上津江村立都留小学校
中津江村栃原から上津江方面に入り川原小学校後の道の駅から右折した山の中にあった学校です。跡地には村営住宅が建っていました。少子化により平成6年に村内四校の合併により上津江小学校になりました。
日田郡上津江村大字川原1369 明治7年創立

校歌
作詞 久恒 晃二   作曲 友岡 五郎    
1 酒呑童子の山波を せせらぎ流れて津江川に
  流れ豊かな清流に ゆあみそだちし都留健児

2 光り輝く校庭で 五月の山の新緑と
  向いの山の紅葉を めでつつはげむ都留健児

3 日々いそしむ学舎で 希望に胸をふくらませ
  夢を大きくのばしつつ 明日に向って都留健児

校訓は、不明です。

   都留スポーツセンターがありました。    ここにも学校のテントが使用されていました。
   閉校記念碑です。他の学校と同じです。    唯一残る建物かもしれない倉庫です。
   百周年記念碑です。草に覆われかかっています。    モニュメントと門柱が残っています。
   上が、グラウンドです。この下の部分に校舎があったのでは思われます。    下の道から上がる階段がありました。通学路だと思います。
   平成29年に行きました。門柱が迎えてくれました。    運動場のテントや倉庫はそのままありました。
   奥に道路からの階段がありました。子どもたちは、上がってきたのでしょうね。    閉校碑が草で見えにくくなっていました。


沿革史(上津江村史より)
明治 7年 城野々学校
明治25年 川原小学校と統合 程野に校舎を建て川原小学校分教場となる
昭和26年 分教場として改築
昭和32年 本校として独立する
昭和40年 校舎改築 普通教室6 特別教室2
昭和49年 100周年
平成 6年 閉校

百周年記念誌
明治 7年 2月 城野々に学校が新築され、程野、小竹谷の児童通学する 白草部落ではその頃より民家を借り(後に新築される)この私立学校であり(明治26年頃まで続く)            井上、吉井氏などを招き授業を行う
明治19年 4月 学齢改正により城野々簡易学校を城野々簡易小学校と改称 在学は尋常科4年高等科4年刑ヶ年 別に簡易科3ヶ年
明治25年 4月 川原、城野々両行合併して川原簡易小学校と称し戸の上に校舎を新築する
明治26年 4月 川原校との合併により程野、小竹等の児童道路険悪にして通学の不便甚だ少なからざるにより小字程野に学校を新設 川原尋常小学校都留分教場と名称(           校舎18坪敷地52坪日草、程野、小竹、官谷を学区とする)26年より28年の間小学校令改正に基づき卒業年数を4ヶ年と定めありしも授業方法は簡易化の           時と異なることなし
明治28年11月 学校令を改正 1ヶ年の授業日数を240日1日の授業時間5時間とする
明治31年 9月 校舎荒廃し教場亦狭隘にして教授上衛生上の障害少なからざるを以て時の村長は緊急に改築の必要を認め9月8日の村会へ提案可決される
明治32年 3月 1日 工事着工(2教室、職員室)
        4月 学校令改正 補習科廃止
        7月 竣工
       10月29日 新校舎落成(経費435円8銭8厘
明治41年 4月 学校令改正義務教育年限6ケ年で延長当校では4年生まで授業後2ヶ年は川原本校で授業を行う
大正 4年 4月 学校5年生まで収容
大正 5年 4月 学校6年生まで収容
大正12年 5月 校舎上の山を開き職員住宅を新築
昭和 4年12月 本校(川原校)火を失し施設及び重要書類凡て煙滅する
昭和11年11月 児童数の増加により運動場東に新築校舎増築落成 これまでの2学級から3学級編成となる
昭和16年 4月 運動場拡張(工費322円45銭)出役389名
昭和17年 8月27日 災害 大風雨のため旧校舎2教室及び職員室の屋根トタン剥落し授業不能となる 2日間臨時休業実施 精米所と馬小屋を借りて授業する
       11月 災害復旧工事完成 竣工式実施(工費1057円)
昭和19年    太平洋戦争激化小学生にもわら人形を作り竹槍の稽古を始める 勤労奉仕として出征留守家族の農作業手伝いを行う
昭和20年 8月15日 ポツダム宣言受諾(太平洋戦争の終わり)
昭和25年 7月 旧校舎老朽化し危険なために校舎改築の議を起こり建築委員会を設置し村役場と交渉
       10月 改築決定
       11月26日 改築工事着工
昭和26年 6月 7日 新校舎落成式挙行(3教室職員室工費170万円)
昭和28年 8月 電灯線敷設工事竣工(都留、程野、白草に電灯がつく)
昭和31年11月 運動場東側の旧校舎を撤去しへき地集会所の建設工事着工
昭和32年 4月 都留分教場より独立して本校に昇格 津留小学校と改称 
昭和32年 6月 へき地集会所落成及び本校昇格記念式挙行  
昭和33年     職員住宅一棟新築落成
昭和35年 1月 給食室落成 学校給食実施
       10月 学校林保慶に造成(面積2町8分30歩8000本)
昭和36年 4月 児童数104名
       12月 校舎改築に備えて校地買収拡張
昭和37年 3月 校内道路竣工
昭和38年 3月 職員住宅1棟新築落成 平藪水源地より学校までの水道工事完成
        4月 6学級編成 職員8名児童115名
昭和39年 4月 児童数116名
        5月 校長住宅及び職員住宅建築
       12月 新運動場造成工事竣工(面積1750㎡570万円)
昭和40年 3月 新校舎落成(6教室特別教室2総工費1207万円)
        4月 児童数115名
        7月 新給食室完成(工費60万円)体育倉庫新設
       11月 新校舎落成に伴いしゃくなげ、ツツジ植樹
昭和41年 4月 児童数110名6学級
       12月 校旗制定
昭和42年 4月 移動数116名6学級
       10月 県PTA連合会より団体表彰を受ける
昭和43年 3月 平藪水源地を買い入れ学校用地として村に寄付する
        4月 特殊学級設置 児童数106名普通学級6特殊学級1職員9名
        8月 学校プール完成及びプール用水工事竣工(工費300万円)
昭和44年 4月 児童数99名普通学級6特殊学級1文部省指定へき地教育研究校(2年間)の指定を受ける 
        8月 県学校保健会から健康優良校として学校表彰を受ける
        9月 運動場に通じる道路竣工
       10月 児童足洗場及び取り付け水道工事竣工 文部省大分県へき地教育研究会指定へき地教育研究校として1年次の発表
昭和45年 4月 児童数93名職員9名取り付け道路舗装工事完了
       10月 台風災害により理科室前テラス及びテラス屋根全面改修 文部省大分県へき地教育研究会指定へき地教育研究校として2年次の発表
昭和46年 2月 運動場が砂防工事完成(芝植え付け)
        4月 児童数87名7学級職員9名
        8月 県学校書き方大会において学校賞受賞
       11月 県花いっぱいコンクールにて学校賞受賞
昭和47年 2月 プール脱衣所シャワー室(便所)建築
        3月 都留小学校校歌誕生
        4月 児童数82名普通学級5特殊学級1職員8名
        8月 県学校書き方大会において学校賞受賞
昭和48年 4月 児童数65名普通学級5特殊学級1職員8名
        8月 県学校書き方大会において学校賞受賞
       10月 日田地区少年サッカー大会に参加し準優勝を遂げる
       11月 県及び全日本よい歯コンクールにおいて学校表彰を受ける
昭和49年 4月 児童数57名普通学級5特殊学級1職員8名
        8月 県学校書き方大会において学校賞受賞
       10月 日田郡小学校陸上記録会で優秀な成績を収める
       11月 3日 創立百周年記念式典挙行



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