私についての詳細は「本体」の自己紹介からどうぞ。

吉田尚史というソロ・アーティストについて
私、吉田尚史は本来、ドラマーです。
ヴォーカリストやギタリストではありません。
そんな私が何故こういう活動をしているかを説明します。

1997年12月に、ロックバンド「LED Blade」を、私以外のメンバーの脱退と
私の精神的限界(リーダーとしてバンドを引っ張っていく事)により、解散して、
直後に一つバンドを組みましたが、私の納得いくものではなく、
バンド活動自体に嫌気がさして、1年半ほど、休んでいました。

当時、私は大学で音楽サークルに入っており、後輩が頑張っている姿を見て、
自分もやはり何かしなければいけない、音楽をやりたいという衝動にかられました。

しかし、一緒に組むメンバーが居ません。
そこでまず、思いついたのがギターユニットです。
学祭へ向けて、2本のギターだけで、曲を演奏する…
企画モノとして、頭の中で考え、実行しました。

LED Bladeの頃から、曲は自分で作っており、
「自分の曲は自分で歌いたい!」という欲求は昔からありましたし、
歌の歌い方というものもなんとなくわかってきて、
ちょっとやってみようと思ったのです。

また、昔作ってそのままだった曲…
そんな曲にスポットライトを浴びせてやりたい…
そういう思いもございました。

すると、評判もそんなに悪くなく、こういうスタイルも面白いのではないかと思いました。
学祭が終わって、もう一人は研究が忙しくなったので練習が出来ず、
それならいっそのこと一人でライヴをやってみようと思ったのです。
ライヴハウスで。

そして、大晦日のオールナイトライヴの出演が決定しました。
しかし、現実は厳しく、特に人気バンドが演奏した後の、
年が明けてすぐでしたので、伽藍とした空気の中で、演奏を強いられました。

どれだけ途中でライヴを放棄しようと思った事でしょう。
どんなに場がしらけていても、バンドならメンバーがいる。
しかも普段ドラマーだから、自分の前にいる。
しかし、ステージには自分一人。
誰も助けてくれない。

結局演奏は続け、しかし、最後は気弱に、
「また…こういう形で活動するかどうかはわかりませんが…」
などと言うMC。

しかし、このスタイルの活動は続けていく事にしました。
終わってみるとそうでもないような気がしました。
又、こういう別のパートを経験する事で、バンドで活動する時にも
色々なものが身につきます。

そして私は社会人になり、自由な時間も少なくなりました。
そんな事もあって、現在はソロ活動が中心となっています。

ヴォーカルが本職の方に比べ、粗削りな部分が目立つと思われますが、
日々精進し、よりレベルの高いモノを生み出すよう、活動を続けていく所存でございます。
どうかよろしくお願いいたします。

音楽活動を中心とした略歴
1980年、作曲活動を始める。
1986年、作曲活動本格派。
1990年12月、ベースを購入。
1991年12月、ドラマーへ移行。
1992年1月12日、「THE SCRAP」でライヴデビュー。
(大分県大分市金池町、サツキスタジオ Magio Hall)
1992年夏頃、作曲の為、ギターを購入。
1994年春、浪人の為、福岡へ。
1996年8月4日、「LED Blade」にて福岡デビュー。
(福岡市中央区天神(のちに中洲へ移転)BIG HIT)
2000年1月1日、午前0時半頃、BIG HITにてソロデビューライヴ。
2002年1月12日、大分・都町CANTALOOP2にてソロとして初のホームタウンLIVE。
2002年5月8日、転勤の為、福岡へ。
2002年6月22日、横浜・鴨居NICOにて関東初LIVE。
2002年8月25日、福岡へ戻る。
2003年2月17日、会社倒産により、実家へ帰る。
以来、マイペースに活動を続けている。

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