おゆぴにすと、山岳走へ挑戦

2.栗秋和彦の場合


第1回河内みかんの里クロカン完走記
 
トライアスロンクラブの老舗でかつ“遊び心溢れる集団”でもある熊本CTCの会報を時々見る機会があるが、いわゆるトライアスロンものばかりではなく、ランニング登山やアウトドアライフ指向の記事等、内容は多岐にわたり興味深い。この中で『西山クロカン』という耳慣れない言葉が時々目にとまる。山といで湯が大好きな私としては『山』と名のつくフレーズは、まず興味の対象となる。更によく読んでみると熊本市の西方にある山々を総称して『西山』と呼ぶことが判った。しかもこの山々は歴史的にも有名な金峰山(一ノ岳)、熊ノ岳(二ノ岳)、三ノ岳であり、いずれも600m級のピークをもつ。熊本市街地にも近く、ハイキング等で市民の憩いの山岳公園であろうことは容易に想像できるのだが、何と!この三山を走破し42kmにもおよぶクロカンをレースとして楽しむというのだから、やっぱり熊本CTCは尋常ではないと再認識せざるを得なかった。 一方、『ランニング登山』を指向して久しい私は、主として“おゆぴにすと”のメンバーと共に阿蘇、九重の野山を駆け巡ったり、昨年の5月には熊本トライアスロン協会主催の『涌蓋山クロカン』に、また今年3月には奥別府・志高湖20kmクロカンと着実に愉しさを自分のものとして感じるようになってきたが、『西山クロカン』を思い浮かべた時、距離に対する不安は拭い去ることができなかった。しかし、いつかは『西山』のピークを踏んでみたいし(私自身、大分100山全山完登を目指して少しづつではあるがピークを稼いでおり、熊本県にも熊本100山なる選定した山々があるのなら当然、『西山』の峰々はそれに該当すると思う)、周辺のいで湯も稼いでみたい。チャンスがあれば機は熟するものだと考えるようになっていた。

             


 そして今夏、大会開催を聞き要項を見て躊躇することなく参加を決めた。しっかりと例の三山を組み入れて、30kmに距離は短縮。おまけに有明海に湧く未入湯の河内温泉を稼げるのだから願ってもないチャンス。また熊本CTCが共催というのも楽しい企画が期待できると考えたからである。

 さて、レース当日は快晴の朝を迎える。熊本駅近くの旅篭を同行の“おゆぴにすと”会友の永田、矢野両名と共に8時発。海岸沿いの県道からテレビ塔を冠した金峰山が見え隠れして登高意欲をわかせる。みかんの里だけあって河内町は平地が少なく、みかん山の連なり。つまり、このレースはのっけから山を走るしかないなと観念する。会場に着くとアドバルーンが揚がり、すでにアップを開始している人もいてだんだん気分が高揚してくる。しかしロードレースやマラソン大会とは何か違う。『のんびりムード』があたり一面に漂っている。これはトライアスロンのスタートに似たムードであると直感。目の前に横たわる山々を駆け巡るのに最初から焦ってみても仕方がないから当然かなとも思う。

 まず、私のライバル!熊本CTCの永谷会長に挨拶をして身支度を整える。別府〜菊池120kmの九州横断センチュリー駅伝を取り仕切った緒方氏、『涌蓋山クロカン』でお世話になった八代トライアスロンクラブの鷹野さん、福岡CTCの田代君...久し振りの再会に心もなごみ、まるで緊張のないスタートを迎える。今まで種々の大会でカメラを持って走ったことはなかったが、今回は未踏のピークを踏むということで(山歩きやいで湯巡りの時は、必ずカメラを持ち歩いて記録として残すようにしている習性があり)、山頂での記念撮影を省略する訳にもいかず、愛用のオリンパスをウエストバッグに忍ばせる。午前10時、最後部からゆっくりスタート。2〜3km地点までは海岸線を通り、病院前を(看護婦さんしか目に入らなかったが)右折、いきなり急な上り坂が始まる。昨夜、馬刺を食った永田の走りはまさにばんば馬のよう。登りの強さは由布岳早登りで実証ずみなので、色気は出さず矢野君のペースに合わせる。また周りには鷹野さん、田代君、それにヘラクレス草野氏(熊本CTCのキンニクマン。涌蓋山クロカンでお世話になる)等がおり、だべりながら引っ張ってもらったが、あっさりと田代、草野両氏にはおいていかれる。「今年の菜の花マラソンと同じ展開になってしまったが、順当か」とRun&Walkを混ぜながら思い浮かべる。

 ほどなく第1エイドを迎える。額の汗を拭いながらのポカリがうまい。ここから第2エイドまではだらだら上りのコースで、比較的走りやすくロードレースの様相を呈してきた。5kmを27分30秒で通過。この上り坂を我ながら快調なペースではないか!と自画自賛。これもつかの間、第2エイド手前で鷹野さんが軽い走りで先行してすぐに見えなくなる。(強い!まったく50才とはとても思えず、秘そかに彼に対してもライバルと思っていたが、この地点ですみやかに返上しよう)

 第2エイド近くになると「美人ばかりのエイドだよ!」と連呼の声が聞こえてくる。思わずピッチがあがり駆け込む。「美人どこ?」..「目の前によりどりだよ!」とは上野嬢(エイドの総責任者)の声。なるほどなかなかの粒ぞろいだ。これが熊本CTC流のエイド接待法?疲れも吹っ飛びリラックスして再スタートをきる。さあいよいよ熊ノ岳への急登にかかる。ここを走るなんておぞましいことは考えずにひたすら競歩に専念する。登山道に岩が少しづつ出てきて、周りの木々が低くなる。すぐ前の地元氏が頂の近いことを教えてくれる。と間もなく頭上からコース員のおじさんの声がかかり、フッと天が抜けた。熊ノ岳着10時52分45秒、以外に広々とした山頂で同行の矢野と一緒にカメラにおさまる(もちろんシャッターはコース員のおじさんにお願いして)。雲仙岳が近い。右手奥の霞んでいるのは肥前の多良岳だろうか、有明海方面の眺望は抜群だ。2分あまりを過ごし三ノ岳目指してカッ飛ぶ。最低コルまでくると第3エイド、ここで熊本CTCのオシドリコンビ、影山夫妻と再会し、しばしの休憩。記念に3人でカメラに向かい、さらにせっかくの機会でもあり、草原をバックに矢野と2人でランニングシーンを撮ってもらう(さすがに呆れたといった夫妻の表情であった)。

 少し遊び過ぎたかなと反省の念をもって、真面目に三ノ岳に登る。こちらはあまり標高差がないためか、すぐに到着(11時13分)。例によっておもむろにカメラを取り出し、周りのスナップを撮り、金峰山をバックに撮ってもらう。あとピークは金峰山を残すのみとなったが、これからが長いので(地図を見るとまだ3分の1も走っていない!)のんびりもできない。

 杉山を駆け下り、一旦お寺のあるピークを越えるとジグザグの山道となる。舗装路よりこんな足場の悪い下り坂が大好きだ。こういうところを走ってこそクロスカントリーであり、山道の下りに限っては誰にも抜かれないスピードを?誇るのだ。伐採地帯に出たところでコース員から「84位!」と告げられる。遊んだわりには悪くはないぞ。コンクリート舗装道に出て少しピッチを落とし同行の矢野を待つ。小春日和のなか、曲がりくねった田舎道をだべりながら走る。かなり前方に3人のランナーがいるだけで実にのんびりしたもの、とてもレースとは思えない。この雰囲気が好きだ。学校区の第5(?)エイドは応援の人もたくさんいて、一寸緊張する。ここで再び上野嬢の声援を受けて(アレ、確か彼女は第2エイドにいたはずなのに、道を間違えたのかな?と一瞬たじろぐが、ボランティアも忙しいのだと悟る。

 さすが総責任者はエライ!)、今度はやや下り気味に立派な2車線の舗装路を駆ける。だんだん金峰山が迫ってきて、あれを登ればもう終わりだと思う反面、あのピークまでの登りについては考えまいと葛藤が続く。が、調子はマァマァである。峠の茶屋までに7〜8人を抜き、金峰山の上り車線に入り、急にスピードが落ち苦しい走りとなるが、それでも落ちてくる人を拾うレース展開となり自虐的となる必要はないと自分に言い聞かせる。ほどなく登山路に踏み入る。「やっと歩けるぞ!」同行の矢野も同じ気持ちのようだ。鬱蒼とした森の中、視線を落として歩き始める。それにしてもこの山は市街地から近いせいか、一般のハイカーが多い。しかも登山道を占有して登ってくる我々を声援で答えてくれるのだから、こちらも礼をつくさない訳にはいかない。

 丁重に挨拶を返しながら歩を進める。やがて頭上でざわめきが大きくなり、階段を登りきると車道に出てここがエイドになっている。頂上はすぐそこだが、コースとしてはここが最高点、あとは下るのみとコース員の説明。ピークハンターの自分としては金峰山頂を是非踏みたいと思う気持ちと、レースを意識してこのまま下るか、選択をせまられる(ああハムレットの心境ならん)。ここまで同行した矢野の表情は「あんたにお任せ」とよんだ..しばし沈黙..迷ったあげく..レースを捨てずにこのまま下山を決断する。とりあえず写真を3枚撮り、残り9kmの下りに賭けてみる。

 12時25分下山開始。車道を回り込んで、更にジグザグの登山道を転がり落ちるように駆け下り、コンクリートの歩道をひとっとび。最後のエイドまでに15人ほど抜く。更にこのエイドはパスをして(楽しむつもりが「ワーッ」という声援を受けて、いきがかり上、パスをしてしまった自分を恨む)、みかん山を軽快なピッチで下る。しばらくすると前方に見慣れた姿、福岡CTCの田代君だ。まさか追いつくとは思わなかったが、こんなこともあるだろう。県道に入るまでに更に5〜6人抜き、ますます足取りは軽くなる。ただスピードにのると、ウエストバッグが次第に前の方に回ってきて、カメラが股に当たり走りづらく、たびたび位置の修正をしなければならない煩わしさに閉口する。いよいよ河内川沿いの県道も河口に近くなり、沿道も賑やかになってきた。あと少しの辛抱だ。残り1.5kmで、前方100mぐらいにオレンジ色のTシャツ姿を含む5〜6人が視界に入る。あれは確か八代TCの鷹野さんだ。少しづつ差を詰め河内温泉入口の交差点でやっと追いつく。追いつく筈のない人に先行するのは一面、面映ゆくて実は痛快事なのだ。最後はさすがに疲れが出てやっとの思いでゴールイン。

             

 3時間03分58秒、41位の着順札を貰って戸惑ったりもしたが(50〜60位ぐらいと思っていた)、無事時間内に帰ってこれたことを、先着の永田と喜ぶ。彼も満足した表情でレースを振り返り、開口一番「コースレイアウト、運営面共にすばらしいネェ」と語ってくれた。遊び心を満たすレースのノウハウを知りつくしている熊本CTCならではのエイドやコース表示はさすがだし、駆け巡ってきた峰々を仰ぎ見ながらフルマラソンに匹敵する満足感を体感できることとあわせて、“おゆぴにずむ”を究める一歩としてのトレーニングには最適であり、“おゆぴにすと”の読者にお薦めしたい大会である。

 そして河内温泉・老人福祉センターの食塩泉にどっぷり浸りながらレースを振り返るのも楽しみである。湯気で濡れた髭をなでながら同行の矢野君がにじりよってきて「美人のエイドですネ、完走の秘訣は!栗秋さん」とそっとつぶやく。もちろん、感性の違いに異論をはさむなんて、頭も心もからっぽの状態で、すべてを湯に捧げている我が身としてはヤボというものだろう。 (昭和63年11月3日の記録)


門司アルプスの起点・風師山をMTBで縦断の巻
−門司の観光案内を兼ねて−

 11月14日(土)午後、ふと思いたって、MTBで風師山に登ることにした。関門海峡の眺望ならこの山からが最高で、趣味の人なら記念碑、文学碑巡りもできる。今日はこの時期にしては暖かく、半袖のサイクルウェアでも充分行動可能。まさに小春日和とは今日のこと。じっとしているてはない。自転車での風師山登山は昨秋、英彦山サイクルタイムトライアル大会の練習を兼ねて、ロード・レーサーで経験済み。この時は車道終点の展望台を折り返したが、42×23のギヤではかろうじてやっとたどり着き、下りも路面状態と急坂でブレーキの効きが悪く、ロード・レーサー向きのコースではないことを痛感した。MTBなら少々の坂でも楽に登れるし、展望台から山頂までの登山道もかなり乗っていける筈である。

                      

 しかし、いざアタックとなると門司港・清滝の税務署から中原観音までののっけの坂はなかなか手強かったし、展望台から山頂までの登山道もライディング出来たのは、すぐの下りとこれに続く緩やかな100m程の上りまでで、後は手押しと担ぎで岩峰364m(風頭山)に立つ。親子連れと単独行のヒゲおじさんの2グループがのんびりと海峡の眺めを楽しんでいるところに、いきなり自転車を担いだ青年?が現れたものだから、いささか驚きの表情と視線で迎えてくれた。話は変わるが、冒頭に記念碑、文学碑のことを記したので少し触れると、この頂の西隅の岩上に槙有恒の記念碑があり、『この頂に立つ幸福の輝きはこれをとらうる術を知りし人の力によるものなり』と。また、東隅の岩には吉井勇の歌碑『風師山登りて空を仰ぐとき雲と遊ばんこころ起りぬ』が彫りこまれている。更に後述の風師山とのコルには林芙美子文学碑があり、昔文学少女風のおばばさまたちが碑と対峙しては、『私の趣味はブンガクなのよ』と言いたげな眼でなにやら怪しい呪文?を唱える光景を2,3度望見したことがある。

             

 ところで、僕の目的の展望はといえば、眼下の山々は紅葉のはしりか、今年のそれは期待していてもいい。ポツンポツンとだがイチョウやカエデ、モミジが鮮やかで、関門橋の白や厳流島の緑、海峡の青とのコントラストの妙が素晴らしく、一服の絵を見るよう。しばし、時の過ぎ行くにまかせる。さて、帰路は小森江へ降りよう。このルートは僕にとっては未知であり、単独行のおじさんに尋ねると、「乗って下れないことはないだろう(けど、あんたも好きだねぇ)」とのこと。よし!行こう。風師山とのコルまでの階段状の下りは乗ったままなんとかクリア。思わず腕に力が入る。指導標に助けられて右にルートをとり、緩やかな草原状を少し下る。こんな道なら楽。しかし、すぐに急坂のつづら折れの連続となり、のっけの曲がりでバランスを崩して前のめりになり、谷へもんどり落ちる(ほんの1〜2mだが)。山道に慣れていないため、急坂で思わず前輪のブレーキを強くかけてしまい、後輪が浮き、つんのめる格好で転倒するのだ。理屈は分かっていても、僕の運動神経では同じ過ちを2,3度繰り返すはめになる。そしてようやくコツがつかめてきた。

 ところがである。今度はバランスに気をとられて、低木(横に伸びた枝)と頭(おでこ)がガッツン、転倒と相成り、なかなか楽に下らせてはもらえない。それでも、2,3の岩場(というより、ゴロタ状の石の急坂)を担いだだけで、なんとかヨロヨロとながら林道へ出くわし、トップギアでの下りを満喫する。ほどなく急に視界が開けて小森江貯水地が現れ、若干の緊張感から解放された。さらに下ると集落、住宅街、工場、国道3号と現実の社会へ戻り、ささやかではあるが、僕にとっては本格的山岳ルートMTBトライアルは少しばかりの感動と充実とタンコブの痛さもって幕となった。山登りにMTBを使ったのは、同じく門司アルプス南端の盟主・足立山の支稜にある小ピークの小文字山(4/29)と九重の涌蓋山(10/10)以来、3回目だが、過去2回はいずれも林道(要するにある程度整備された道)を対象としたもので、登山道での予期出来ないスリリングな面白さには遠く及ばないのだ。今度はヘルメットを忘れないようにしてもっと果敢に攻めるぞ.......。 (平成4年11月14日)

海底からのランニング登山・霊鷲山〜火の山の巻
─門司周辺の観光案内も兼ねて第二弾!─

 九州の最北端、門司港のオフィスから眺める景色の定番は何といっても、レトロ調のビル群の背後に控える関門海峡の山と海と橋の三点セットである。戸惑うごとき潮の流れの変化と、行き交う船のそれぞれのシルエットにロマンを感じさせる海峡(海)がここの主役である!と昔からの住人は宣うが、山ヤの端くれであるボクには最狭部の海峡をはさんで対峙する古城山(145m)と火の山(265m)の存在も見逃せない。門司側の古城山はおわんをかぶせたようなキュートな山容。全山が文字どおり平安時代末期にさかのぼる門司城跡で、頂上付近は重厚な石垣が幾重にも張り巡らされ、往時がしのばれる。

 そして対岸、下関の火の山は自然林に覆われた鈍重な山容。山頂までロープウェイや自動車専用道路(有料)が伸びていて、春秋のシーズンともなれば新緑、紅葉の森から一気に海峡まで鳥瞰できる景色を楽しみに大勢の観光客で賑わう。更に火の山の連なりの果てに、厳めしい名の割りには火の山同様、照葉樹林に覆われ、ずんぐりとおとなしい山容の霊鷲山(289m)がある。山頂には仏舎利塔があり、公園になっているが火の山とは対象的に、時々ハイカーが訪れるくらいで静かなたたずまいが保たれている。そしてこの霊鷲山の頂まで火の山の麓、有料道路入口から派生したサイクリングロードが通じているのである。時は弥生、うららかな春のの陽気に誘われて、MTBでこの小径をたどり霊鷲山に立ったのだが、モチノキ、コブシ、ツバキ等の照葉樹林の間を抜ける快適なサイクリングロードの走りの感触が忘れられず、今度は火の山も併せて、ランニングでと秘そかにチャンスを狙っていたのだ(と大袈裟なイントロになってしまったが、たかだか300m弱の低山徘徊ゆえ、時は選ばずいつでもできるのだが....)。 

 そしてこのランニング登山の最大の特徴は海底61mからのスタート、全国でもここしかないというおまけ付きのコースを、初夏を思わせるような陽気になった4月24日に決行した。車を和布刈公園・ノーフォーク広場(ここは毎年11月開催の関門マラソンスタート地点でもある)に置き、ゆっくりとスタート。約500mで人道トンネル入口、エレベーター45秒で海底へ潜り780mひとっ走りで地上に出ると、源平合戦の壇ノ浦は御裳川。さぁいよいよ本格的なランニングの始まり。御裳川から椋野に通じる坂道を登り、峠にある明治天皇小休所跡の石碑を見て、右の火の山有料道路を100m程行き、左の『霊鷲山へ4.3km』の道標に導かれてサイクリングロードに入る。

 雨上がりの土曜のハイヌーン、誰にも会わず、ゆるやかなうねうねとした森の小径は、ほとばしる額の汗とアゴの出たスローペースの走りを差し引いても、新鮮な感動を覚えずにはいられない。小鳥のさえずりと、新緑のむせかえるような樹々の恵み(OUT DOOR誌風に云うならフィトン・チッドたっぷりの森林浴だい!)を森全体から受ける快感は、ランニングでは久しく味わっていないのだ。贅沢なひとときを独り占めしながらモクモクと走る。途中2ケ所程しゃれた造りの休憩所やベンチも配置されていて、家族連れのハイキングなんかに重宝するのでは...などなどと至極単純なことしか思い浮かばず、俗世間のしがらみから解放され、頭を初期化できるのも、逆にランニングの効能なのかもしれない。

 3kmほどだらだら登りをつめると、火の山の北麓を完全に回り込んで、いよいよ霊鷲山の登りにかかる。勾配も急になり、更にピッチは落ちるがここは我慢のしどころ。ジグザグ道に変わると残りわずかなことを、前回のMTB行で身体も覚えており、何とか踏ん張りが効くのだ。そして急に森が抜け、頂上台地に出る。前述の仏舎利塔の傍らに円型屋根の休憩所があり、ここからの眺めは関門橋からつながる門司半島の輪郭がはっきりと望める。更に東方に目を転ずると、全島自然林に覆われた小島(千珠島、満珠島)が二つポツンと浮かび、周防灘に小粒ながら粋なアクセントをつけている。なごり惜しいが、ランニング登山の手前、あまりゆっくりと止どまる訳にもいかず、早々と頂上を後にする。

 さて次は火の山であるがルートは簡単、サイクリングロードを引き返し、火の山の北麓(ちょうどこのロードの中間地点)から分かれ、樹林のトンネルと形容するにふさわしいジグザグ道を駆け登る。もちろん、サイクリングロードとは訳が違い、すぐに速足歩行に変わるが、おかげでまわりをよく観察できる。よく見ると樹林は椿の群生地で、レンガを模した階段状の登山道に熟れ落ちた赤い花ビラが埋めつくし、踏みしめるのにちょっとは躊躇しながら高度を稼ぐ。頂まで分岐から1.1kmしかないので時間的にはさほどかかるまいてと高をくくっていたが、一旦尾根に出て、小さなアップダウンを繰り返した後、そろそろ最後の登りと思いこんだ道程は長く、階段は急で一直線につづき、森のトンネルの彼方に消えていくといったあんばいで、一歩一歩確実にやっと登るといった有様。とても標題の“ランニング登山”云々とは違ってきているのを認めて、苦笑してしまう一幕もあった。

 そしてようやく、頂上の森。ここは案内板の標記に従うと、“冒険の森”と呼称するらしく、フィールド・アスレチックの仕掛けをぬって、散歩道やレストハウスを配した山上公園となっているが、木々に遮られてここからの眺望は得られない。展望所と称した三階建のビルが海峡寄りにどっしりと構えており、ここから少し下ったところにあるロープウェイ山上駅までの一帯が火の山のメインエリアと呼ぶにふさわしい。霊鷲山からここまで誰一人として会わなかったが、ここに来て観光客を多く見かけるようになる。やはり、海峡の眺望があってはじめて火の山たりうるのだ。そして彼らの好奇の目(サイクルパンツにランシャツのいで立ちに対して)にさらされ、耐えなければならないとは! またしても、早々と下山の途につく。ロープウェイの真下に付けられた樹林帯のジグザグ登山道を駆け下ること10分弱で森を抜け、更に満開のツツジ園を横断し、ロープウェイ下駅のロータリーに出る。御裳川の海底人道トンネル入口まではもうわずかである。全行程13km程の感動的でつつましく、かつハードさも合わせ持つコース設定に我ながら満足しつつ、ボクは海底61mのファンタスティクロードを九州へ駆けた。(コースタイム 和布刈公園・ノーフォーク広場11:10→関門人道トンネル→下関出口11:18→サイクリングロード入口11:26→霊鳶山11:51→サイクリングロード折り返し→火の山登山口12:03→火の山12:17→関門人道トンネル下関入口12:32→和布刈公園・ノーフォーク広場12:40) (平成5年4月24日)

門司、矢筈山へランニング登山の巻
 暖かくなったかと思うと寒さがぶり返す。本格的な春はもう目の前だが、季節の歩みは行きつ戻りつ、ためらいがちだ。気温の定まらぬ如月のこの時期は、ランニングへ誘う気運の高まりとは逆に、思わぬ寒風に惑わされたりと少なからず走りだすまでに億劫さがつきまとう。そんなおり、ランニング登山に手頃な気になる低山が身近に残っていることが、心の片すみに妙に引っ掛かっていた。

 朝の通勤途上、鹿児島本線小森江駅付近で車窓から山手へ見遣ると、風師山の連なりの南端、矢筈の恰好をしたなだらかな丘を間近に望むことができる。この山が矢筈山(266m)で山頂付近はキャンプ場として整備され、特に夏場は手短かにアウトドアを楽しむ門司周辺の市民で賑わうという。低山ゆえに未踏を許していたが、この地の住人となって早3年、そろそろ足跡を残しておかなければなるまい、と日に日に思いは募ってきた。そして実行に移す日は唐突にやってきたのだ。

 2月最後の週末、久し振りに自宅から門司港往復のランニングを思いたち、海沿いの国道199号を潮風と共にのんびりと進んでいた。そして小森江付近でふと山手へ視界を合わせところ、当然ではあるが、ちょうどそこに矢筈山があったのだ。瞬時に冒頭の“こだわり”がもたげてきた。今日登らずして次のチャンスはいつになろうか、思いたったら吉日である。取り敢えず、門司港の西海岸まで予定のコースを稼ぎ、Uターンして国道3号を南下する。小森江からの登山口はこの3号線との交差点脇の立派な石柱に表示(風師山矢筈口登山道)されていて、簡単明瞭である。のっけからのだらだら坂は平地慣れした体には少々しんどく、序盤でこの有り様では先が思いやられるわい。と更に、小森江小学校の喧噪を左手に見るあたりから、傾斜が急になり殆ど歩くのと変わらぬスピードになる。こうなったらランニング登山にこだわる意地だけで進んでいるようなものなのだ(思わず苦笑)。

 登路は一本道で5〜6分もすると住宅街が切れ野辺の気持ちのいい散策路になる。もちろん、上り坂を差し引けばであるが.....。貯水池を過ぎるとほどなく右手上方から合流する林道が現れ、“矢筈山林間学園入口”の大きな石標が目にとまる。しばし立ち止まりルートの確認を行うが、この林道が山頂への登路となっているようだ。車止めの鉄柵の横をすり抜けて、さぁいよいよランニング登山の趣が味わえる領域に入ったのだ。

 まもなく山頂まで1.1kmの道標と案内板を確認。左手の風師山登山路をとれば、風師山南嶺(356m)へも1.2kmの近さであるが、移り気は押さえて林道を直進する。頭上はカシ、シイ、ヤシャブシ、ツバキ等の照葉樹林のトンネルに覆われ、これに小鳥のさえずりが加わり、環境は申し分ない。関門海峡を臨むヘアピンカーブには道幅に余裕を持たせて、意図的に展望を楽しめるように木々は疎林を施しベンチを配する心配りがなされていて、この登路の魅力のひとつになっている。一人、二人と山頂への散策を終えたお年寄りやおばさんたちとすれ違う。この山麓の住人にとっては、手頃なおらが山として森林浴や日常の散歩コースとして活用しているに違いない。さて風師山の山嶺を真近に見上げる最後のカーブを回り込むと、樹影濃いダラダラ坂を200m程で林間学園正門に辿りつく。すなわち矢筈山の頂と思われるも、正確に言うなら山頂台地の一角で、最高点はこのすぐ裏手にある小高い丘になろう。もちろん、てっぺんを踏まずして矢筈山は語れないので、回り込むようにして丘に立つ。そこはキャンプファイヤーゾーンとなっていて、夏休みには少年たちの歓声が賑やかであろう。しかしシーズンオフの今は静まりかえり風の音だけが侘しいのだ。

 さてこの山頂一帯は、戦時中高射砲陣地で未だ弾薬庫跡らしいものが目にとまる。海峡を臨む眺望は少し下った夕陽台からが最高で、武蔵&小次郎決闘の場となった厳流島や彦島のコンビナート群、遠く響灘に浮かぶ六連(むつれ)島や馬島、藍島の島影を臨むことができ、しばし時の経つのを忘れる。また、南面を探索すると芝生のなだらかな広場(キャンプサイト)が気持ちいい。ここからは都市高速道路を挟んで、我が家の裏山にあたる戸上山(518m)の端正な姿を仰ぎ見るでき、門司市街の眺めと共に興味は尽きないのだ。

 下りはくだんの夕陽台にたむろしていた、地元の翁に教示を受け南面の奥田への踏み跡を一気に駆け降りる。このルートは殆ど利用されていないのか、風倒木が未だ進路を阻み傾斜も急でお世辞にも快適な下降とは言えないが、これも10分余りの辛抱である。森をころがるように抜けると、突然市街地が現れ、すぐバス通りに出る。山高くして尊からずなり。低山ゆえの愉しみを享受しつつ、後は通い(走り)なれた国道3号の狭い歩道を黙々と家路を目指す。振り返ると“唐突の”矢筈山が早春の浅い陽を受けて見送ってくれているようであった。これで企救山塊(風師山〜戸上山〜足立山の連なり・・・・・ボクはこれを勝手に門司アルプスと呼んでいるが)のめぼしいピークはすべて踏んだことになり、一応の区切りがついたことになる。いよいよ挾間との約束の福智山〜皿倉山25kmの早駆け登山(挾間が提示した計画書によると、3月以降なるべく早い時期に、メンバーは挾間、矢野、栗秋とあり、栗秋の体力向上がこの計画の鍵をにぎるとしたためてあった。正月のくじゅうを吠えつつ走り抜けた挾間の鼻息は荒い!)を、片付けなければ北九州における“おゆぴにずむ”の先蹤者として、大きな宿題を負うことになる。若干のあせりを感じながらボクは今、本格的な春を迎えようとしている。〔コースタイム 門司(自宅)9:46→国道3号〜国道199号経由→門司区(門司港西海岸)10:36→国道3号線経由→小森江・矢筈山登山口10:52→矢筈山11:11 11:21→奥田・矢筈山登山口11:34→門司(自宅)12:04(全行程約18km)〕

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