所にある。新字源によると嵒は岩の別体、厳(がん)の俗字で、山にある大きな石の意を表わすという。嵒(がん)をこの土地では(ぐら)と読む。日本有数の多雨地帯である台高、大峰山域では、滝、淵、ろう下とともに、これら嵒が発達したものであろう。「日本登山体系」によると現在、この山域にある主要な嵒はほとんどがトレースされており、例えはこの大蛇嵒のP3南壁には「ここにもあったぞエルキャピタン」ルートなどX級Alのかなりハイグレードなルートも開拓されていると聞き、大蛇嵒の頭より下を覗き込むが、眼下ほ霧一色。ここら辺一帯は秋はもう終り、そこここに冬の足音を感じながら小径を足早に下り、シオカラ谷の吊り橋に着く。

 ここは大杉谷の源流にあたり、この吊り橋の直下まで、NHKの日本の四季などでみた幾つもの名瀑布や淵が幾重にもつらなって秘境を形ち造っている。それら名勝に思いを馳せながら、残り少ない時間を気にしつつ吊り橋を渡り、急な登高の後、ウラジロモミの平坦な林の径を通り抜け、先程の駐車場に戻り再び車上の人となった。

 帰路の心中は、日本百名山の一つを嫁いだ満足感ではなく、大台ケ原に登って、ただ山頂を踏んだというだけの虚しさが残るだけであった。日本有数の降雨が造った大杉谷という素晴らしい峡谷、その峡谷に入らずして見ることのできない数々の滝、淵、ろう下、嵒‥…それに加えて、この大台ケ原には2ケ所に山のいで湯がある。地図でみるかぎり、まさに辺境のひなびたいで湯といった感じである。ゆっくり来られる機会があれば、その時は、小処温泉→大台ケ原山→大杉谷(あるいはその逆)と通してみたい。大台ケ原はもう一度来なければならない山である。でなければ、真に大台ケ原に登ったことにはならない‥…などと考え、次回に思い馳せながら大台ケ原を後にした。(コースタイム 8:55熊野 11:30わさび谷 13:30大台ケ原山頂駐車場 14:03日出ケ岳山項 14:20正木ケ原 14:40大蛇嵒 15:00 シオカラ谷 15:40駐車場 昭和57年11月6日の記録)

天城山
 伊豆半島の主稜・天城山(1407m)は、標高、山容などからしても、とりたてて名山の風格があるとは思えない山である。日本百名山の選者、深田久弥氏は、名山として具備すべき条件として(1)山の品格、(2)山の歴史、(3)山の個性……以上の3点を重要な選定基準とし、「及落すれすれでふるいにかけねはならぬのは、愛する教え子を落第させる試験官の辛さにも似て、愛するものは選択に迷う……」としながらも、本人の主観と身びいきが、価値判断に多少とも影響した感を否めない。天城山もそのような選者の身びいきを感じさせる山というのが、登る前の筆者の印象であった。しかし、日本百名山にリストアップされ、筆者がその百名山に足跡を残そうと志ざした以上、遅かれ早かれ登らねばならぬ山である。

       
                     万三郎岳

 地図の上で天城山と称されているのは、伊豆半島の東海岸から起こって遠笠山、万二郎岳、万三郎岳、天城峠、猿山、十郎左衛門山、長九郎山と続いて西海岸に終る山域一帯の総称である。天城で一番高いのは万三郎岳、つぎは万二郎岳でこの2つのピークを頂点に、上記の他の山が連なっている。

 一昨年の暮れ、前述の大台ケ原山同様、所用を利用して登る機会を得、慌しい山行となった。日曜日の夜9:00までにどうしても東京の宿に着かねばならぬので、逆算してゆくと、私に与えられた時間は実動6時間。前回(大台ヶ原)の轍を踏まぬよう、ただ頂きをきわめるだけでなく、できることなら天城峠まで、天城主稜22Kmの行程を走破したいと欲がでる。

       

 前夜、大分を夜行で発ち、翌朝熱海に商売道具一切をデポし、伊東着が9時30分丁度。10時に伊東駅定刻発のバスに乗る。海は真青、伊豆の山々は動きの早い雲に覆われつつあり数時間前寝台特急「富士号」の車窓より見た秀麓な富士の山容は、天城高原までの道中では、だんだんあやしくなってきた。暖かい伊豆半島とはいえ12月の関東の山のこととて今回はツェルトをはじめ多少の装備も用意したものの、天候の急変では、せいぜい山頂往復にとどめるべきか、などと思いを巡らすうちに、バスは、有料道路を走り別荘地帯をぬけ、終点、登山口の天城高原ゴルフ場に着いた。幸い天候も何とかもちそうだし、登山道も良く整備されているので思い切って天城峠まで縦走することにする。

        
                山頂付近の霧氷

 万二郎岳の登りは、アセビ、ヒメシャラ、リョーブの谷筋を詰め最後は急登となるが途中2ケ所眺望の良い場所があり、振り返ると遠笠山、大室山、矢筈岳の眺望が良く、眼を転じれば眼下に太平洋の黒潮が一望できた。万二郎岳の山頂では、伊東の駅で仕入れたゆで卵をほおばり、アセビの真っ直ぐなトンネルをかいくぐるようにして昼すぎ楠立(はなたて)着。ブナ、サラサドウダン、ヒメシャラのほか名前の由来となるシャクナゲも随所に見られ、シーズンなら花が見事であろうなどと考えるうち、一等三角点のある天城の主峰万三郎岳に着いた。

                

 ガイドブックでは、上に立てば眺望抜群とされるヤグラは壊れており、木々に囲まれ眺望は今ひとつといったところ。しかし、静かな奮囲気は気に入った。自分にもっとvocaburaryがあれば、この静寂さを十分に表現できたところなのに残念だ。軽食と記念撮影ののち、足早に先を急ぎ、小岳、片瀬峠、白田峠とクマザサの単調な小径をもくもくと歩くうち、今回の登山中初めての動物(静物の反対語としての)の歓迎を受ける。静かな山とはいえ、小鳥の気配すら感じられないのがちょっぴり不満であっただけに小鳥の歓迎は嬉しかった。

        
                 神秘的な佇まいの八丁池

 神秘的なたたずまいの八丁池に着いたのは14時を少し回った頃であり、片わらの見晴らし台では360度のパノラマが開け、思いもかけぬ方角に新雪の富士が望まれ、びっくりするやら感動するやらであった。今回の持ち時間は6時間で、天城峠最終便のバスに間に合わせるため、八丁 池までは全く余裕がなかったが、予定よりかなり早く八丁池についたので緊張が急にゆるみ、どっと疲れが出たせいか、天城峠までの御幸登山道は随分長く感じられるようになった。途中の沢にワサビ田がみられたが厳重に有刺鉄線で囲いをしているのには、いささか興ざめし、徒然草の「神無月の頃‥・」の一節ではないが、「この鉄線無からましかばと覚えしか…」と、兼好さんの気持ちが察せられる感じであった。

                
                    旧天城トンネル

 さて、今回の登山もいよいよ終盤、旧天城トンネル南口に下り立ち、踊り子も通ったという天城街道をもくもくと下り、途中河津七滝の最上部の二階滝を眺め、夕闇みせまる頃登尾のバス停に到着し、今回の22kmの全行程を終了。伊豆急河津駅まではバスの車窓から湯ケ野の温泉街を横目に、またまたゆとりのない山行を悔やむ。山のいで湯愛好会としては伊豆の山に登り、いで湯抜きで素通りするのは会員失格ということである。もう少しゆとりのある山行をと願いつつ東京までの道中を急いだ。

 天城山は、山容など当初の印象とさほど変らないが、静寂な山で、とくに富士の眺めが素晴らしい。いろんな所から思いもかけず富士の容姿が見え隠れし、百名山の貴重な一点となった。(コースタイム 8:32熱海 10:00伊東 11:00天城高原ゴルフ場 11:50万二郎岳 12:31万三郎岳 12:57小岳 13:14片瀬峠 13:35白田峠 14:10八丁池 15:45旧天城トンネル 16:45登尾バス停 昭和58年12月12日の記録)

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