よしぴー日記(2008年3月分)

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3月18日(火)
午前9時過ぎに家を出た。
富士見が丘が渋滞しているらしいので、今回も高速を利用。

午前10時過ぎに葬儀場へ着いた。
何故か記念写真があると言う。
それからご飯が出た。
昨夜は簡単な煮物と味噌汁と漬物の簡素なものだったが、
今日は精進料理とは言え、弁当屋さんが作った豪勢なものだった。
ご飯担当の隣保班の方から「お代わり如何ですか?」と言われたので
頂く事にした。

隣保班と言うのは、隣組みたいなものらしく、大分県ではかなりの地域で残っている。
検索して見たらこのサイトが2位で引っかかった…
田舎の方では葬式などは隣保班の方の協力があったりするのだ。

そして葬儀。
子供もぐずっていたが、式が始まるとほぼ同時に昼寝に入り、
無事焼香も済ませた。

最後に親族が残り、棺に花などを入れていく。
最後のお別れが近づいていると感じてしまう空間だ。

「男性の方、棺を霊柩車まで運ぶのを手伝ってください」
と言われ、キャスターも付いているようだったので
(腰が悪いので)俺も運ぶ事にした。

霊柩車は火葬場へ出発。
その際、長いファーンというクラクションが鳴り響いた。
出発を意味するクラクションだ。さすがに涙があふれ出た。

俺は子供を風呂に入れるので火葬場には行かなかったので、
ここで最後のお別れなのだ。

それから家族風呂のある小野屋の温泉へ行った。
小野屋温泉と同様、コーヒー色の温泉だった。
すぐ横をJR久大本線が走り、プチ鉄道ファンの俺としては
嬉しい限りだった。

それから母の実家へ。5年ぶりぐらいに行くんじゃないか?
小野屋から山奥へ4kmほど入った場所で、今はどうか知らないが
携帯はDoCoMo以外圏外であった。
母は子供の頃、キツネかタヌキに化かされた事があるらしい…
それくらい田舎である。

なので、俺はちょっとやそっとの田舎じゃ驚かない。

今は由布市となり、コミュニティバスが狭い道まで走っているようだ。
バス停の名前が「○○氏住宅前」ってのが多いのが凄いけど…
それも同じ苗字の人が多いので下の名前まで。

母の実家で暫く待つと、お坊さん到着。
繰上げ初七日法要って言うみたいだけど…それを行った。
30分以上正座していたので、足がしびれたどころか、右足首の
間接が動かなかった。

そしてこの時から精進料理は終わり、肉や魚を食べる。

午後8時前に母の実家を出たが、やはりちょっと疲れた。

明日から又仕事だ。頑張らなきゃな。
…とはいえ、又明後日は休みだけど。

爺ちゃん、安らかに眠って下さい。

3月17日(月)
昼飯を食って、会社を出て、自宅へ。
早めに子供を風呂に入れ、庄内へ。

昼間は大分市内の210号線が混むかもしれないと思い、
大分米良〜大分I.C.は高速を使った。
金谷迫交差点から賀来方面へ…
「涙の10号線」で歌ったルートの真逆コースだ。

賀来のスーパーで買い物をし、そのまま葬儀場へ。

国道210号線をひたすら西へ。
久々に通る道だ。

庄内駅の近所に葬儀場はあり、祖父の名前が書かれてあった。
それを見ても、祖父が亡くなったと言う実感はない…
母方の祖父だし、年に数回しか会わなかったと言うのも
あるのかもしれないけど…

会場に着くと、待機場所となる奥の広い部屋に親戚の方が
沢山いらっしゃった。
半分ぐらいは知ってるけど、祖父祖母の兄弟はさすがにわからない…
部屋が広く、遊び相手が沢山いるので子供は大喜び。
明日には関西在住組も帰郷し、孫が全員集合するそうだ。

夕食が出たが、所謂精進料理だった。
それを頂いて会場へ。

遺影はディスプレイになっていて、思い出の写真が次々と
出てくるようになっていて驚いた。

通夜は30分程度で終了。

その後、棺桶が奥の部屋に運ばれてきて、祖父の顔を見る事が出来た。
「眠ったような顔」と聞いていたが、
実際に見てみると、口をぽっかりと空けており、
棺桶の中に居る事でやはり祖父は亡くなったのだと実感した。

葬儀場に寝泊りする人も多いらしく、酒を勧められたが、
俺は運転手なのでお断りした。

明日は午前中から夕方まで色々あるみたいだ。

3月16日(日)
随分前からmixi stationからWindows Media Playerの送信履歴が
表示されないなぁと思って検索したら、オプションの設定
(ちなみにツール⇒オプション⇒「プラグイン」タブの「バックグラウンド」⇒「mixi station」のチェックが外れていた。)
だった事がわかり、久々にルースターズ等を聴きまくった。

気づけば午前2時。いい加減に布団へ入った。

見たのは戦争の夢。
昭和20年8月6日にタイムスリップしていた。
ヤバイ、原爆が落ちる…
と思っていたが、近所の看板には何故か「大牟田市」の文字…

何か訳がわからず目が覚めた。

朝食を食って、美容院へ。

俺の分のセットが終わると、母から電話。
母方の祖父が亡くなったとの連絡を受けた。

丁度子供が産まれた直後から植物人間状態になっていたのだが、
ここ数日病状が悪化したのだそうだ。
午前0時25分に永眠したらしい。
祖父の命日と子供の誕生日が一緒なのか。

明日通夜で、明後日が葬儀…
なんとか仕事の都合もつきそうだ。
仕事関係の方に連絡をし、調整した。後は明日、お客さんに電話だな。

そういや祖父は国内ではあるが太平洋戦争に参加していたらしい。
そんな夢見たのもちょっとは関係あるのだろうか…

それから写真を撮りに行ったが、睡眠不足も手伝って半ば放心状態。
訃報を聞いて純粋に祝えない複雑な心境。
子供と一緒に遊んでいる写真も撮ったのだが、
「表情が硬いですよー」と言われた。
まぁそうだろな…

母の里は現在の大分県由布市庄内町。
大分でも庄内と言えば田舎と言われるが、その庄内でも田舎と言われるような場所。
そんな田舎なので自宅でやるのかと思ったが、
通夜も葬儀も葬儀場で行うらしい。

母は今日から葬儀場に暫く泊り込みらしい。
大阪に居る弟も帰って来るそうだ。
明日、明後日も慌しくなりそうだな。

3月15日(土)
今日は地鎮祭と子供の誕生日会だった。

朝8時半過ぎに家を出て、購入した土地へ。
以前は空き地が多かったが、どんどん家が建っており、
うちのまわりがうち含めて7軒あるんだけど、
うちが最後だった。

午前9時に地鎮祭開始。
途中、お神酒と塩を土地の四隅にまき、玉櫛も捧げた。
それが終わると、工事関係(電気、水道等)のちょっとした打ち合わせ。
その間、子供はハウスメーカーの営業さんが一緒に遊んでくれた。
オール電化だと電気料金が変わるらしい…
光熱費はかなり安くなりそうだ。

帰りに、お供え物を頂いた。
鯛、野菜、果物、日本酒…
かなりの量になった。まさか貰えるとは思わなかった。

そして実家である料亭へ。
今日はお客さんも居ないと言う事で貸切状態。
誕生日は明日だが、明日は他のお客さんが入っているらしい。
ま、日本の法律では満年齢は誕生日前日で増えるらしいので、
「1歳おめでとう」は間違いないのだ。

餅ふみの儀式もやった。
俺も弟もこの儀式はやっていないので、大分ではそういう風習が
ないものと思っていた。
餅を背負いながら、数歩歩いていた。
こいつは結構、力があるな…

明日は朝から美容院へ行って写真館へ行って写真を撮ります。