皐月の陽光に恵まれてディープな石鎚山を目いっぱい堪能するの巻        

                                                 
栗秋和彦

 今年2回目の石鎚山行(1)は挟間兄の肝いりで、緑山岳会にくっつく形で実現した。既に車は2台に7名の参加表明があり、最少催行人員は満たしていたが、筆者が加わることで“緑”にとっても最適催行人員に達した訳だから(たぶん)、歓迎すべき「他1名」となるよう居ずまいを正さなければならない。それなりに緊張を強いられたのだ。

しかし13日夜半 面河到着後、大テント内での小宴で、その心配は杞憂に終わった。志を同じくする者、話題は尽きず時はいとおしくも足早に流れる。とそれはともかく、8名中5名と数の上でも権勢を誇る熟女?5名様のかしまし度合は半端じゃなかった。おっとしかしこれについてのコメントは(パナマ文書の暴露にも似て)身の安全上、差し控えたい(てな訳ないか)。

   
下熊渕の尾根取付きから山頂までのGPS軌跡(挟間提供)  面河の駐車場 姐様たちの朝食風景 緑々の面河渓 下熊渕は近い

 さて翌14日朝、挟間隊長以下、足立、三代の両姐さまの面河隊に加わって行動開始だ。この面河コースは22年前(1994年)の秋、挟間兄らとトレース済みだが(2)、今回は愛大小屋から一般コースを外れ、面河尾根直上ルートを取り、縦走路上の1866b峰を目指そうというもの。

初めてのコースゆえ食指が動いたのは言うまでもない。と言うのも厳冬積雪期は面河コースの愛大小屋以遠は、西冠山南斜面から発生する雪崩の危険に晒され、これを避ける意味で面河尾根へ迂回する必然性があると言う。

しかしこの「冬道愛大尾根」コースは、密な等高線をひたすら直登するラインで引かれ、一級の難儀さは容易に想定できるのだ。とそんな覚悟を決めて序盤は下熊渕の尾根取付きまでてくてく車道歩きだ。皐月の陽光を受けて面河渓谷の造形美が映える。先ずは西日本随一の渓谷美を堪能しよう。

    
 尾根取付き のっけの急坂  ツガ・ミズナラの森を行く  尾根の末端に上がると南尖峰が クマザサとブナの森を行く

 で渓谷沿いの遊歩道から尾根への取付きは、いきなり鬱蒼としたツガの森を直上する石段登りで始まった。急に口数少なく呼吸も荒くなるが、まぁここはペースを整えて粛々と登る他なかろう。小鳥のさえずりを聞きながら深い森に溶け込むように登る。

お天道様から見れば、長大な面河コースの末端をただ蠢いているだけのちっぽけな存在だろうが、それでも一歩一歩高みへと歩を進める。単純だが分かりやすく、結果がリアルタイムで付いてくる。その行為はまったくもって地味できつく怠惰でエネルギーを遣う。何が面白いんだぃ?といつも自問自答しながら、こんな急坂はいつもしかめっ面で耐えしのぶ。

しかしこれが結果としてヨロコビに変わるので登山は面白い。何ともマゾっぽいが、五感を研ぎ澄ませて周りの景色の移ろいを観察するヨロコビや同行者との会話を愉しみながらの和み、そしていきなり絶景展望に出くわすサプライズなど、そんなこんなの愉しみがあるから止められないのだ。

 そぅ、そのひとつは谷筋からあらかた尾根の末端まで上がり、回り込んだところで、木々の間から垣間見た頂上台地南端に位置する南尖峰のダイナミズムだ。遠望する大きな岩塊は天然の要塞そのもの。期せずして感嘆の声が上がったが、快晴の下だからこその快哉に違いない。

あとは愛大小屋まで主に面河尾根の東側斜面をトラバース気味に斜上する。一帯はクマザサの下地にブナ、ヒメシャラの林が続き、まだ葉を付けないブナの林は明るく、クマザサの緑黄色が降り注ぐ陽に映える。

    
ポツポツと現れたアケボノツツジ   小さな谷をいくつも渡る    ようやく愛大小屋に到着   面河尾根へ直上する

 それにしてもこの広大なブナ林は個々に見ても幹は太く枝は大ぶり、まるで巨大化した千手観音の如く、森の中でひときわその存在感が光った。少なくとも九州の群生地、祖母・傾や大崩山系、脊梁のそれとは明らかに風格が違い、あっぱれなのだ。

「隊長、何故こうも違うの?」と石鎚山に造詣の深い挟間兄に素朴な疑問を投げかけると、「それはつまりだねぇ、豪雪地帯ほどブナは大きく枝ぶりがいいからねぇ」「九州とは積雪量が違うのさ」。う〜ん、なるほどと頷くは足立&三代の姐さまたち。

彼にとってはそんな会話の先に(ここは豪雪地帯だもの) 前述した雪崩回避の「冬道愛大尾根」コースの必要性を説く、いい機会のように思えたが、コース途上にポツポツと現れはじめたミツバツツジやアケボノツツジの花弁を認めては、姐さまたちの興味はそちらへ移ってしまうのは致し方ないこと。貴重な解説は聞けずじまいで、残念このうえもなしだった (としておこう)

    
ササ海原を登るも、難儀さは一級 1866b峰にようやく到着、合流 西冠山へ縦走路を行く   雄大なササ原をトラバース

 一方で急坂から解放された明るい尾根歩きに気分の悪かろう筈はない。谷を挟んでそそり立つ頂上台地の岩塊は北上するにつれ次第に横広になり、最高点の天狗岳や弥山の頂に貼りつくように佇む石鎚神社頂上社と山頂山荘が手に取るように分かり、見飽きることはない。そして相反するように土小屋から岩黒山〜筒上山の稜線は少しずつ後退していき、着実に歩を進めているのが分かった。

が、なかなか区切りの愛大小屋が見えてこない。何ちゃないコースだが面河尾根から派生するいくつもの支尾根をトラバースしながら向かうので、小さな谷を渡り、回り込んだ向こうに小屋が現れないか期待しつつ確認すること数多。顕著な水場を経てようやく現れたが、駐車場から4時間近く、けっこう時間がかかったのはこの山の奥深さを端的に証明しているに違いなかろう、フーフー。

 さて一服いれた後の直上ルート (「冬道愛大尾根」コース) はやっぱり半端じゃなかった。のっけからロープに掴りゴボウを抜く。滑りやすい草地の斜面を一直線に高みへと詰める行為は、単純にして苦難の業、ただそれだけのルーチンを繰り返す。

それも面河尾根上に近づくにつれ急斜面全体がクマザサの海原となり、振り返ると後続3名の蠢きも半分クマザサに隠れながらも難儀そう。時間だけが足早に流れ去っていったが、ササ海原をかき分ける彼等の背後に、雄大な山頂大地の岩塊が迫り、ダイレクトな登高感と相俟って、絵になるシーンであったぞ。

と言いつつも目指す面河尾根の最高点1866b峰まで標高差260b、直線距離で500b余を1時間近くもかかってやっと落としめた訳で、疲弊感と達成感、それに安堵感も加わって感慨はひとしお。この間、既に先着して久しい堂ヶ森隊からの黄色いコールに励まされたことを記しておきたい、ハーハー。

    
もっこりした頂上岩塊が特異  西冠〜二の森方面を振り返る 午後212分弥山山頂に立つ   天狗峰へ縦走開始

 先ずは肩で息をしながらも、そして堂ヶ森隊の涼しい表情を垣間見つつも無時合流できたことをヨロコビ、全員の健闘を称えよう。おっとまだ石鎚山頂まで1時間余り、気の抜けない登路が続いたが、元気印の“緑”御一行様6名のタフさは筋金入りだったと申しておきたい。

 で三の鎖下で成就社&土小屋からの登路と合流すると、そこはまさに銀座通りの如くの賑わいに少なからず戸惑った。今までの静寂な山旅がウソのような喧噪に身を置く。

しかし郷に入れば郷に従えである。三の鎖ぶら下がり組数名を見送ったあと、銀座通り(迂回路) のひとごみをかき分け、挨拶を交わしながら2ヶ月ぶりの弥山山頂に立ったが、登山口から都合7時間、けっこう長丁場であったなぁと、改めて長大な裏参道たる面河コースの懐の深さを感じ入ったのであります。

   
 天狗峰直下のアケボノツツジの彩に笑む  南尖峰の突端にへばり付く幡手さん 修験者の祈祷パフォーマンスを恐々と観る

 さて時はまだ午後2時過ぎ、今宵の宿・石鎚神社頂上山荘で荷をほどき小憩ののち、22年ぶりの弥山〜天狗〜南尖峰往復の天空断崖ルートに立ち入った。陽はまだ高く皐月の快晴の下、頂稜の北壁際々に咲く満開のアケボノツツジが彩を添える。

西日本最高所のこの頂稜で満開とあらば、今シーズンは正真正銘の見納めであって、恐る恐るもいとおしく愛でなければならない。とそれはともかく興味本位に所々で北壁を覗き込んではビビり、否応なくへっぴり腰歩きに陥ったりと、苦笑いしきりの天空漫歩であったが、この絶景岩稜を踏まずして、石鎚山は語れまい(と踏んだから言おう!)

 一方で特筆すべきトピックは、南尖峰からの帰途、遭遇した白装束の若者(修験者) 2名の立ち振る舞い。天狗の直下、北壁際の岩稜に立って祈祷するパフォーマンスは、見る方が恐々するぐらい。とびっきりの非日常を垣間見た思いがしたが、同行した“緑”の姐様たち(梅木、水原、北山)も齢に反して?へっちゃら岩稜歩きを見せつけたのには多少のオドロキを隠せなかった。その身のこなしは若者白装束君と同類項だったのだ (褒め言葉のつもり)

 石鎚山山頂山荘 - 夕食はカレー ご飯とカレーは食べ放題 石鎚山山頂山荘 - 朝ごはん ごはんと味噌汁こちらも食べ放題  
   石鎚神社山頂山荘の定番夕食(カレー)と朝食               早朝の天狗峰を見遣る      頂上社の朝拝で神妙な水原姐

 さぁ15日、下山日の朝は黎明から三の鎖を攀じ登ったり、6時から霊験あらたかな頂上社朝拝に参加したりと皆めいめいが思い思いの時を過ごした模様。あとは面河コースをひたすら下るのみであって、気負いはなく淡々と、そしてちょっともったいない気持ちで山頂を後にしたが、その途中気づいたことが二つ。

 一つは往路と同じく、途中区切りの愛大小屋までがけっこう遠かったこと。いくつもの支尾根を回り込みながら、「まだかいな?」と思い始めてから相当の間有り。厳冬積雪期や天候悪化時はコース上、唯一シェルターならんとするところ。ゆえに上りも下りも絶妙な位置にあり、その存在意義を改めて思い知ったのだ(天気良くても小屋を見つけるとホッとしますね)

 そして二つ目はくだんの姐様たちの下りの速さだ。8名が隊列を組んで下ったが、全体の動きは悠々にして足早だ。その中で男3名は無口を絵にかいたように寡黙。反して姐様たちの口数は減らず話題は尽きない。

こんなシチュエーションでも最後部を務める筆者がよそ見をしたり、立ち止まって写真を撮ったりするものなら、隊列ははるか彼方に(ちょっと大袈裟だけど) 、と言ったあんばいでまったく気が抜けないのだ。その身体的ポテンシャルの高さは昨日の縦走路でも証明済みだが、自然体にしておしゃべり多くもスピード衰えずは、齢を考えると、特異な集団に映ったものだ。

    
 山頂をあとに下山開始         下山シーン2 (ちょっと目を離すと先に行ってしまう )         国民宿舎 古岩屋温泉全景

 英国の有名な旅行家の言葉に『風景を愉しむのに理解はいらない。しかし広大な自然の美を味わうためには、鍛錬が必要だ。まず逞しい身体。つぎに豊かな感受性を保ちながら熱視する態度〜中略〜これらの条件を身につけた者は、風景の巡礼者になれる〜後略〜(3)とあります。

その意味で“緑” 御一行様は風景の巡礼者になる素養充分にして、口数の多さは感受性の豊かさを表現しているに違いない、と旅を締めくくるに当たって、(また誘っていただくためにも) ちょっと阿 (おもね) てお開きとしたい。謝々。  

(1)H2831113日「石鎚山積雪期ラストチャンスを我、成功せり!の巻」参照
(2)H 61079日「石鎚、秋紀行〜二の鎖元小屋下キャンプサイトに転がったカンビールの謎〜」参照
(3)おゆぴにすと第6(H671)・・・「おゆぴにすと」その由来と解説から引用

(参加者) 挟間、栗秋 他6

(コースタイム)
513  JR幸崎駅1704 25⇒(車・佐賀関港1735 1800〜九四国道フェリー〜三崎港1910 15〜八幡浜〜大洲〜内子・経由)⇒面河駐車場 2157(小宴のち車中泊000就寝)
514  面河駐車場(標高635b)713→下熊渕尾根取付(標高778b)759 806→水場(標高1105b)854 900→尾根上南尖峰仰見点(山頂まで4850b地点)941 48→愛大小屋(昼食)1105 28→(冬道愛大尾根)→1866b峰1223 35→面河への分岐1344 48→三の鎖下合流点1355 1405→石鎚山(弥山)1412  1510→天狗峰→南尖峰→弥山1610 (石鎚神社頂上山荘泊)
515  弥山723→面河への分岐733→愛大小屋827 36→下熊渕尾根取付1021 28→面河駐車場1106 20⇒(車・古岩屋温泉1148 1242〜美川道の駅(昼食)1252 1338〜内子〜八幡浜〜三崎港1534 1633〜九四国道フェリー佐賀関港1742 48経由)⇒JR幸崎駅1759  2030帰宅  
                     (平成28年5月13〜15日)