玖珠町立栂野小学校
北山田小学校が設立されたときに閉校になった学校の一つです。北山田から高塚地蔵尊に行く道に210号線から入り高塚地蔵尊に下りる玖珠側にあった学校です。跡地には、学校の記念碑が、残っています。でも、全体を見ると学校跡とは見えません。

校歌・校訓は不明です。

   閉校記念碑です。 学校敷地は、空き地になっています。 
   令和4年に行きました。そのままでした。草が少し多くなっていました。    プレハブの建物は公民館でした。今は使われていないようです。


沿革史(玖珠町史より)
明治22年     朝見嶽に簡易学校を置く
明治30年11月  大野原尋常小学校栂野分教場開設
明治32年 2月  に校区合併 日田郡より高塚組加入
明治43年11月  5,6年生内河野尋常小学校に学ぶ
大正 2年     内河野尋常小学校栂野分教場になる
昭和 5年     校舎増築
昭和16年 4月  国民学校令施行により北山田村立内河野国民学校栂野分教場と改称
昭和21年     西部小学校栂野分校になる
昭和28年     栂野分校校舎落成 栂野小学校として独立
昭和30年 3月  町村合併により玖珠町立栂野小学校と改称
昭和43年     独立15周年記念式典挙行
昭和49年 3月  閉校記念碑建立 閉校式

閉校誌
明治22年        簡易学校と称し朝見岳におく 栂杉塚より通学 代太郎部落にも同じような学校あり 高塚、石鍋、北平、萩原、石畳より学ぶ
明治30年11月    大野原、小栂、野分、分教場となる(山の部落にあり)
明治32年 2月    二校区合併し馬原村の一部高塚組加わり北山田村大字畑字栂野4760番地に平屋木造間口七間半奥行三間の草葺き校舎建築
明治43年11月    五六年生が、内河野尋常小学校に学ぶ
大正 2年        内河野尋常小学校に併置することになり校名を内河野尋常小学校栂野分教場となる
大正 4年 8月    校門より県道に至る屋久60mの道路修繕工費18円校区民の寄付
昭和 5年 1月     一教室増設
昭和16年        北山田村立内河野国民学校栂野分教場となる
昭和21年        内河野国民学校は西部小学校と改名 西部小学校栂野分教場となる
昭和25年        各教室に電灯がつく
昭和26年        校舎改築 戸畑9945番地に決定
昭和28年        校舎落成 5,6年は西部小学校に在学せらるるが分校に収容
       12月     北山田村立栂野小学校として独立
       12月 5日 独立祝賀式挙行
昭和30年 3月    町村合併玖珠町立栂野小学校となる 職員住宅改造
昭和33年        倉庫新築 公衆電話架設
昭和34年        井戸手押しポンプ取り付け 土俵開き
昭和36年 6月    水道工事完了
昭和37年10月    倉庫、湯沸かし場新設 ブランコ、低鉄棒 建て替え
昭和39年 2月    給食室新設 ミルク給食開始
        3月18日 はん登棒新設
昭和41年 9月     砂場新設
昭和42年 7月    校舎塗装 運動場にアッシュ敷轍 水道施設改修 生乳給食
昭和43年        職員住宅改修 校舎外壁、便所の補修 井戸拡張 自動給水装置設置
昭和45年        校内石垣側溝補修 運動場整地
昭和46年        校舎塗装 防球網設置 運動場石粉敷轍
昭和47年        動力ポンプ設置 砂場の砂取り替え
昭和48年        全室石油ストーブ設置
昭和49年        記念碑建立 閉校式実施 


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