よしぴー日記(2005年4月分)

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4月30日(土)
長い2日間の日記を。

4月29日(金)
昨夜は寝るまで時間がかかってしまった。
午前2時に寝て、5時40分起床。

準備はほとんど昨日のうちに済ませてある。
かばんを持って、地下鉄で福岡空港へ。

搭乗手続きで、チケットを貰った。

福岡〜東京はいつも、安いからスカイマークを利用する。
最初は、色んなものを排除して、サービス一切なし、でかでかと機体に広告が入る…
と言った方法で経費を削減していたようだが…

チケットは以前、ファーストフード店のレシートのようなちゃちなものだったのだが、
他の航空会社のチケットと同じような立派なものに変わっていた。
窓側の席は取れなかったが、まぁいいや。

搭乗口前で朝食のパンを食べながら、出発時刻を待った。

やがて飛行機に乗り込んだ。
飛行機は加速して、浮力をつけ、東京に向かって飛んだ。

飲み物のサービスが来たが、喉も渇いてないし、いらないと伝えた。
…しかし、よく見ると飲み物はペットボトルになっている。
今飲まなくてもいいのか…しまった…まぁいいや。

お菓子はもらっておいた。

仮眠してたら、飛行機は羽田空港に到着した。
スカイマークは羽田についたらバスに乗って…と思っていたが、ターミナルに機体をつけていた。

ホリデーパス(注1)を買ったことだし、久々にモノレールに乗ってみよう。
モノレールの駅へ行くと、なんといつの間にか、快速が出来ている。
しかし、快速には間に合わず、普通で浜松町へ。

方向は逆なのだが、まずは横浜へ行ってみよう。
わずか3ヶ月ではあるが、関東に住んだことで、俺の中の色んな感覚が覆された、
そんな思い出がある町だ。
横浜に居たから、大分から福岡に転勤になってもなんともないと思えた。

まずは品川に行って、品川から東海道線に乗り換える。
景色は懐かしいという感覚ではない。
今でも横浜に住んでいるような感覚に陥る。パッとその時の「感覚」に戻ってしまうのだ。
どこに行くには、何駅で降りて、そこに行くにはどこで何線に乗り換えて…というのが、まだ頭の中に残っている。

折角ホリデーパスがあるし、一人きりだ。
個人的趣味の場所へ行ってみよう。
横浜駅を更に過ぎ、大船まで行った。

廃線ファンの間では、幻の鉄道などと呼ばれている、モノレール大船線廃線跡。
俺が横浜に引っ越すちょっと前に閉演になった、横浜ドリームランドと言う遊園地があり、
そこへのアクセスとして1966年5月2日に開通したものの、開通から一年余りで
車両重量超過と橋梁の強度不足ということで休止になったモノレールである。

あくまでも休止扱いだったが、最近、正式に廃止になり、撤去されていると聞いた。

前に横浜に住んでた時に確か見に行った…その場所を探ってみると…
確かにない。

少し寂しい気持ちを胸に、横浜駅へ戻った。

根岸線に乗り換え、石川町駅で降りる。
そこから海へ歩くと中華街だ。
中華街はいつも通るだけで食べたことがないな…折角だから何か食べよう。
しかし、旅行かばん持って町をふらついているといかにも田舎ものだな。
一応、俺、短い期間ながら元・横浜市民なんですが…

一人でも入れそうなお店に入った。
なんとランチが\1,050。それはおかず2品とライスらしいが、
\1,200でおかず1品と、チャーハンのセットもある。
そっちにした。

…チャーハンが美味い!
それから山下公園へ。
中華街→山下公園は休日の俺の散歩コースだった。
更にみなとみらいをふらついたりしていた。
疲れたときは市営バスに乗って横浜駅まで向かったものだ。

再び石川町駅へ。
…鴨居に行こう。
俺が住んでた町だ。

3ヶ月と期間は短かったので、友達が出来る暇もなかった。
しかし、俺がLIVEをやらせてもらってたバー「NICO」では強烈な印象を残していたようで、
お店であったら話しかけられたりしていた。
俺が九州に帰るとなったら「又会えるよね」と言ってくれた人も居た。
俺はちょくちょく行きたいと思っていたが、現実はそうも行かない。
更に期間が短いだけに俺を知ってる人も少なくなる。

当時出会った人でここをまだ見ている人がどれだけいるかわからないけど…
4月29日の午後1時過ぎかな。俺は鴨居に居ました。皆さん元気ですか?俺はこんな感じですけど。
あの頃も楽しかったけど、やはり俺は九州が一番いいんです。

電車に乗っていると、自転車の駐輪場が見えた。
鴨居だ!
「かもい、かもいです…」の電車のアナウンス。

改札口を出て左へ曲がり、階段を下りる。
3年前と何も変わらない景色。
九州の人は意外に思うだろうが、横浜は山が多く、鴨居も、駅前は店や住宅がひしめいていて、山が迫っている。

西菅田団地行きのバスが見えた。西菅田団地と言えば、俺が初めて結婚式に出席したのが、
会社の先輩のAさんの結婚式だったなぁ。
27歳まで結婚式と言うものに出席したことがなかったのだが、それから年に数回ペースで呼ばれている。

当時の家の前に行った。
去年も行ったけど、変わらないな。
2DKのマンションに同期と2人で住んでいた。
かろうじてプライバシーは守られていたが、女性を呼んだりすることは困難であった…
の前に、当時は今以上に女性に縁がなかったのであるが…

商店街を歩く。
あんまり変わってないかなぁ…
ダイエーの営業時間が変わったぐらいだろうか。

できれば、中山まで道路沿いに行ってみたいものだが…
自転車がないと困難だ。
書いてるだけで当時の事を色々と思い出すなぁ…

ちょっと渋谷に行ってみるか。
G.W.で人も少な目かな…
…と思ったら大間違いであった。
渋谷は渋谷。人が多くて歩けない。
…もういいや。柏に行こう。ホテルで仮眠しよう…

渋谷から山手線で新宿、中央線で神田、京浜東北線だったか山手線だったかで上野まで行った。
ここで常磐線に乗り換える。
常磐線なんて乗ったことないや。
九州基点で俺の国内の行った事のある一番遠い場所が高校の修学旅行で行ったディズニーランド。
柏まで行ったら記録更新だ。

途中、亀有を通り過ぎた。
「こち亀」の舞台を初めて生で見た。

やがて、柏駅に到着した。
ホテルに着くと、いきなりGが居た。
彼が俺に気づくと、わざと隠れてみたりした。
実に3年ぶりだ。
「痩せた?」と言われた。
前に会った時は俺の横浜在住時。一番太ってた時期だ。

チェックインを済ませ、少し仮眠をした。
暫くすると、携帯の着メロの「アメイジング・グレース」が流れてきた。
友達が大体揃いそうだから、飲みに行こうと言う。

Gと高校の同級生のNちゃん(♂)、大学の先輩のN君(注2)が待っていた。
後で高校で生徒会長をやっていたSが降りてきた。
ひとまずこの5人で飲むことに。

昔話に花が咲く。N君以外は高校の同級生な訳だが、彼も上手く話題に入っていけるような
話がほとんどだった。
高校の同級生では、俺以外は結婚してて、しかも子供がいたりするようだ。
ま、今年で30歳だから全然不思議じゃないんだが…
途中でGの弟さんのS君、Gの奥さん、大学の先輩のTさんが輪の中に加わった。

最初はお店の人から2時間と言われていたのだが、なんと5時間もお店に居た。
閉店の音楽が流れてきたので、店を出て、又明日!となったのであった。

注1:ホリデーパス…関東の広い地域のJRが乗り放題の切符。モノレールやりんかい線も使える。
注2:N君…Gが先に大学に入っていて、当時からサークルには顔を出しており、Gにタメ口で他の人に
敬語も変だなぁと思い、「君」づけの先輩が何名かいらっしゃる。

4月30日(土)
気がつけばベッドの上で寝転んでいた。
午前4時に布団に入って寝た。

7時ぐらいに目が覚めて、コンビニへ朝食を買いに行った。

チェックアウトを済ませ、荷物をホテルに預け、式場に向かう…
には時間が早かったので、ちょっと町をふらついた。

式場へ向かっていると、N君と合流した。

式場では、今日直接来た、双子のH兄弟が居た。
兄のFは横浜在住時に何度か会ったし、毎年元旦に年賀メールを送ってくるが、
弟のKは大学卒業以来に会った。
彼らは勉強が出来て、大学も学科まで一緒だったので、よくテスト前は勉強を教えてもらいに行ったものだった。

やがて、式が始まった。
友人の結婚式に出るのはこれで2回目か。
式が終わり、外に出てフラワーシャワーをかけるのだが、
外はいい天気。

やがて披露宴…というより、「パーティ」と招待状にはあった。
いい感じに酔っ払った。

後になって、「1分間スピーチ」をやる事になった。
スピーチが1分間に近い方が勝ちだと言う。
Nちゃんが指名されていたのだが、そこを上手く俺にも振るということで、俺も簡単にスピーチをした。
俺の「記録」は56秒。…しかし、その後57秒の方と1分1秒の方がいらっしゃった。
Nちゃんが一番長く、2分かかったと言うことで砂時計をプレゼントされていた。

他にも楽しい企画が盛りだくさんだった。

パーティが終わって、GのクラスメートだったS君に会った。
彼も浪人時代から知っている。こちらは在学中にもあんまり会ってなかったから…
いつぶりだろう?

高校の同級生と大学のサークル関係の人は全員2次会へ行くようだ。
2次会は午後5時半から土浦で。
しかし、俺は飛行機を予約してしまっていた。
ホテルはGにとってもらったが、基本的にはホテルは前泊で、2次会は会社の人が幹事をされると
言うことで、多分知ってる人はあまり行かないだろうから…と思って1泊だけしようと思っていたのだった。

2次会まで行きたいが、仕方がない。
そうじゃないにしても、G.W.は予定が一杯だし、なんだかんだで飲みすぎているかもしれない。

とにかくホテルに向かった。
俺は荷物を取りに行ったが、NちゃんとSはホテルの部屋に入った。
折角だから出てくるまで待ってみようかな…と思っていると、Gの弟さんのS君が来た。
Gが後で来ると言うので、最後の挨拶だけしようと思った。

しかし、なかなか来ない。時間は過ぎる。
飛行機に間に合わないことはないけど、夕食食べることを考えるとちょっとあわただしいなぁ…
すると、Gのお父さんがいらっしゃった。

事情を話し、暫くするとGと電話が繋がった。
ちょっと挨拶をして、アルコールで少ししびれた頭を持って俺は羽田に向かうことにした。

帰りのモノレールは快速に乗れた。

展望デッキに上る。
実に綺麗だ。

「しばらくさよなら、東京」の思いを胸に飛行機に乗り込んだ。
席は窓側。

やがて、千葉の方向が見えた。
もうちょっと向こうが土浦なのかな…
みんなの明るい笑い声が聞こえてきそうだ。

機会があればつくばまで飲みに行くのも面白いかもしれない。

福岡に着くと、軽く雨が降っていた。
少し急いで家に帰って、シャワーを浴びた。

明日は大分だ。

4月28日(木)
明日からゴールデンウィーク。
2日と6日は休みを頂いた。
しかし、4日は出勤だ。

明日は、久々に東京へ行く。
高校の同級生で、大学の先輩であるGの結婚式に出席するためだ。
厳密に言えば、結婚式は千葉県柏市で行われる。

出会いは小学校時代。しかし、Gは途中で転校していった。
Gは俺の事を「変な奴がいるなぁ…」
俺はGの事を「珍しい名前の奴がいるなぁ…」とお互い覚えていたようだ。

高校で彼とは「再会」した。
高校2年生の時に同じクラスであった。
気がつけば同じ大学を目指していた。

当時彼はニューミュージックを聴いていたが、俺がルースターズやARBを聴かせ、
ロックの道へ引きずり込んだ。

高校生の時に一度、一緒にバンドも組んだっけ。

大学は彼が受かって俺が落ちた。
浪人する為に、俺も福岡に行った。
大学に入ったら一緒に入ろうと言ってた音楽サークルに彼は入った。
浪人時代、学祭で彼のバンドでドラムを叩かせてもらったっけ。

一年間の間に、彼はハードロッカーに変わっていた。
「あの時俺がこっちの道に引きずり込まなければ…」
と、変な後悔をしたことがある。

メタリカやジューダス・プリースト、スキッド・ロウ、レインボーといった、
普段そんなに聴かない音楽も、彼の周りのHR系のバンドでドラムを叩いて知った。

俺が大学3年生のとき、彼はホームページを作っていた。
俺は持っていなかったし、彼は理学部。
何故工学部の俺が持ってないんだ?
そんな思いからこのホームページは出来上がった。

大学4年生(2回目)の時、俺は音楽活動から遠ざかっていた。
しかし、毎年行う卒業ライブにバンドがないのは寂しい。
学祭もあるし…と思っていたらGからお誘いが来たか、俺が誘ったか忘れたが、
俺は彼のハードロック系バンドに参加した。

同時期に出来たのが彼と2人でやった「ケント=デリカッターズ」。
これで俺は初めてメインボーカルを務めた。
これがなかったら思い切ってヴォーカルに転向しようなんて思わなかったかもしれない。

…思い出を書いていたらキリがない。
明日は料金を安く上げるため&時間をたっぷり取るため、朝一番の飛行機で東京へ飛ぶ。
Gや、彼の周りで知り合った沢山の思い出の人と出会うために。

…5:40起床なのに、もう1時半はとっくに過ぎてる…(汗)

4月21日(木)
俺が福岡で再び働き始めて、今日で丁度一年だ。そうかぁ…

お昼前、会社からお客さんとこへ向かおうと、バスを待っていると、携帯に電話。
Kさんだ。何だろう?
「ちょっと無理なお願いなんやけど…」

…何だ…?(汗)

「5月3日に○○(←お客さんの名前)に来てもらえんやろか?」
…はっ!?
今年は10連休で前半はGの結婚式で千葉に行くし、後半はゆっくり休もうと思っていた。
年末年始もろくに休んでないのに…
それに2日は小旅行の予定だ。帰着先は大分で、そこから次の日に行くのはきつい。

最初は断り、他の人に頼むようにしたが、やはり俺しか居ないと言う。
4日でもいいと言うので、4日ならと答えた。

結局、4日に行くことになった。今日、急に決まったらしい。
この仕事、休日や夜間じゃないとできない作業があるのがちょっときつい。

お客さんとこには、午後9時過ぎまで居たが、今日は珍しく、午後8時前には開発室には誰も居なくなっていた。

家に帰ると、高校時代の同級生で、大学時代のバンドメンバー、Aからメールが来ていた。

俺はLED Bladeというバンドを1995〜1997年に福岡でやっていた。
元々は雄城台高校の文化祭用バンドが母体。メンバー4人中3人が福岡に行くので、
誰が言い出すともなく、今度は福岡でオリジナル中心のバンドを作ろうと言う話になった。

俺はドラマーでリーダーだった。
「Beat Missile」「おしえて」「爆弾の降る町で」「Anarchic Dreamer」「ねえママ」等は元々このバンドの曲だ。
余談だが、元々「ねえママ」は「〜他愛のない僕へのラブソング〜」というサブタイトルがあったが、他のメンバーが
つけたタイトルで、使用許可が下りなかったので外したものだ。

しかし、俺はリーダーとしては不向きな性格だった。
バンドは大学のサークルに無理やり属させ、故に他大学のメンバーも強制的にサークルの部員になった。
ミーティングもろくにしない、まさか受かるわけないだろうと思って4つほどのライブハウスにデモテープを
送ったら全て合格。2週間おきや1週間おきにライブするような時期もあった。

…他にも色々あったと思う。ひとまず今思いついたのはそれくらいだ。
別に理由は言わなかったが、VocalとBassが脱退し、別のメンバーがすぐに入ったが、半年後には
俺以外のメンバーが脱退を申し入れた。
俺も精神的に限界だったので、解散を決めた。

しかし、解散する直前からだったか、Aは俺以外のオリジナルメンバーでバンドを復活させる事を提案した。
ここが俺の悪い性格で、よくわからないながらも承諾した。
ある日、ドラムは他の人が叩くからいらないと電話があった。
はぁ…まぁ別にいいや。

出来上がったバンドは、全部俺の曲を演奏し、それも何故かメタル調のアレンジ…
いや、メタル調にアレンジするのは別に構わないが…
明らかに俺を侮辱するためのバンドだった。

多分そうだと俺は思っていたが、何故か俺は「自分の曲を客観的に聴ける」と、言い聞かせて見に行っていた。
ライブハウスのスタッフから「なんで見に来るの!?」と怒られた。「純粋に見たいから」と答えたような気がする。
それに、やはり自分にうそはつけない。
次第に見に行かなくなっていた。

そんな理由から、俺はAを嫌っていた。
しかし、上手く説明できたかどうかはわからないが、悪いのはお互いなのだ。

Aはたまに俺にメール出したり、一昨年のおおいた宝物博覧会でのストリートライブに偶然出くわして、
差し入れを入れたりしたが、その出来事を思い出し、怒りが沸いて来るだけだった。

しかし、実際に顔を会わせると昔の事は水に流してしまいたいのも事実だった。

去年のG.W.明けにこれまた高校の同級生のSさんからメールが来た。
Aと結婚すると言うのだ。
結婚式のお誘いだったが、そんな思いを胸にしてお祝いなんて出来ない。
欠席の旨を伝えるのと同時に、その理由を語った。
それで謝罪が来れば考えようかとも思っていたが、返事など返ってこない。
どうせ高校の同級生はほとんど交流がない。もうこれで終わりかななんて思っていた。

確かその日はねいろやでFuzzy Styleのライブを見ていたような気がする。

きっかけは高校の同級生であるGが結婚することだった。
お誘いを受けたが、事情を話し、Aが来るかどうか気になるという話をした。
Gはこれらの「事件」を一番良く知っている。
Gはその辺を考慮するとの事だった。申し訳ない。
と同時に、俺の気持ちを話すと「だったら解決も早いんじゃない?」との事だった。

結局、Aは子供が産まれたばかりなので行けないと言うことだった。
メールでも出すか…
そう思い、暇と気力がなく、ようやくおととい出したら、返事が来たのだった。
Aのメールアドレスがわからないのと、Sさん(今はAさんだけど)に以前、返事をしたので、
Sさんに出したらAから返事が来たのだった。

和解しようだの固いことは書いていなかった。
向こうからすると今でも元バンドメンバーで普段連絡は取らないけど仲間であると思ってくれていたのかもしれない。
俺が今でも活動していて嬉しいと書いてくれていた。

Beat MissileはLED Bladeの頃から人気はあったけど、今の状況を教えると驚いているようだった。
「いつかライブに行きたい」とIndies A GO! GO!のメッセージにも書いてくれていたが、
今の俺を見てどう思うだろう。反応が楽しみである。

ちなみにLED Bladeの解散を決めてから「音源を残そう!」と言ってレコーディングした音源がある。
レコーディングしたのとは別に、解散直前のライブ音源も3曲ある。
このテープで聴けるライブバージョンの「I Love A Girl」は今でもカッコいいと思う。
弾き語りだと単調になってしまうからできないけど…

…何故か今、「ピィース」(注1)で「移民の歌」(注2)が流れてたぞ…?
だんだだだだっだ、だんだだだだっだ。
…かと思ったら今度はBOSTON…だっけ?ひ。さんがよく聴いてる気がする、この曲…

注1:ピィース…TNCテレビ西日本の深夜番組
注2:移民の歌…LED ZEPPELINの3rdの1曲目に収録されている曲。

4月20日(水)
強い揺れで目が覚めた。
ぐらぐらぐら…

「うっ!?うわわわ…」
思わず声が出てしまった。

時刻は午前6時11分。
テレビをつける。
震度5強との速報。

交通は?
今日は和白に行く予定だ。

…JR、西鉄、地下鉄、都市高速、高速…全部ストップだ。
唯一動いているのはバスだ。
バスで行くかなぁ…

時間まで、横になっていたが、地響きのあと、地震が数回。

ひとまず午前中は事務所だ。
家の上ぐらいをヘリコプターが飛んでいるのが聞こえる。
バスに乗り込み、百道浜へ。
バスは異様に乗客が多いから、前から乗った。
多分七隈線を普段使っている人達じゃなかろうか。

西新の交差点を右折するが、全く前に進まない。
地下鉄も止まっているし、都市高速を使う車も全部明治通りに流れ込んでいる。

やばい!らちがあかない!これじゃ遅刻する!
西新パレス前でバスを降りた。
歩道には歩く人もたくさんいた。

ここから会社まで1.5km程度か。
西南学院の前を通り、百道浜へ走る。
風邪気味であることはどうでもいい。
とにかく走るんだ。

本当はタクシーを捕まえたかったが、タクシーも居ない。

始業2分前に会社に到着。
後で聞くと、バスでの遅刻は認められないそうだ。
走って正解だった。

何度か体感する余震があった。
震度4の余震のときは、隣の人の机から物が落ちた。
電話の取次ぎをしていたのに、電話が切れた。

10時過ぎには、ほぼ全ての交通が復旧したようだ。
ひとまず博多駅へ。

…しかし、博多駅の列車案内の表示は消えたまま。
「運行見合わせ中」の張り紙もある。
…あれ?
駅員さんに聞いてみると、動いてはいるが、ダイヤが乱れているとの事。

地下鉄と西鉄にしよう。

こちらは定刻通りに動いていた。
午後からは何の変哲もない一日だった。
ただ、仕事のスケジュールが立たないのが難だな…

4月19日(火)
なんか若干風邪っぽいなぁ。
今日は早く寝よう。

しかし、日記をUPしてるのにリンクをしてなかった…(汗)
「アーティスト」更新。

4月12日(火)
何故か眠い。
昨夜は部長の送別会だったが、一次会で帰ったはずなのに…
とにかくきついので早めに帰った。
最近、会社の人から「吉田さん、きつそうですね。」って言われる事が多い気がする。
これだけ書くと「そんなに仕事がきついのか?」と思われそうだが、
なんだかんだ(酒飲んでネットサーフィンやメッセ)で寝るのが遅くなってるだけだったりするような気がしないでもない。

そうだ。今日は早く寝よう。酒なんて飲まないで。

早く帰ったので、ご飯は家で食べた。
そして早く帰ったので久々に小学校の同級生のAに電話してみたが、留守電だった。

テレビをつけたら「世にも奇妙な物語」をやっていた。
どうせもうすぐ終わると思ってつけっぱなしにしていたが、どうも放送時間が遅れているようだ。
ネットしながら見ていたので、あまり内容が入ってこなかったが、
ちゃんと見てたら面白かったのだろう。

リンク集を更新。
ようやく「VIRUS」を入れて、「TWIN SPIRAL」を「SEASIDE」に…

う…もう0時や…今日は本当にもう寝よう…

4月4日(月)
インターネットラジオを聴きながら飲んでいた。
仕事、仕事ってのが結構聞こえる。
「あんまり仕事、仕事って言うのは好きじゃない」と、何人かから言われる。
確かに、いい感じはしない。
でも言わなきゃ他に表現が出来ない。
強いて言えば「色々用事があって…」とでも言えばいいのだろうか?

こんな事を書いたら「こうこう、こういう表現をすればいいんだよ」って言ってくれる人が居るが、
今はそんな話は聞きたくない。

午前1時ぐらいまで飲んでいた。

…深夜に目が覚めた。
何時だ?
…午前3時40分…
良かった…まだ充分眠れるよ…

午前6時前に目が覚めた。
今日は午前6時起床。
自然と目覚めたからちょっといい感じ。

しかし、左胸が締め付けるように軽く痛く、左腕にしびれのようなものを感じる。
酒だけのせいじゃない。

朝10時までは巡回だ。
特に質問もなく、全く平和にシステムは動いている。

外はいい天気だ。
週末は雨だったと言うのに。

夜は早く帰りたかったが、色々とやる事があって、遅くなった。
最後はNさんと2人だったが、漫才に近いノリの会話が繰り広げられていた。
前のプロジェクトでも一緒だったが、その時はほとんど話さなかった。
お互い見た目と中身のギャップがあるので、話も盛り上がるのだろうか?

今日はごみ捨ての日。
福岡は夜にごみを捨てるのだ。

玄関を開ける。
目の前にはマンションが立ち並び、ゴルフの打ちっぱなしが見える。
いずれはこの光景も、思い出となって行くんだろうと思いながら、ゴミ袋を持って階段を降りた。

4月3日(日)
事件は昼過ぎに起きた。

自転車で天神へ行こうと思った。
その前に、博多駅にも行こう。
健康の為にもなるし、お金も使わなくていい。

幸い、昼から雨はやんだ。
大濠公園を数年ぶりに生で見た。
大学時代を思い出した。

そんな思いを胸にしつつ、博多駅へ向かう…
警固町か薬院辺りから雲行きが怪しくなった。

住吉で、雨粒が空から降ってきた。
どんどんひどくなる。
どうしよう…
ここまで来たら、とにかく行こう!

なんとか着いた。
ガード下の駐輪場は無料だったはずが、有料になっている。
\100か…
まぁいいや。

電気屋に入り、目的の物を購入しようとしたその時!
財布を家に忘れた事に気がついた。
「あー、もうなんで忘れるかなぁ…まぁいいや。とにかく家に帰…」

駐輪場は後払い式。
家にも帰れない。
とにかく一銭も持っていない。
地下鉄やバスにも乗れない。
身分証明書だって何もないから、お金なんて借りれない。

こうなったらタクシーで家まで帰って、一度家に帰って料金を支払うか…?
夜中で博多駅からうちが\1,800程度だから、\1,500ぐらいか?
頑張って家まで歩いて帰るか…でも6kmある。それに外は雨。

幸い、携帯は持っていた。
もし、この辺にいる友達が居ればその人に\100借りるのが手っ取り早い。
博多駅近辺をうろついてそうな友達と言えば…
村嶋君に電話してみよう。彼なら家も近所だし、結構来ているようだ。
電話をしたら、なんとその電気屋に居ると言う。
お願いして、\100借りた。

彼と音楽関係以外の場所で会う事は少ないので、ちょっと印象的だ。
5月の飲み会ライブの話を少しして、別れた。
彼も忙しいようだ。

下へ降りると、偶然、大学の同級生であるY君を発見。
彼も自転車で来たと言う。
これ以降用事はないというので、一度うちまで行って、それから又こちらに来てくれるという。

しかし、帰る途中で若干雨に降られた。

他にも沢山書きたいことがあったが、明日が早いのでこの辺にしよう。