グラビアの解説
特別寄稿  一紙片に出会って   中島三夫

   温泉湧出碧岩辺      温泉湧出す碧岩の辺
   山上花開偏可憐      山上に花開きひとえに可憐なり
   共酌清樽成一酔      共に清樽をくんで一酔をなせば
   偶思郷里正依然      たまたま思う郷里のまさに依然たるを
    右温泉作        右は温泉にて作る

 裏面に「日田仲虎之助十一才作自書」とあるので、広瀬淡窓の作品と分かる。虎之助という名は、天明二年寅年生まれであり、加藤虎之助清正公のように強い子であれという祈りをこめてつけられ、16才頃まで用いられた。

 教聖または詩聖とたたえられている広瀬淡窓の「感宜園」前後50年間、人材三千人の教育を貫くものは敬天の思想であり、詩情はそれに一種のうるおいを与えている。すなわち、桂林荘雑詠示諸生四首のうちの「休道の詩」は、自からの亀井塾における苦労を思い、異郷に勉学する門人達の「水汲み」や「まき拾い」など婦女子の雑役と卑下されていた日常眼前の風景を有韻の詩中の景となし、塾生同志の共同自炊、塾の雑務分担を詩経の世界に止揚して、厳冬のつらい塾生活をむしろ誇りとなさしめた。今日もなお、苦学生などに多くの愛吟者のいるゆえんである。

 天ケ瀬か杖立温泉であろう。温泉は苔ふした岩のあたりから湧き出し、山上は花が開いてひとえに可愛らしい。花を相手に清い樽酒をくんで一酔すると、期せず昔そのままの郷里が思われる。11才で酒を飲んだ訳ではなかろうが、少年広瀬淡窓にはすでに温泉の楽しみ、自然の美のうれしさ、酒の心さらには旅の憂まで体得されていたことが読みとられて、ただただ敬服するばかりである。
(編集部註、筆者は日田市出身で広瀬淡窓及び長三洲の研究家として知られている)

back