主な山といで湯 ・・ 記 録 ・・2000.1 〜 2000.12(未定稿)

2000(H12) 1.2(日)新ミレニアム二日目、父と日田の名峰・五条殿(834m)に登るの巻
 親父の80才記念に再び五条殿山へ連れて行こうと、1年前からの約束があった。しかし今春には81才になってしまうので、傘寿記念と銘打つからには早く行動に移さないと反故になってしまう。そこで同窓会のため帰省した正月2日に決行することとした。とは言っても日田の実家からは往復のアプローチを含めても2時間程度の行程なのでハイキング気分で登れて大上段に構える必要はないのだ。(本文参照)
参加者 栗秋、栗秋章一郎(父)
(コースタイム)日田(実家)13:55⇒車⇒登山口14:25 58⇒五条殿山15:35 53⇒登山口16:10 12⇒車⇒日田16:35

3.19(日) お彼岸は西長門の名泉・滝部温泉へ
 山口県方面のいで湯でまだ未踏の湯が西長門に残っていて多少は気になっているのだ。そぅ、川棚への道すがらいつも目に入る看板「西日本一の名泉・滝部温泉へ」である。しかし滝部のイメージはとなると、山陰は西長門の山中にある田舎町ぐらいしか思い抱かない。地図で確認するかぎりでは辺鄙な山間の地のイメージは否めないのだ。となれば、う〜ん、現実にこの目で確認せねばなるまい。交通不便で遠隔の地ゆえ、思い立った時に稼いでおかなければ、そのままになってしまいそうだったからである。(本文参照)
参加者 栗秋、悦子(妻)

3.25〜26(土〜日) 春・星生倶楽部で宴会合宿としゃれるの巻
 駄の原倶楽部のメンバーで春合宿をやろうと言うことになったが、急遽の決定だったので、それぞれ世俗事から抜けきれず、結局メンバーは三人と相成った。う〜ん、これでは寂し過ぎるので高瀬一族も呼び、場所を星生倶楽部とした。山のいで湯にどっぷりと浸れば、勇気?百倍、身も心もリフレッシュできる筈である。(本文参照)
参加者 挾間、高瀬一族(正人、洋子、可奈子)、渡邊淳、栗秋

4.8(土) 日田の山へタラノ芽採りと境界整備、仕上げは天ケ瀬の露天だい!
 「おぉ、なんてこったぁ!」とは天瀬町は出口(いでぐち)の(栗秋家所有の)山林に久しぶりに踏み込んだ時の親父のキョウガクの第一声である。60年近い年月、下刈りや間伐など手を入れてきた大木たちがこの有り様を見て嘆かずにはおれない心境は痛いほど分かる。もちろん昨年の台風18号の爪痕であることはいわずもがなであるが、それにしても樹齢60年の大木がかなりの数量倒れている。風のすざまじさは根こそぎ倒壊している数例を見れば容易に想像できよう。しかし取り敢えずはボーゼンとこの光景を受け入れるしかなかった。

 と云うのも今回の目的は@タラノ芽採り A山の境界の杉の木にペンキを付けて我がテリトリーを明確にすること、の二項目であってそれの道具しか持ち得ていなかった。で第一目的のタラノ芽採りは台風の影響か?杉林の植生が大きく変わりタラノキがあまり見あたらないのだ。またあっても枯れた木が多くとても採れるような状況ではなかった。「あぁ、春の山菜の王様はどこへ行った!」と嘆き節は続く。せっかくの我がヒミツの(採取)テリトリーも、これでは来年以降期待は持てない。それでも気を取り直して山林を駆けずりまわったが、6〜7個の収穫がせいぜいであって、その意味では新たなテリトリーを開拓する必要を強く迫られた山仕事となったのだ。

 さて境界整備の方は単純作業である。土地境界線上の大木をアトランダムに選び適当な面積の皮を薄く剥ぐ。そこに白ペンキで「カネ栗」の字(写真参照)を描くだけ。これで5〜6年はもつのだそうな。この作業を都合10本以上の木々に施して我家の山を後にしたが、タラノ芽抜きでは何となく寂しさは否めぬ。ここは仕上げに天ケ瀬温泉に立ち寄り、天竜荘前の露天にて寂寥感を埋めなくっちゃ。
参加者 栗秋、栗秋章一郎(父)

4.15〜16(土〜日) 運輸部登山隊、山を忘れて温泉とタラノ芽採りに狂奔するの巻
 運輸部登山隊の事務局から久しぶりに声がかかった。新緑のくじゅうが舞台とあってはパスする訳にもいかない。しかし「春に三日の晴れなし」とはよく言ったもので、未明からの雨は楽しみにしていた新緑の大船登山を脆くも瓦解させてしまった。となれば我々の使命は何か?先ずは山のいで湯行脚であろう。(本文参照)
参加者 伊藤、荒金、栗秋+(金子、竹下、中嶋⇒会友)
(コースタイム)
4/15 大分9:02⇒車⇒長者原10:35(本隊と合流)40⇒車(瀬の本経由)⇒長湯温泉11:40(入湯・中宴会)13:20⇒車⇒飯田高原・朝日台13:52 14:03⇒(林道経由、タラノ芽採り)⇒崩平山登山口14:55⇒崩平山15:25 36⇒登山口16:00⇒朝日台16:18 28⇒車⇒長者原・星生倶楽部16:40
4/16星生倶楽部8:50⇒車⇒大分10:00
                     
7.29(土) 何となく門司・矢筈山へ 〜ランニング登山の巻〜
 先週末から会社のキャンプやら都市対抗野球の応援で東京往復など酷暑の中、小旅行+飲みごとが重なり少々夏バテ気味で身体も重たい。ここはなるべく平地を走って疲れないようなエクササイズが肝要であろう、と藤松通りを下って国道3号を門司港方面へキロ7分の超L.S.Dで歩?を進めた。傍から見ても歩くようなスピードでなかなか距離は稼げぬ。そして途中で国道199号に入り、片上海岸を一応の折り返し点と定めるも、矢筈山を真横に捉えると、平地だけのランでは身体が本当になまってしまうのではないか、少しはカツを入れる意味で矢筈の頂を折り返し点に変更したらどうか、少しばかりの葛藤が湧いた。矢筈山は昨夏、ランニング登山で登って以来、ご無沙汰でもあるし、「よし、一気に駆け登るぞ!」と気持ちだけは意気込んだ。しかし平地のキロ7分に慣れ切ってしまっている我が肉体はレスポンスよく反応はしてくれず、這々の体であったが、さりとてランニング登山と銘打った以上、歩くことはままならず、心の中は妥協か根性を貫き通すか苛んだまま何とか289mの山頂に到達した。結局頂上直下の林道を100mばかり歩いてしまったが、先ずはランニング登山の範疇であろう。また物見遊山な性向は捨て、エクササイズの通貨点としての山頂である。頂にはわずか10秒の滞在でユルユルと駆け降り、小森江に出て後は国道3号わ復路としたが、これもキロ6分が精一杯。体調の悪いなりにはよく頑張った方かな?。
参加者 栗秋
コースタイム 自宅7:15⇒藤松通り⇒R3(小森江手前からR199)⇒ダイレクトに⇒矢筈山8:12⇒大里東公民館⇒R3⇒藤松通り⇒自宅8:59

8.11〜13(金〜日) 避暑地・くじゅうで温泉三昧の巻
 JR東海の小林氏が3ケ月ぶりに来分する運びとなり、須股支配人の肝入で急遽、くじゅう・星生倶楽部にて、旧大分鉄道管理局運転部のOBたちが集うことになった。平たく言えば、OBのおじさまたちが久住高原でゴルフを楽しみ、ひきつづき場を長者原・星生倶楽部に変えて大宴会に突入しようと言う企てである。もちろんゴルフの方はウィークディの昼間でもあり、適う筈もなかったが、夜の宴席は避暑地・くじゅう、しかも風光明媚な星生倶楽部だもの、大いに食指が湧き、参加させていただくこととした。しかし待てよ、折角の高級リゾートである。一人で夕刻 乗り込むのも、もったいない気もして夏休み中の愚息・寿彦に声を掛けると、意外にも「同行したい」との返事。OB会の宴席に子連れは馴染まぬのではとの懸念など、もとより持ち合わせていないので、意気揚々とくじゅうへ乗り込んだのだ。要は避暑地の夏を楽しめばいいのであって宴席の名称にこだわる必要もなかろう、との思惑である。

 で、標高1000mのくじゅう・飯田高原はさすがに涼しかった。日没にはまだ間があり、ゴルフ組は未だ帰還していなかったので、常人なら久しぶりの星生温泉にどっぷりと浸り時を稼ぐのだろうが、もちろん己の行動パターンは違うわね。先ずは標高差300m余りの牧ノ戸峠(1332m)まで、行きはフーフー、帰りは転がるように往復10kのランニングを敢行し、心地よい疲労感と共にいで湯に浸り、そして酒池肉林?の宴席に臨もうという魂胆なのである。もっとも愚息からはこの行動パターンは見透かされており、「オヤジ、オレは付き合えないよ。外で今からスケッチだい」と先手を打たれたが、ちょっぴり無念さを表情に滲ませたかも知れぬが、ほとんどは織り込み済みである。さて 
参加者 栗秋、寿彦(長男)、運転部OB諸氏(小林、佐々木、須股、中村、若松、野口)

8.14(月) 伐株山へランニング登山の巻
参加者 栗秋
(コースタイム)玖珠(実家)6:36⇒登山道路入口6:46⇒鎌研峠7:12⇒伐株山山頂(北側の展望台)7:24 32⇒鎌研峠7:40⇒林道・万年山線出合7:49⇒(万年山温泉経由)⇒玖珠(実家)8:16      実走行キロ 13km

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