主な山といで湯 ・・ 記 録 ・・1997.1 〜 199.12(未定稿)  

’96(H8年) 1.1〜2 九重・大船林道をMTBで攻めるの巻 

 ’95年末に硫黄山の噴火活動が再び活発になった。これは急いで第2次硫黄山噴火動向調査隊を組織して、つぶさにこの目で状況を確認しなければなるまい。そして図らずも隊員はバイクフリークの3名に決定した。フフフ...おのずとこのメンバーでは機動性を高めるというお題目を掲げて、凍てついた大船林道をMTBで攻めるしかないね、とかねてからのささやかな夢の実現を図った。(本文「湯行・山行活動報告」参照)

参加者 栗秋、寿彦(息子)、矢野(会友)

1.15 九重へ、第3次硫黄山噴火動向調査隊 北千里にて硫黄山望見す!の巻

 “おゆぴにすと”本部の古参メンバーによる新年会で、話題は必然的に九重・硫黄山の噴火活動の活発化に及んだ。それでは早速、隊を組織して実態調査に行こうではないか、と話がまとまった模様。まっこと酒の席での遊びの話はまとまるのが早い。

 で今回は12年と半年ぶりに(栗秋にとって)塩月氏も同行することになり、懐かしさもひとしおであった。コースは吉部から暮雨の滝経由で坊ケツル〜法華院〜北千里まで。ここからは立ち入り禁止ラインとなり、折り返す。法華院山荘での雑煮大会に名を借りた小宴会と下山後の庄内温泉・校舎の湯(地元の長?伊藤道春君によると正式名称は“ほのぼの温泉”と言う)は特筆すべき貴重な体験であった。(本文「湯行・山行活動報告」参照) 

参加者 加藤、塩月、挾間、栗秋

2.8〜10 伯耆大山にてスキーと人生の因果関係に迫るの巻 

 親子揃って関連会社主催の大山スキーツアーに参加して今年で2回目。そして今回は、ついにと言うかやっとと言うか、昨シーズンからの通算スキー体験4日目(寿彦のこと)にして初めての親子揃っての滑走を目論む。(本文「湯行・山行活動報告」参照) 

参加者 栗秋、寿彦(息子)

3.23 矢筈岳ランニング登山

 春暖の喉とはいささか趣を異にする毎日で、今年は春の訪れが遅いと思っていたが、矢筈岳へ通じる野辺には春の草花がつつましげに萌え出ずり、着実に春は来ているのを実感した。山頂からの霞みがかった展望は、どこかやるせない春の“重さ”を垣間見たような気がしたが、三寒四温を経ていずこも春爛漫に至るのだ。自宅から往復12km、1時間18分余りのショート・エクササイズ・トリップでござりまする。

参加者 栗秋

4.14 第9回べっぷ鶴見岳一気登山の巻

 どんよりと曇った天候なれど、昨年の雨降りレースに比べれば言うことなし。一緒にエントリーした挾間兄はトレーニング不足を理由にキャンセルして我々の付き人に早変わり。自分としては体調は悪いなりにそれなりの走りをして、その時々で悔いのないレースをすれば可と思っているので、ちょっと奇異に映るが、挾間兄とは言え他人のこととて、いらん詮索は無用であろう。しかしそれとは裏腹に付き人がいなければ、山頂で不便をかこうので、逆にいなければ有り難さが分かるというものだろう。

 で、レースの方はやっぱりきつい。1375mの標高差を重力に反して身体を引き上げるのだから、いわずもがなか。とても物見遊山と言う訳にはいかない。いつものとおり最初だけ飛び出し後はズルズルと。堀田(6k付近)の集落では恐れていた釘宮氏(挾間の義弟君)から抜かれ、それでも中間点のロープーウェイ高原駅(50分35秒で通過)までは何とか付いていったが、粘りもそこまでで後はいつもの体たらく。結局、約12kの道程を1時間48分余要し、53位/163人でゴールと相成った。いつものことだけどタイム、着順には関係なくゴール直後は肩で息をしつつ、「あぁもう出らんぞ、こげなきつかこと」と思うも、時間が経てばきれいさっぱり忘れてしまうのがアスリートの普遍的な言動であるわな。そうでもしなければ、レースに出てストレスが溜まることになってしまうものね。

 さて下山後は泣き出した空を見上げて、いつもの堀田温泉・夢幻の里の露天風呂でゆっくりと暖まり、昨年同様、桜の名所南立石小学校の校庭(高床式体育館の床下)に陣取って、雨に煙るしだれ桜の美に酔いつつ、おまけに焼き肉とビール三昧に酔うという、とびっきりの楽しみを味わった。この時期の南立石小学校は穴場中の穴場であることを改めて認識した次第である。

参加者 挾間、栗秋、岡、釘宮、その他知ってる人たくさん(塩月夫妻、吉賀父子    矢野、加治Family、脇水などなど)

4.21 戸上山ヤブ漕ぎランニング登山の薦め

  前日から福岡の兄宅に寿彦と泊。実は甥の正寿君のアラスカの難峰、ハンター峰とフォレイカー峰単独行の出発を翌日に控えての壮行会に出席したのだが、ありていに言えば、出発前夜、家族水入らずのささやかな宴の場に息子ともども押しかけたということになろうか。で、遠征の多岐にわたり重々しい装備類を目の当たりにして、資金調達の苦労話、はたまた休学してまでの山への情熱なんぞを聞くにつけ、自分の青春の一時期、血沸き肉踊りつつもいろんな葛藤の末、断念した思いとダブりいにしえの追憶が甦ってくるのです。 

 とマァ、少しばかりは彼の行動に感情移入しての帰門であった訳で、このあたりの延長線上にあったのかは分からぬが、何の脈略もなく、ふと戸上山ランニング登山を思いたったのです。はるかに想像するハンターの氷壁とは趣は大きく異なるが、一般登山道では壮行会の余韻に合わず、門司アルプスの麓に位置する緑ケ丘中学の背後から始まる沢筋にルートを求めることにしたのだ。このルートは途中までは沢沿いに細々と踏跡がつづいているが上部は途絶え、ヤブ漕ぎと相成る。3年前の記憶ではあっさりと戸ノ上山〜足立山へとつながる門司アルプスの主稜線(縦走路)に出くわす算段であったが、登りつめた稜線は我が社宅方面から真近に望む通称、三角山へ派生する支稜線であることに気づき、あわてて雑木林を東にとって縦走路に出て、ホッとしたのだ。もちろんランニング登山とはいっても走ることができたのは沢筋の中腹までで、体にまつわるイバラやカズラなどのヤブ漕ぎに加えて急斜面のこのルートはまったくの遅々匍匐(ほふく)たるひとときではあったね。

 で、これに比すと戸ノ上山へとつづく縦走路は一級国道のごとく快適である。適度のアップダウンはむしろアクセントになり得て、ランニング登山の醍醐味を味わえるコースなのである。そしてすれ違ったり追い越した2.3の登山者の奇異な視線はものともせず、半ば爽快、そして少し苦痛の表情を織り混ぜて目礼するのがこの場の流儀なのかもしれない。途中、大台ケ原からの関門海峡の眺めは相変わらずすばらしい。ここではゆっくりと遠景を愛でたいところだが、この登山の趣旨にはそぐわぬ。横目で過ぎ、最後の急登は速足に切り替えて頂上台地の森へ。ここでちょっとした出来事がおこった。前方から見覚えのあるまるっこい単独行のおじさんと出会ったのだが、何とこのクロニクルにもたまに登場する会社の同僚、K氏であった。お互いにびっくり。日曜日の夕刻、登山客の途絶えたこの時刻にこんなところで会おうとは物好きな御仁である。(と彼も思っていることだろう、しかもボクは走って来たのだから)突然で言葉も見つからず、つかの間の挨拶をかわし別れる。そしてほどなく戸ノ上山の頂である。ここまで自宅から1時間とちょっと、主稜線に出でから25分余の行程であった。山頂からの眺望はほとんど臨めず、ランニング登山の手前、止まることなしに滝の観音目指して、照葉樹の密林に迷い込むように急降下ルートを採った。そしてものの20分で住宅地へ。全行程1時間40分余りのフィジカルトレーニングであった。少しはアラスカの峰々のポテンシャルに迫れたかなぁ、などと方角違いのクロニクルはこの辺でおしまい。

参加者 栗秋

4.28 MTBで下関・霊鷲山と長府の町へWith Etuの巻

 『G.Wの前半を如何に有意義に過ごすか』との命題の実践例として28日、出無精の奥方と下関は火の山の奥に横たわる霊鷲山(289m)に登ることになった。もちろん山頂までサイクリングロードが整備されているこの山にはMTBが似つかわしいが、彼女とは久々のエクササイズである。そして下山後は奥方の趣味に合わせて、長府の町は土塀連なる武家屋敷の町並み散策と、その一角にある下関市立美術館で開催中の安野光雅の『平家物語の世界』展を見ようとの欲張りな行動をとった。(本文「湯行・山行活動報告」参照)

参加者 栗秋、悦子(妻)

5.3 寿彦と連続4回目のツール・ド・国東、今年は120kコースの巻 

 風薫りさわやかな皐月となれば、先ずは恒例のツール・ド・国東からサイクルエクササイズはスタートだ。そして息子との連続出場4回目を数える今年は、彼も中学1年となり、図体も平均以上にでかくなったので、この大会のメインプログラムである160kセンチュリーランも考えたが、息子の力量から測るに先ずは120kコースであろう。ほんぶん「恒例のツール・ド・国東、今年は120kコースに出たぞの巻」参照。

参加者 栗秋、寿彦(息子)

5.19 山口は秋吉台の北方にそびえる桂木山に登ったぞの巻 

 『アルパイン・ガイド中国・四国』を見ても、山口県の山々の案内記事は10座くらいしかない。その中で既に寂地山、一位ケ岳は踏んでいる。さて次はどこか、手頃な山はないかいな?とパラパラと手引書を見る。そして白羽の矢を当てたのが秋吉台の北方に位置する桂山(かつらぎさん)。700mちょいの標高でも山口県にあっては秀逸であり、秋吉台カルスト高原のみならず、ぐるっと360度いっぱいの見晴らしが素晴らしいとうたい上げている。よ〜しここだ。してパートナーはと家庭内を見渡しても女房以外は意図的に目線を合わせない。

 で妻と二人、ローバー・ミニはトコトコと美祢から秋吉台へとつづく田園地帯をくぐり抜けて山峡を溯ることしばしで登山口へ。秋芳大滝を中心にして渓谷美を売りにしたキャンプ場がそれである。がまだまだシーズン到来とは言えず、テント一張り、車一台見当たらない。快晴の下、聞こえるのは沢音と小鳥のさえずり、木々のそよぎと、この界隈では人口音が付け入る隙間はない。

参加者 栗秋、悦子(妻)

(コースタイム)

門司(自宅)9:32→車→(美祢I.C〜秋芳町〜柏木バス停経由)→桂木山登山口(キャンプ場)10:50 55→稜線(新道経由)11:30→桂木山11:41 12:05→(旧登山道経由、途中からヤブ漕ぎ)→登山口12:50 13:00→秋芳大滝13:04 08→車→(一般道経由)→湯谷温泉・共同湯入湯14:15 45→車→門司(自宅)16:00

5.26 八面山アタック出場雑記                        

 恒例の八面山アタックに3年連続、通算5回目の出場を果たした。今年でこの大会も10回目を数え一つの時代を築き、社会的認知を得たイベントになり得た感もする。しかし個人的にはレース直後いつも「こんなきつい坂、もう来年は止めよう」と、つらい思い出ばかりが先行する。本文参照 

参加者 挾間、栗秋、釘宮(挾間の義弟)、高瀬(応援に駆けつけた)、他CTC会員若干名

9.15 久し振りの山は山口・華山(げざん)と狗留孫山(くるそんざん)、そして仕上げは川棚温泉の

 敬老の日、5月の桂木山登山以来の山行である華山の登山を計画、実行したが....、話は意外な展開に。(本文「湯行・山行活動報告」参照)

参加者 栗秋、悦子(妻)

9.22〜23 美女二人とおじさん三人の珍道中・九重の初秋を愛でるの旅 

 “おゆぴにずむ”と“トライアスロン”この二つの全く異なる精神構造や行動実態のどこかに共通項がある、と以前から思っていた。その解明のための旅に出た。でパートナーは妙齢の美女二人を含む玄海T.C(トライアスロンクラブ)の重鎮・進藤おじさんとその一派である。(本文「湯行・山行活動報告」参照) 

 参加者 栗秋、新藤、他3名

11.4 Mt.皿倉駆け登り大会に出場

 因縁のMt.皿倉駆け登り大会がやってきた。今年2回目のこの大会、去年(9月開催)は申し込んだものの台風の影響を受け土砂降りの雨模様の中、距離を短縮して行ない運営側としては中止だけは取り留めたが、トーンダウンは甚だしく寂しい大会であったと聞く。もちろん風雨の影響で早朝から出勤を余儀なくされたボクにとっては詳しいレース模様は知る由もなかったのだ。で今回は一変して快晴の小春日和で気象条件は申し分ない。本文「霜月に於けるラン大会三連戦オムニバス」参照。 

参加者 栗秋

12.31〜1.1(H9)九重年越し山行はMTB+登山がよく似合うの巻

 1年はアッと言う間に迫りくる。早いもので恒例の正月九重山行の時期が来た。前回は坊ケツルで盗難の憂き目に遭ったが、MTBによる白銀の大船林道攻めと法華院温泉山荘の正月特例の“八鹿”樽酒飲み放題(?)、そして言わずと知れた山のいで湯三昧という悦楽・享楽・湯楽の魅力の方が大きく上回り、今回もMTB+法華院温泉山荘泊のセットメニューを基本路線として隊員募集を始めた。 (本文「湯行・山行活動報告」参照) 

 参加者 栗秋、寿彦(息子)

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