東北の山のいで湯体験記     伊藤道春

 時季は7月、九州は連日うだるような暑さが続く中、私は涼を求めて東北へ避暑旅行を!となった訳ではないが、会社の出張で田沢湖高原温泉へ行くことになった。宿泊地は付近に乳頭温泉郷などがある。温泉群集地ということで職場で机を並べて、私を「山のいで湯愛好会」へ誘いこんでくれたK先輩など、出張を横取りしようという気配がして、この出張が危ぶまれてきた。しかし、そこは仕事第一ということで担当の私が、先輩、後輩の圧力を排除、温泉入湯の経歴にも関係なく無事に東北へと旅立てました。

 出発前に調べたところで、乳頭温泉をはじめとして、ひなびた山の湯の風情の温泉が多いということで、当会々員としては、これらすべてを湯破して一躍名を上げようと息込んで、重い出張カバンを抱えて、汽車へ乗りこんだ。しかし、目的地へ着くと、予想に反して仕事の方が忙しくて、なかなか温泉巡りができない。これでは、九州へ帰れないと、早朝眠い目をこらえて宿付近の露天風呂散策へと出かけた。

 この努力で入湯できたのが、黒湯温泉、鶴の湯温泉、蟹湯温泉で、手だけ入湯したのが大釜温泉、妙ノ湯温泉、孫六温泉であった。一番印象に残ったのが、黒湯温泉で会議の合間に、自転車で雨の中を行ったもので、乳頭温泉郷では最高地の山あいにあり、湯治客用のかやぶき屋根の宿が3〜4棟ある程度のひっそりとした温泉であった。岩手のある財閥が保養地として手に入れたものだそうで、別荘も高台にあった。受付に行くと入場料金300円とあった。高いと思ったが、ここまで来て盗湯するのもみみっちいと思い、正規料金を受付のおじいさんに払い入った。おじいさんによれば、有名な、女優さんも来て入ったと説明してくれた。どうも中野良子らしかった。

 風呂へ行くと、東北の風呂らしく、木製の風呂で、透明な湯であった。外に打たせの湯と屋根だけつけた露天風呂があった。露天風呂の柱は、白樺の曲りくねった原木を使っていて、自然味があった。湯舟は畳2畳ほどで、先客が3人入っており、皆酒かビールを飲んでいる。1人の50年配のおじさんが、かなりよい気分になっていて、若い相棒にしきりに温泉談議をしていた。若い人は、しゃべることはなく、聞いているだけで素直に相槌をうっているので、会社の上司のお伴で来ているのだなと思っていたが、突然失礼しますといって出ていってしまった。おじさんは聞き手をなくしちょっと静かだったが、今度は私に向って話しかけて来た。この人の話によれば、この露天風呂は、いくら長湯してものぼせないといい、一杯やりながら入るのには一番いいという。

 そう言われれば、足元が肩の部分に比べて温度が低い気がする。お湯の取り入れ方が、変わっていて、混ざらないのかと推測したりもした。私が九州で、露天風呂を入って回っているというと、ここは、どの位のランクになるかと聞いてきたので、上位ですねと答えると満足そうにうなづいていた。話を聞くのもだんだん飽きてきたので、私も失礼しますと出て来た。うたせの湯では、おばさんがビニールの袋を頭にかぶって気持よさそうに湯にうたれていた。他に入った鶴の湯温泉も、発電機で電気をおこしているところで、大きな露天風呂もあり、楽しいハプニングもあったが、また別の機会に説明することにする。今度は、仕事のついでではなく、ゆっくりと来てみたいと思いつつ、何とか出張の仕事も終え、九州への帰路についた。(昭和59年7月8日〜10日)

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