第5回  名人は危うさに生きる


※写真は本文とは関係ありません。

審判員のことである。
それも、仕方なしにやっているのではなく、求道者のごとき者たちの話。
 
ある九州大会のベスト4の試合、当然審判員たちも選りすぐりが立っている。
単に、ストライクボール、アウトセーフを言うだけでなく、試合の流れ、観客、大会スタッフなど
多くのことを考えながらグラウンドに出ている。
 
インコーナー高めに、打者が振りかかったと思った瞬間、捕手が立ち上がろうとする、
気配を感じた球審がボールの見える位置に多少体を移そうとした時、打者に当たった音がし、
ボールが足元に転がった。動いた捕手の体が大きく、肝心の場面ピンポイントは見えなかっただろう。
 
以下は、試合後球審から聞いた話である。
 
ためらってはならない。
推察と五感の全てが伝えようとしている事は、「デッドボール」だ、と。
両手を上げ、打者を一塁へ行かせる。
 
一塁塁審がさりげなくそばに来て、(ファールボールじゃない?)と。
彼は、体に当たる前に、バットに当たったように見えたということらしい。
(いえ、デッドボールです)(ふ〜ん、了解)
 
といってる間に、三塁塁審がそばで(ボールじゃない?)と。
彼は、当たったのは確かなんだけど、打ちに行って避けてないように見えたと。
(いえ、デッドボールです)(はい、はあい)
 
やれやれと思ったら、守備側の監督がやおら出てきた。
(え〜!まだあんのかよお!)
「今のは、スイングじゃないですか?ストライクでしょ!」
要するに振りに行ったが空振りして、変化球が体に当たっただけじゃないかと。
「いえ、デッドボールです」
 
事実に基づく判断は一つしかない。
その一つのジャッジが、勝敗を左右する。
このケース、4通りのジャッジは可能性としてはあるが、真実は一つ。
プレイヤーも観客も納得できるジャッジを、審判員は課せられている。
審判は、ルールという知識と審判技術を身につければ出来る訳ではない。
信頼という流れに乗った厳しい視点が求められる。
 
刃の上を素足で歩く覚悟があるかどうか。
それにしても、この3人は流れも場面も経験から来る判断もいいねえ。