東京だより   松田 篤司

 早いもので、花のお江戸とは名ばかりの、東京勤務となり、3年と3ケ月、…初めは、雑踏、騒音、スモッグ等に気分が悪くなり、かつ日本が世界にはこる超過密電車での通勤にスタミナをうばわれ、早く太陽と緑と、そしていで湯の九州への望郷の念にとらわれていたのだが、人間環境順応力のおそろしさか近頃では、電車の中でも余裕が出てきて、立ったまま寝るやらはたまた美人の側にすり寄ったりするやらで、いっぱしの東京人顔をする様になってきたのが現状である。

 こと山、またいで湯に関しては、仕事の多忙な事もあり、近郊の山々への意識は頭の片隅にはあるものの、実行するにいたらず、マイナーな「ビーパル」を定期購読し、心の中のアウトドアー指向をなぐさめているのが実情であったが、7月下旬、大分より「おゆぴにすと」創刊号が送られてきた。一気にかつ、むさぼる様に読み通し、心の中にくすぶりつづけていた山へのあこがれが、またもや一気に再燃しはじめた。

 例の件で、大分登高会での活動を止め、山への気持は持ち続けてはいたが、社会人として勤めが優先する年令ともなり、それを口実に山への歩みを止めてしまったが、当時の仲間の顔ぶれがなつかしく思い出され、なにやらあつい血潮がわきあがる思いでいっぱいになった。

 8月中旬里帰りを行った折、仲間に馬鹿にされぬ様にと、えびの高原の湯につかり、東京で汚染された体を充分に洗い清めた。また高瀬君より、「九重ファミリーキャンプ」にさそわれた折は、両手をあげ同行すべく願った。九重での2日間は、実に楽しくかつ充実したメルヘンの日々であったし、この様な楽しい顔をして、野山をかけめぐる我子の顔をみたのは実にひさしぶりであった。筌ノロ、法華院、由布院の湯につかり、下町のナポレオンを味わい、高原のさわやかなオゾンを大量に味わい、かつうまいものをたらふく食らった為、体重は3sも増える結果となったが、深夜までローソクの明りの下で高瀬、挟間両君と、我々で、是非山荘共同所有の意見に酔いしれ、何が何でも実現すべく熱く語りあかした。女房もなんとなく脈ありと感じられた。

 東京へ帰ったのち、大分本部より馬鹿にされぬ様にと考えているうち、またしても例のごとく机上論ばかり先走り、10月の那須温泉、大丸温泉のみで、現実はなげかわしい状況である。東京近郊にも色々ないで湯があるが、ぜひ上越、鬼怒川、伊豆の秘湯へ足をのばすべく考えながら今日もまた、新橋のガード下の赤堤灯で、チューハイにてストレスを解消する日々である。

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