発刊にあたって   会長 加藤英彦

 「山のいで湯愛好会」とは何といい呼び名だろうか。何とロマンのある会であろうか。我々創立会員4名がこの会を結成以来、2年が経過した。この2年間の我々の会の活動を集大成する意味から誰からとなく会報を作る意見が出された。機は熟したのだ。我々の活動の軌跡を今ここに記すことにしよう。

 ところで山のいで湯愛好会とは一体どんな会であるのか。我々のめざす究極の目的は何だろうか。その点について考えてみよう。あらゆる物事の価値の多様化された現代に生きている我々に、求められるやすらぎとは一体何だろうか。それは「自然」を相手にすることではないだろうか。我々はかって同じ目的をもった山の仲間であった。いや、決してその当時の夢を捨てたのではない。体の奥にはちゃんとその気持ちは息づいていたのである。或る事があってその山の会から遠ざかった形となったが、我々の気持は依然としてあの岩壁にあり、あの雪渓にあったのである。その気持を持ったものが何年かの後に偶然ある山で出会い、そして話は当然ながら昔の会の話となり、必然的にこの会を結成するに至ったのである。

 単に山の会を結成するということではなしに、いで湯という言葉を加えた意義を理解して欲しいのである。山に登って汗をかき、山をおりてその汗をさっぱりと洗い落とす温泉につかって一日の疲れを癒す。大分県には数多くの山があり、その麓にはまた数多くのいで湯がある。我々はこの点を見逃さなかったのである。単に山に登るだけでもない。また単にお湯につかるだけでもない。現代社会に欠けている何かがつかめるものがこの両者にはある。我々はこの両者を相手にする時に本当の生き甲斐を感ずるのである。

 我々のやっている、山に登って温泉道を極めるということは、まさに健康であるが故にできる道楽とでも言おうか。町の生活から抜け出るに、まさに最高の贅沢である。山という硬くて険しいものといで湯という云わば軟かいものと、性格の違う両者を相手にすることに意義がある。そしてこの両者はいずれも自然のものである。自然ほど美しいものはない。自然ほど正直なものはない。人間は自然と対峙する時に最も謙虚な姿になるのであり、そうすれば自然も人間を受け入れてくれるのである。その両者を相手にする時、我々は本当の生き甲斐を感ずるものである。そういう意味からして最初に言ったように何とロマンティックな会であろうということになる。我々は決して甘えや日和見でこの会と取組んでいるのではない。もっと格調高いものを求めて山に行き、温泉を求めているものである。その点を理解し、賛同される方は是非我々の会の扉をたたいて欲しいと思う。来れ!同好の士よ。我々は大いに歓待し迎え入れるだろう。(おわり)

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