大分県立四日市高校
閉校になったときに撮った写真が見つからず、学校の外から撮っています。広い校地は、さすがに高校だなと思えます。元々四日市高校は、10号線沿いにありました。そこは、勤労者体育館になっています。西部中学校もその後を使っていたようです。
宇佐市大字四日市3315番地 明治44年創立平成19年閉校

校歌
四日市高等学校校歌  昭和51年11月 校舎が移転したときに変わったのかも
1 御許山 朝焼け 紫に 曙光あまねき台ノ原
  弥生文化の地に建てる 真理の門は高きかな
  君手を伸べよ誠実の 誓い新たにみちわたる
  ああ わが母校 四日市高等学校  
2 駅水 流れ入るところ 豊の岸辺を洗う波
  周防の海ははるかにて 理想の道は遠きかな
  君眉あげよ創造の 意欲はつらつあふれくる
  ああ わが母校 四日市高等学校 
3 時代の息吹新しく 自主独立の鐘は鳴る
  真理の門は高くとも 理想の道は遠くとも
  君ふみしめよ漸進の あゆみ着実進みゆく
  ああ わが母校 四日市高等学校 
校訓 漸進 創造 誠実 


旧校歌
作詞 野上 彰 作曲 清瀬保二
1 梨の花夕月に散りてひそまる 清らかなり駅館川の背に立てば  
  あこがれは果てなきものを選ばれて 共に学べしこよなき幸に
  青春の心と夢をはぐくめすべてみな われらのものぞ未来ある
  母校のためにわれらわれら われら 四日市高等学校
2 泉湧く片岡に緑萌えいづ ほのかなり桜ヶ丘の若草に
  ぬきいでてバラは開くを選ばれて 共に学びしこよなき幸に青春の
  季節と風にかおれよすべてみな われらのもの仰げよ歴史ある
  母校のためにわれらわれら われら 四日市高等学校
3 垂穂みなそよ風にゆれて明るく 豊かな周防の灘にはゆる日に
  明日の日の稔りを思へ選ばれて 共に学びしこよなき幸に青春   
  の輝く額を飾れよすべてみな われらのものぞ呼べよ栄えある
  母校のためにわれらわれら われら 四日市高等学校
4 冬の日にはうす雲を染めて茜に はるかなり八面山を跳ぶ鳥に
  限りなき希望を抱け選ばれて 共に学びしこよなき幸に青春の
  日と月と星を数えよすべてみな われらのものぞ歌えよ光輝ある
  母校のためにわれらわれら われら 

所在地[編集]
大分県宇佐市大字四日市3315 跡地は宇佐市立西部中学校になっています。

  今は、西部中学校校舎になっています。    このグラウンドで全国大会優勝の軟式野球部が練習していました。
   上野場所から少し下ったところに最初の校舎がありました。今は、社会教育施設があります。    代官所の門です。四日市高校のもんでもありました。

沿革
明治44年4月 『宇佐郡実科高等女学校』として創立される。西本願寺別院を仮校舎とする
大正10年   郡立農業校跡に校舎改築 開校記念日を9月18日にする
大正12年4月 大分県に移管して、『大分県立四日市高等女学校』に改称される。
昭和23年4月 学制改革により『大分県立四日市高等学校第一部』に改称される。
昭和25年   寄宿舎跡に校舎建築
昭和26年4月 高校再編成により『大分県立四日市南高等学校』として分離される。
昭和28年4月 『大分県立四日市高等学校』に改称する。
昭和29年8月 物理化学棟新築
昭和31年  生物家庭科棟新築
昭和39年  体育館竣工 50周年記念式典
昭和47年11月 校舎を移転する。
昭和48年   管理棟竣工 柔剣道場竣工
昭和51年   体育館完成 校舎落成式 65周年 校旗校歌校訓制定
昭和53年3月 弓道場新築
昭和56年   夜間照明設置
平成 3年10月 80周年記念式典挙行
平成 4年8月  全国高等学校軟式野球選手権大会で優勝する。
平成13年    90周年記念式典挙行
平成14年   管理棟大規模改修
平成15年   教室棟大規模改修
平成16年8月 全国高等学校軟式野球選手権大会で優勝する。
平成19年4月 旧『大分県立宇佐高等学校』と統合し、『新大分県立宇佐高等学校』となる。

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