おゆぴにすと、山岳走へ挑戦

1 挾間 渉の場合
 10数年前、30代の半ばから、それまでしばらく途絶えていた『山』を再開した。再開といっても低山徘徊と山のいで湯をセットにした、いわば『妥協の産物』1)としての苦し紛れの選択の結果であったと自分自身は認識している。しかし、自分の中にはいつも、有事の際はスクランブル発進出来るだけの体制づくり2)を、との意識は持ち続けてきた。心の隅のどこかに取り残されたくないとの意識が働いていたからかも知れない。

 登山で最も大事なことは、まず何をさておいても山に登るという行為である。少なくとも『山』という共通の価値観を持つ山仲間同志では、『山に登る』という行為に向かって努力しているはずであって、我が会の場合も、決して過去の一時代を共有したことの感慨に浸るサロン的集まりではないはずだ。表紙裏面に掲げた『おゆぴにすとの由来と解説』が、決して単なる言葉のお遊びに終わってはいけない。この解説の中には、厳しかるべき山登りを敢えて表に出さない‘おゆぴにすと流の格好良さ’が秘められていると自分は思っている。たとえ登山の形態は違っても、心の隅には、いつの日かヒマラヤの高峰に、との、また、その裏付けとなるための体力維持があったはずだ。水泳、自転車、マラソンの3種を合体させたトライアスロンも、クロスカントリーも、結局は皆『山』へ帰結するためのものであったはずだ。

             
                   雪の坊ヶつるを駆ける

 近年、富士登山競争、鶴見岳一気登山など山岳を舞台とした競技が各地で催され始めた。私は、これらの多くは登山の一形態とは思っていない。登山とは山に登ることそのものを目的とした行為であるからである。例えば狩猟や昆虫採集を目的として山に登る場合は登山とはみなし得ない。平地だけでは飽き足りなくなったランナーが、既製のレールに敷かれた登山競争に参加する行為そのものも同じ理由により登山とは認めがたい。

 もちろん、山を目指す過程において、山を取り巻く様々な事象、環境に対して、あるいは、登り方の手段方法に対して、個々人の人格形成ステージにより、多様であってしかるべきである。最近になって私は『登山は自己完結型の‘スポーツ+α’』1)という思いを強くしているのも、この考えに立つことの結果に他ならない。

 このような訳で、ランニング登山3)などと称するものを含め山を駆けることを登山行為と認めることに幾ばくかの抵抗があった。しかし、高峻な山岳を、山に登ることそのものを目的に、その手段として早駆けする行為は、登山がアーテイフィシャルなものを限りなく排斥しょうとするものであり、素手で立ち向かうは登山の原点という考え方に立ち、登山の一ジャンルとして認識し得る、との結論に最近達した。

 しかるに、その用語としては、早駆け登山を始め、ランニング登山、山岳走、クロスカントリーなど、様々好き勝手に使用されているが、登山の一ジャンルであることからして早駆け登山もしくは山岳走が妥当であろう。私は山岳走を用いたい。言葉の響きがよく、妥協を許さないひたむきさと高峻な山岳において自らの体力だけを頼りに山に挑むという前向きな姿勢が感じとれるからである。

 昭和59年夏私は、『再び山へ』4)で静観的登山の実践を明言した。以来10年、各成長ステージにおいて自分自身の登山理念の整合性と一貫性を保つことにこだわりを持ちながらも、常に前向きに発展的変化を求めてきた。既に40歳代の後半にさしかかるが、それだけに今後とも幅広いジャンルから自身の『登山のある人生』を完結させたいと考えている。山岳走は自身の登山に幾ばくかの肉付けになればと思い、無理せず、しかし、臆することなく、可能な限り続けていきたい。現在の当面する目標は、後立山〜立山〜薬師岳〜笠ヶ岳〜焼岳〜徳本峠〜新島々(所要3〜4日)である。実現できるかどうか自信はないが、非力な自分を、気持ちの上ではいつも高みにおいておきたいのである。そして、日々のトレーニングは常にこのことを意識して行っている。以下に最近の私の山岳走を日記から引用しよう。
 注1)葦4号:9〜11、「脊梁への想い」、平成6年1月.2)おゆぴにすと6号:2〜3、「柴田さんの大分100山完登を讃える」、昭和63年6月. 3)下嶋 渓「ランニング登山」、山と渓谷社、昭和61年. 4)おゆぴにすと1号:14〜16、「名山探訪」、昭和59年7月.

雪の九重を駆ける
 新春湯行は、重い荷を背負って坊ヶツルのテントの中で雪見酒をとの希望も、JR割引付きで宿の予約までしてくれた栗秋に敬意を表して、温泉、暖房、賄い付きの大名登山となった。今年の大きな目標として北アルプスでの山岳走による縦走を掲げている以上、せめてアプローチだけでもハードにと、筌ノ口温泉からのクロスカントリーを決め込む。

 デイパックに必要最小限のものを詰め込み、先ずは飯田高原までのロードを軽いジョグ。吉部の大船林道入り口からは暮雨の滝の登山道をひた走り、約12km、標高差700mを1時間半程度で午後3時、わずかに雪化粧の坊ヶツル到着。天気は上々、時間は少しある。それではと、新雪の大船山山頂まで45分で飛ばす。約10cmの積雪の中を運動靴にランニングシャツの出で立ちで、道中重装備の登山者の白眼視も気にしない。

 素手で山に挑もうとするのは、登山の原点。社会的に通用するしないは、この際問題ではない。北大船山、大戸越と、新春の九重連山を満喫しながら早駆けし、再び坊ヶツル経由で17:00丁度に法華院温泉に到着。山荘の窓越しに矢野君の笑顔があったが、栗秋の姿はなし。なんと、彼は本日の日田の実家での初ジョギングで負傷し、無念のリタイヤとのこと。彼が抜けたのは、ちと淋しいが、最近栗秋に登山道から温泉道までみっちり仕込まれ、栗秋以上にネアカの矢野君のこと、話題には事欠くまいて。

 先ずは法華院温泉でたっぷりと汗を流し、宿の粋な計らいの「八鹿」樽酒をたっぷり胃袋に注ぎ込み、例によっての人事不省に陥った。翌2日は独り大船山に登ると言う矢野君と別れ、大船林道から筌ノ口まで駆け下り、新装なり昔日の面影がやや薄れた筌ノ口温泉に浸かって帰分。全行程換算距離38.6km、標高差1,000m、所要5時間20分、標準コースタイムに対する短縮率46%、北アルプス山岳走の目的達成には道なお険し。(平成6年1月1〜2日)

鶴見岳一気登山で腕試し
 今年の年賀状には「北アルプス全山山岳走」の計画をぶちあげ、関係者に配った。これは、はったりではない。大真面目なのである。富士登山競争や、この鶴見岳一気登山競争は、舞台が山岳とはいえ、既製のレールにしかれた、いつでも逃げ場を求められるものであり、地域活性化の手段として始まったそこらのマラソンレースと本質的には同次元のものと受けとめているが、山岳走はこれらとは異なり登山の一つのジャンルと認識しうる境地に最近達した。

 今年の山岳走の予定としては、九重全山走破、由布院〜由布岳〜鶴見岳〜伽藍岳〜十文字原〜別府駅、福知山〜皿倉山、阿蘇外輪山、等を消化した後、白馬〜新島々で総仕上げという段取りになる。この遠大な計画、胸の内にしまっておき、密かに遂行すれば良いものを、逃げ場のない方向に自分を追い込んでしまおうとする悲しい性である。

  さて、日々のトレーニングの延長線上のことと位置づけ出場した肝心のレースであるが、永田、脇水両氏など大分CTCの仲間も出場とあっては、みっともない真似はできまい。時間差スタートで小生より1分前にスタート予定の永田先生の「途中で会うこともないでしょうね」には、「今に見ておれ!」と言いたいところだが、サブスリークラスと、キロ6分ペースでもフルを完走できない自分の今の力では勝負は彼の言うとおり目に見えている。登山歴25年のキャリアは何の意味もなさない。

 が、仕事の帰り、山香町甲尾山の785段の階段をトレーニング場とした質の高い?トレーニングを積んだ成果がどの程度のものかを見るには良いチャンス。先頭から8分遅れのスタートののち、ロープウエイの手前までは何とか山岳走らしかったが、その後は予定の半分も走れず這いつくばるようにゴール。案の定永田先生の姿はそこには既になかった。所要タイム1時間41分。永田先生より4分遅れ。北アルプスの全山山岳走のためにはあと数カ月間、質の高いトレーニングが求められようと、決意を新たにしただけでも、出場の甲斐はあったというもの。(平成6年4月10日)

由布・鶴見の連山走破
 これまで山岳走の対象として走ってきた阿蘇五岳、霊山、高崎山、九重、鶴見等の山々は、すべてトレーニングの一環としての感は否めなかった。実質的には初の本格的山岳走を、阿蘇高森駅を起点に外輪山南部の黒岩峠〜俵山を越え長陽駅に至る、累積標高差2,200m、換算距離45.6kmの大縦走をと意気込み、不案内の道中故、加藤、高瀬のサポートを得て完走しようと意気込んだが、あいにく当日は天気が下り坂ということで、このもくろみはあっけなく延期となった。どうやら彼らの本音は挾間、栗秋からやんやの催促を受けているおゆぴにすと6号の原稿を落ちついて仕上げたい、下り坂の天気は渡りに舟といったところか。それではおさまらぬのが小生。下り坂とはいえ何とか土曜の午前中はもちそうなので、前から温めていた別のメニュー、由布〜鶴見を走り明礬温泉で仕上げるという、勝手知ったるコースとする。由布院駅を起点とするこのコースは由布岳、鶴見岳、鞍が戸峰、内山、伽藍岳のピークを辿る累積標高差2,400m、換算水平距離35km、阿蘇外輪山南部に勝るとも劣らぬハードなコースだが、起伏がありすぎ、快適な山岳走といくかどうかが不安なところ。

 早朝5時40分に我が家を発って、デイパックを背負って先ずはJR賀来駅までの3kmを軽くジョグ。5:59定刻発の久大線に乗り込む。それにしても久大線は、先般の門司〜福智山の時に利用した日豊線の喧噪に比べれば、なんとのどかなことだろうか。

 さて、由布院駅を7:10スタート。横断道路を走る予定であったが、この道路は路側帯がなく、とても物騒で走られたものではない。そこで牧場を突っ切りながら40分程で東登山口に至る。由布岳の頂上付近にはガスがかかっているが、高曇りの天気で一安心。合野越までは歩いたり走ったり。道中ここでも台風の爪痕に心を痛める。合野越からは、なるべく最短コースを取り、可憐なエヒメアヤメに気を使いながら、田ごしらえの準備が進み水面が映える眼下の由布院盆地を見やりながら高度を稼ぐ。またえでは中年登山者からの「寒いでしょうが?」との声をほとんど無視して、由布院駅から1時間40分余りの所要で山頂着。サンドウィッチとリンゴジュースの軽食をそそくさと取り、猪瀬戸へ向けて急下降。頂上直下の下りは2ヶ所に鎖場あり結構気を使うが、岩場にひっそりと咲くイワカガミと霧の晴れ間より眼下に映える志高湖に一時のやすらぎを得、日向岳との分かれのコル(1,050m)付近から傾斜も緩くなり山岳走の趣でどんどん下る。

 今日の山岳走の装備は、オーロンのTシャツとパンツ、タイツ、シューズはアシックスαゲルという出で立ちで、デイパックにはクロロファイバー製両袖ウエアー、予備着替えとタオル、ヘッドランプ、レインウエアー上下、食糧としてサンドウィッチ、パン、リンゴジュース、チーズ、バッテラ、それに水500ccといったもの。ところが、水500ccは不覚にもランニング中の衝撃で穴が空き、大半を道中に注いでしまった。貴重な水の大半を失い、志気をそがれたが、気を取り直し、猪瀬戸で残り少ない水をで喉の渇きを癒し、再び鶴見岳の林道をひた走る。途中からは沢沿いの急登となりペースダウン。馬の背経由鶴見岳山頂と船底新道の分かれでは、予定では鶴見岳山頂を経由することになっているが、おそらくこの疲労度では山上レストランに立ち寄りビールでも飲もうものならそれで本日は終わりになりそう。したがってもう一つの選択肢を取る。

 船底新道はこの分かれから鞍ヶ戸峰の猪瀬戸側の山腹を大きく迂回する標高1,140〜1,180mのほとんど水平歩道といった感じで、船底に至る。整備されていれば由布岳を左に見ながらの恰好の山岳走が期待できそうだが、あいにく最近はほとんど利用されていないようで荒れており、加えてこのところの台風の影響で行く手を何度も倒木に阻まれ快適というわけにはいかない。途中に花の台という由布岳の眺めがことのほか良いミヤマキリシマの小群落に囲まれた岩場が唯一の休息所。

 分かれより約35分の所要で船底到着。由布院駅から3時間45分。かなり疲労が出てきた。眼下の北谷の向こうに佐賀関と国東の両半島が対峙した別府湾が一望される。ここは両半島の二等分線の丁度基部に当たる。気がつけばだだっ広いコルのそこかしこに黄色い可憐な花が咲き乱れ、小鳥がさえずりが響き渡っているではないか。ほとんどが痩せ尾根となる鶴見の山稜の中で、ここだけは別天地である。

 「何もわき目もふらずもくもくと突き進むような山登りをする歳でもなかろうに」 「こういう場所ではもっとのんびりした時を過ごせば良いではないか」。気持ちの上では、いつもゆとりと潤いのある山行をと、思いながらも結局先送りしてしまう。

 さて、思いきり良く休んだといっても、山岳走の世界では、休憩はせいぜい15分。ここは別府アルプスの最奥地なのだ。大した装備もなく、天気も下り坂のこととて、のんびりしてばかりもいられない。気を取り直し、山岳走再開。10分少々で内山の急登を終え、塚原越えまでの緩傾斜と急傾斜を先ほどの疲れが嘘の様に軽快に駆け下る。伽藍岳はパスし、塚原越えはノンストップで狸峠目指して内山渓谷側の薮に分け入る。ここではうっかり狸峠への分岐を見過ごして下ってしまい、すぐに気づいて引き返そうとしたものの足が重く、わずか数分の登りが億劫で、明礬温泉までの最短距離となる内山渓谷をこのまま下ることにする。

 約40分程涸れた渓谷を下ったところ、標高500m地点で、人の声とともにかすかに漂う硫黄の臭気に惹かれて沢をはずれると、急に視界が開け露天風呂に飛び出した。何と、ここは“からすの湯”ではないか。明礬温泉の部落から内山渓谷上部へ車道を上り詰めたところ、最近では湯源郷などと俗化した名を冠せられてはいるが、依然としてハイグレードな山のいで湯だ。

 露天の傍らでは中高年の4人組が焼酎に焼き肉で温泉三昧の宴もたけなわの頃。沢の中からのいきなりの来訪者にも余り驚いた様子もなく、焼酎を奨める。内心の垂涎の気持ちをぐっとこらえ、宴に水を差したことを詫び丁重にご遠慮するが、「山と温泉を愛する人はみんな友達よ」「ビールは今しがた空になったが、焼酎も肉も山ほどある、先ほど蒸したじゃがいもも、ほれ、熱いよ、ささっ」とコップと皿と箸を差し出す。気の良さそうな人達だ。ここまで奨められて断っては非礼というもの。やや遠慮気味に肉をほおばる。焼酎が五臓六腑にしみわたる。

 聞けば福山通運の方々で、気心の知れた仲間内で、こうして浸かりに来るとのこと。肉や焼酎の量からして、露天に浸っては飲み、飲んでは浸るを繰り返しているようだ。少しいい気分になったところで、皆と露天に飛び込む。どうやらこの温泉三昧の言い出しっぺとおぼしき年輩格の一人が、沢からセリとクレソンを採取してきて熱い湯にさっと手際よく浸して塩をかけ、皆にふるまう。これがまたうまい。皆が出たあと、ゆっくり高崎山を遠望しながら入ったり出たりして筋肉をほぐしていると、「大将、焼きそばができあがったよ、はよおいで」と奨める。ここでまた座に上がり込む厚かましさは持ち合わせず、本日の予定最後の10%を残していることを理由に、丁重にお礼を述べる。「山ではお互いよ、今度どこかで私らがお世話になりますよ」との言葉を背に明礬温泉、坊主地獄へ向けて再び駆け下る。

 山が厳しければ厳しいほど湯の有難味が心に残る。今日の山岳走では結局予定の8割方の達成であったが、厳しさばかりでなくほんのちょっぴりの逃げ場を作っておくことも、中年アルピニストが長く厳しさを持続させるためには不可欠である。正月の九重、2月の石鎚山以来の山のいで湯に“おゆぴにずむ”の原点を見る思いがした。〔コースタイム 我が家5:40→JR賀来駅5:59→(汽車)→JR由布院駅7:06〜10→東登山口7:53〜55合野越し→8:10〜14→由布岳東の峰8:55〜9:03→猪瀬戸9:43〜47→船底新道分かれ10:18→船底10:55〜11:10→内山11:25→塚原越え12:55→からすの湯13:30〜14:10〕               (平成6年5月21日)

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