屋久島の温泉    安部正幸     
 山のいで湯愛好会の皆様、お元気ですか?創立会員である高瀬正人氏より、“おゆぴにすと”記載の原稿依頼を受けてから2ケ月が経過し、高瀬の青ざめた顔と、脅迫に屈して筆を取りました。今回は一風変った温泉を紹介致します。湯の湧き出る所は九州本土の遥か南方にある洋上のアルプス屋久島。鹿児島港を出て、今尚噴煙を上げる桜島、薩摩半島先端の開聞岳、九州本土最南端の佐多岬、更には鉄砲伝来の地種子島を順次眺めながらの船旅4時間余、(予算に余裕のある方は飛行機でどうぞ‥‥‥所要時間40分)。

 九州最高峰の宮の浦岳(1935m)をはじめ永田岳、翁岳、黒味岳等、九州最高峰を独占する正に洋上のアルプスであります。位置する所北緯30°20′、東経130°13′、島の周囲105q、林芙美子女史云わく「1ケ月に35日雨が降る。」という島であります。この雨の恵みで、屋久杉と呼ばれる大きな杉が育まれます。樹令3千年、根廻り30mにも及ぶ縄文杉、大王杉、夫婦杉、ウイルソン株等の巨木は大自然の驚異と神秘を感じます。これらの杉は、安房→小杉谷→高塚小屋→宮の浦岳の登山コースにあります。

 屋久島の観光としては、白谷雲水峡、熱帯植物ガジュマル園、屋久杉原生林のヤクスギランド、サンゴ礁のきれいな海等々、また、屋久島は釣りのメッカでもあります。人、鹿、猿、合せて6万と云われた頃から比べると鹿、猿共に激減し現在では各々300匹程度となっています。

 この洋上のアルプス屋久島にも温泉があります。9月下旬、我々が訪れた温泉は平内海中温泉、たどり着いたが、海岸へ降りる道があるだけ。見えるのは果しない東シナ海のみ。首をかしげながら海岸へ。何と、海の中に浴槽が見える。満潮時には入浴できない温泉であった。やむを得ず6q離れた尾之間温泉へ食糧とアルコールを大量に買い込み、国民宿舎“屋久島温泉”駐車場横の空地にテント設営。

 水は近所の民家からのもらい水。湯は国民宿舎にて盗み湯‥‥‥うまく行ったと思ったら、追いかけて来て1人150円の入湯料を請求された。気前良く600円を支払ったが、(4人だから当然の金額)相当の悔しさが残った。山のいで湯創立会員の方々なら、こんな失策は無いだろうが我々素人は余りにも堂々としすぎていたらしい。国民宿舎玄関の出入りが勝負であったと深く反省しています。

 翌日、潮の具合を眺めながら再び平内海中温泉へ。驚いたことに観光客の団体様が入浴中。我々の姿を見ると、大昔、女性だった方々が大きな恥じらいの声をあげながら恥じる様子なく入浴を楽しんでいる。更衣室も無ければ衣服を入れる籠もなく、海岸の岩の上へ脱ぎ捨てて、ドボン、ドボン、やっと入浴。若干ぬるくて、塩辛い。湯舟の下(岩の間)から湧き出てくるお湯はかなり熱い。

 後から来た地元の人に聞くと、湧き出て来る湯が今まで溜っていた海水を押し出すので時間がかかり、徐々に熱くなり、塩分もなくなるとのこと。熱くなったらすぐ脇の数m底まで見えるきれいな海でひと泳ぎしてからまた入浴。廻りの岩の間の溜りに熱帯魚らしきものがいた。前日は本富(モッチョム)岳を眺めての入浴。この日は東シナ海を眺めての入浴で、大自然を満喫できた。にぎやかな団体様が去り、お湯も快い温度になった頃、ちらり、ほらりと地元の方々が来られた。入浴の時間帯を心得たご出勤であります。毎日の入浴時間が潮の干満により変化すると云う月よりの使者か?

 この平内海中温泉、以前は地元青年団により管理されてきたが、若者の数の激減で、現在では地元老人クラブの管理となっています。ここでも高齢化社会を考えさせられました。海岸入口の石段降り口付近に入湯料金を入れる箱があり、料金不明ではあるが、温泉の補修や清掃費用に充てているとのこと。

 先の団体さん、誰一人料金を支払っていない。(日本の将来に不安を隠せない)。我々は盗み湯はすれどねずみ小憎の心理。大枚はたいて平内海中温泉を後にした。平内海中温泉のすぐ側に湯泊温泉と云う温泉があり、やはり海岸に湧く露天風呂である。温泉の泉質は尾之間温泉が単純硫黄泉、平内、湯泊は硫化水素泉、温度は40〜50℃。効能は、金属中毒、心筋障害、皮膚病、婦人科疾患、きり傷、糖尿病によい。

 もう一つ重要な話がある。私が屋久島を訪れたのは今回が6度目であるが10数年前、最初に屋久島で飲んだ焼酎「三岳」の味が忘れられない。年に数回はこの焼酎の夢を見るほど!! 2日日の夜、金も無いのに無理をして民宿へ泊ることとした。屋久島で民宿に泊るとは初めての経験でしたが泊った民宿は若くてきれいな奥さんの手料理が自慢。そして出てきた焼酎が“三岳”私にとっては盆と正月が一諸にきたような喜び!! 1升ビンがアッと云う間に底をついたが、即、新しいビンが出される。そして焼酎はいくら飲んでも只!! 創立会員の皆様なら、屋久島名物 1p大の雨粒に匹敵する涙を流すことでしょう。民宿の屋号はお教えしませんが、屋久島へおいでの節は是非この民宿を御利用下さい。

 温泉は私にとって今日の疲れをとり、明日の活力を生みだす必要、不可欠の存在であります。これからも先輩諸兄の御指導により、意義ある入湯を心掛けたいと思います。  (昭和59年9月21日〜24日)

back