大野町立中部小学校
大野町の中心部にあった小学校です。ここにあったために閉校後大野小学校になりました。校舎は、そのまま使用されています。校歌も多分変わっているものと思われます。平成17年閉校しました。
大野郡大野町大字田中2261番地 明治6年創立

校歌
作詞 後藤 栄  作曲 後藤 初男      
1 大野の流れわくところ 昇る朝日は輝いて
  光の光のまなびやに あした飛びたつ若鶏が
  明るく明るく育ちゆく われらの中部小学校

2 歴史は遠い父母の里 仰ぐえぼしは空高く
  希望の希望のまなびやに あしたの夢をえがきつつ
ちえを磨いて育つゆく われらの中部小学校

3 あのまどこのまど広い庭 花も心も美しい
  みんなのみんなのまなびやに 手をさしのべて肩をくみ
  からだをきたえて育ちゆく われらの中部小学校 

校訓
明るく元気でがんばる子ども  自分で考えすすんで行動する子ども  すなおで思いやりのある子ども

   校門です。大野小学校の文字があります。    閉校記念碑です。
   校舎改築記念碑です。    三階建ての校舎です。
   校舎の裏に体育館がありました。    体育館の裏にプールがありました。
   令和4年に行きました。校門に大野小学校の門札がありました。中部の時はどんなものだったかな?    運動場に大きな木がありました。合併前からあったのかな。


沿革史(大野町史より)
明治 6年 田中村法盛寺に田中学校を設立
明治11年 田中村知生に校舎を新築し知生学校と称す
明治18年 知生学校焼失
明治19年 田中村大迫に校舎を新築し田中簡易学校と称する
明治24年 田中簡易学校を田中尋常小学校と改称する
明治29年 大野第一高等小学校を設置する
明治34年 田中村佐代二二二五番地に校舎を新築移転する
明治39年 補習科を設置する
明治41年 田中尋常小学校と改称する
大正 9年 農業補習学校を併設する
大正11年 田中村佐代二二六一番地に校舎を新築移転する
大正15年 東大野村中部尋常小学校と改称する
昭和 3年 大野町立中部尋常高等小学校と改称する
昭和16年 大野中部国民学校と改称する
昭和22年 大野町立中部小学校と改称する
昭和29年 新校舎落成
平成 3年 新校舎落成
平成17年 閉校
 昭和29年以降は、記念碑より

百周年誌
明治 6年         田中、藤北、宮迫の三村連合して公立小となる 田中村法盛寺の御堂を借り教室とする 下等小学校8級~5級(6歳~9歳)上等小学校4級~1級)(10歳~13歳)6ヶ月をもって進級する
明治 8年        大野村大字田代字川南 民家を買い入れ校舎とする(60円)
明治11年        田中村字知生に新校舎起工  
      10月 2日 上棟式二階瓦葺き 知生学校という
明治14年        小学校教則綱領により初等科3年 高等科2年 1学年を2期とし初等科だけを就学義務とする
明治18年        知生学校焼失する 小学校及び小学校教場を普通教育を施すところとする
明治19年        田中村字大迫の屋敷及び倉を買い込み校舎新築をなす 田中簡易学校と名付ける 小学校令発布 尋常科、高等科各4年を修学年数とする 所により温習科を設ける
明治23年        小学校令改正 簡易科を廃止し市町村立小学校とする 修業年数を3年、4年の2種とする 高等科の修業年数を2年3年4年の3種とする 教育勅語発布
明治24年        田中簡易学校を田中尋常小学校と改称
明治29年        大野第一高等小学校を永遠に置くことを決定
明治31年        第一代校長着任 以前は3学級にみたぬ為にいなかった
明治33年        小学校令改正 尋常科全部4年制 授業料を徴収しないこととなる
明治34年        田中村大字佐代2225の1番地に校地を決定
明治35年        新築開始
明治36年        新築校舎上棟式(大正11年までの校舎)
明治38年        廊下の修理
明治39年        補修科新設
明治40年        小学校令改正 尋常科義務年限6年に延長 高等科義務年数は2年3年とする 
       6月     東大野村成立(田中村、養父村、中井田村、土師村、大野村) 本校は廃校となるべきところ明治41年3月31日まで現状存続
明治41年        五か村合併により1組合立大野高等小学校を廃止 田中尋常高等小学校を設置
明治42年 5月     裁縫室を元役場跡仮校舎に移す
明治44年 2月     郡内同一問題にて学力試験
明治44年         高等科第三校舎屋根修理
大正 元年 7月30日 大正と改元
大正 4年 4月11日 電灯がつく
大正 5年 2月     教育に関する御沙汰書拝載式
        8月     宿直室に電灯付く
大正 7年        尋常4年以下は旧高等小跡地に、4年以上は旧尋常小学校収容していたが教室配置を入れ替える 旧尋常小学校を本校舎に 旧高等小跡地を仮校舎とする
大正 9年 9月     農業補修学校創立
大正10年        校舎起工式 (2階建て249坪、平屋建て369坪棟数大商10)
大正11年10月     改築校舎竣工落成式
       12月     合併15周年記念式
       12月 9日 井戸使用
大正12年 1月     尋常科1年東校舎に移す 職員室に電灯がつく
        3月     校庭に樹木を植樹
       10月     石柱校門建設
大正13年 4月     門灯点灯
大正14年12月     農業補修学校開設
大正15年 2月     桜 楓校庭に植樹
昭和 元年 4月     実業補修学校開校
昭和 3年 4月     県立大野中学校の仮校舎となる
        8月     町制施行により大野町立中部尋常高等小学校となる 併設大野町中部農業補修学校 大野町中部青年訓練所 と変更
昭和 4年 8月     大野中学校新校舎へ移転
昭和 9年 5月     屋外体操場南端に金網を張る 校庭トラックにレンガをはめる
        6月     バスケットスタンドを上運動場に移す
        7月     家事教室住宅の土間を移動し銃器格室を作る
        9月     大野町女子実科専修学校 大野中部農業補修学校 中部青年訓練所を統一して大野町青年学校を作る
       11月     バレーボール設備を上運動場に移す 
昭和11年 4月     大野町青年学校女子部を県立実業青年学校に移す
       11月     校舎補強工事開始
昭和12年 5月     備品購入を校区よりの寄附金でなす
昭和14年11月     角力土俵完成落成式
昭和15年 2月     運動場の大修理土運搬なす
        6月     屋根修理
昭和16年 4月     国民学校令 大野町中部国民学校となる 町内に青年学校合併独立
        8月     校舎修理
昭和18年 9月     大暴風雨のため校舎被害大
昭和21年11月     校舎修理
昭和22年 3月     教育基本法 学校教育法公布 6,3,3,4制実施
        4月     大野町立中部小学校と改称 高等科は、それぞれ中学校の担当学年に編成し旧高等女学校校舎に移り本校6年までを学級編成として発足
昭和24年 4月     講堂大修理
        7月     脱脂粉乳及び給食用食器着荷
昭和25年 9月     校舎修理
       12月     校舎裏及び東の排水溝修理
昭和26年 7月     集中豪雨職員室床下浸水防ぐ
        9月     学校林下刈り
       10月     ルース台風 被害相撲場倒壊 旧校舎障子破損
昭和27年11月     理科室移動 自転車置き場設置
昭和28年11月     新校舎地鎮祭
昭和29年 5月     大雨旧校舎渡り廊下崩壊
昭和30年 3月     校舎落成式
       12月     二宮金次郎建造
昭和32年 6月     校地の排水工事
        8月     北校舎土手崩れ落ちる
昭和33年 9月     理科教室環境整備
昭和34年 5月     講堂で電話開通祝賀会
       12月     体育館起工式
昭和35年 5月     体育館落成式
        7月     講堂跡地整地工事
昭和36年 6月     町営プール開き
        7月     運動場土入れ
        9月     中庭足洗い場作り
昭和37年 1月     中学校増築校舎落成式
昭和42年 8月     裏校舎工事
昭和43年 6月     校舎裏にボーリング始める
昭和44年 6月     インターホーン校舎に取付
昭和45年 5月     北校舎電灯増設 宿直代行員設置
        9月     校章確定 校旗注文 岩石園完成
       10月     校旗贈呈式
       11月     水生植物園完成
昭和46年 3月     電話切替工事(校長室、宿直室)
        4月     温食給食開始
昭和49年 2月     創立百周年記念式挙行
        3月     創立百周年記念植樹 記念誌発行              

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