洞察力をみがくかもしくは何も考えない方がが幸せに生きていくには最適解なのか?


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2025/09/21


 ユーチューブをBGM代わりに聞き流すことがよくあります。
 今日、初めて田中角栄のサムネイルが付いた動画を聞きました。
 静止画だったので、作業をしながら音声だけを聞き、「なかなかためになる話だな」などと思っていました。
 途中で「スマホ」という言葉が出てくるまでは、本人の過去のインタビューか何かの録音だと信じ込んでいたのです。
 ところが、田中角栄の声で「スマホ」という単語が出た瞬間、「???」と頭が混乱しました。
 そこで初めて、その動画に寄せられた他の方々のコメントを見て、「なるほど、AIなのか」と認識しました。
 これまで私は、フェイク著名人の株の投資話を信じて詐欺に遭った人たちを、「なぜあんなチープな詐欺に引っかかるのか」と馬鹿にしていました。
 投資は自己責任だ、ザマーミロ――そんなレベルの嘲りまでしていたのです。
 自分でも、とてつもなくひねくれた救いようのない人間だと思います。
 おそらく劣等感や、自分の満たされなさの裏返しなのでしょう。
 ちっぽけな人間です。
 今後、AIはさらに進化していくでしょう。
 今日は色々な意味で気づきや学びがありました。
 自分は人より賢いと勘違いし、人を見下していた自分を情けなく思います。
 ベセスダの名RPG『フォールアウト』のセリフではありませんが、「人は過ちを繰り返す」――いや、「私は過ちばかり繰り返す」。
 いっそこの世が蝶の夢であれば、と思うほどの心境です。
 でも、アホなので明日にはけろっと忘れて、また過ちを繰り返すのでしょう。
 それが私という人間なのでしょう。
 子どものころは「馬鹿子」と呼ばれていました。
 死ぬまで馬鹿です。
 そうそう変われるものではありません。
 生身の詐欺師、AIのフェイク、「百年安心」などと言いながら税金という名のみかじめ料を奪っていく役人たち――そうした詐欺師を見極める洞察力や慧眼が必要になりますね。
 むしろ、何も考えず騙されたままのほうが幸せなのかもしれません。
 私はせいぜいあと20〜30年で死ぬでしょうが、子どもや孫たちの時代はどうなっているのでしょう。
 何も残せず、申し訳なく思います。