何故、今、山のいで湯なのか  〜落ちこぼれアルピニストの弁明〜
                                   高瀬正人
 かって山岳界において「ヒマラヤ鉄の時代」と呼ばれた時期に、「アルピニズムの実践」を目指し「地方においても」勇躍、我と我身の全エネルギーを燃焼させる一団がいました。ある者は焼ける岩肌に自己の血を染め、また凍てつく氷壁に息を凍らせ、そしてまたある者は絶えずおそってくる死の恐怖と闘い続けました。

 彼らは常に闘いの中にいました。そして彼らは自己の「高みへの序曲」を少しづつ攀り、奏でずにはいられない自分を感じていました。「危険を甘受しなければ、真のアルピニズムは存在しない」。彼らはこのドメゾンの言葉に酔いつつ、次第に自己の限界との闘いをエスカレートして行きました。

 しかしながら彼らの自己表現としての岳は、職場、父母、友人たちなど彼らをとりまく人々にとっては、あまりにも理解を越えたものだったのです。非打算的・非生産的・反社会的行為=繰り返される岳の悲劇、そして非難中傷に無言で耐えました。「山は語るものではなく体験するもの、感ずるものなのだ」そうつぶやいていました。

 「ヒマラヤ鉄の時代」に手が届きかけた頃、彼らの中にはもう一つの大きな壁が、大きな山が、そびえつつあったのです。気が付いてみると彼らの中には、守るべきものが次第にそのウェイトを増していきました。それは自己の限界を感じるのと殆ど同時でありました。そして日常生活の心地よさを、手を伸ばせば何でも手に入る豊かさを感じていたのだった。その豊潤さは彼らを悩ませました。彼らの悩みは同時に「パッション」の後退だったのです。.....そんな時のとある「アクシデント」.....彼らは互いに分かれたのだ。アルピニズムの結束とは、言ってみれば薄氷に打ち込むアイスハーケンなのです。ある者は仕事に精を出し、またある者は良き家庭人となり、良き一般人となりました。理由の如何を問わず彼らは完全に「アルピニズム」より退却しました。彼らは解放されたのです。この「アルピニズム」なる極度に困難で高邁なるイズム(精神)の実践は、我々凡人には所詮かなえられぬ夢なのでした。

 が、しかしながらある者はこのイズムの実践=「ヒマラヤ鉄の時代」に乗ったのです。怪峰ジャヌーに挑んだ彼。あと数百米で涙をのんだのですが、彼は「神々の座」を見た数少ない人間のひとりとなったのです。彼と我ら凡人との違いは何なのか。それは唯ひとつ「ほんの少しの情熱(パッション)」の差なのです。.....その差が4千メートルと7千数百メートルの差。我らにとってあまりに大きなディスタンスだったのです。
 そして数年後、何故か今、「山のいで湯」なのです。ヘッセは「人生とは自己に達する道である」と言いましたが、我ら「落ちこぼれ凡人アルピニスト」は今新たに「道」を見つけだしたのです。かのヘーゲルは「ミネルバの梟(ふくろう)は夕暮れに飛ぶ」と規定しましたが、我ら「おゆぴにずむ」を実選する「おゆぴにすと」の規定によると「アルピニズムの烏(からす)は、山のいで湯にずっこける」とでも言いましょうか。落ちこぼれアルピニストは今、おゆぴにすととなって「いで湯道」を極めんとしております。(つづく)

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