大山町立都築小学校
大山町の天ヶ瀬よりの山間部にあった学校です。山間部のために複式学級でした。80年代の一時期単式に戻りました。大山町のエノキ生産のために跡継ぎが戻ってきました。その後また、複式に戻り平成25年町内三校と統合のために閉校になりました。山間部ですが丘の上なので明るい学校です。
日田郡大山町大字東大山1125 明治5年創立

校歌
作詞 藤原 信  作曲 田坂 保       
1 光りだ雲だ 万年山の空にかがやく朝陽かげ
  映えて明るい学びやに ちえをみがいてのぞみは高く
  このふるさとを新しい 都と築くわれらが母校

2 みどりだ風だ 山なみのあれてきれいな広い空
  ながめはるかな学びやに 体きたえて足並みそろえ
  このふるさとをたくましい 都と築くわれらが母校

3 くぬぎだ松だ 高原にみのりゆたかな山の幸
  小鳥も歌う学びやに 心やさしく手を取り合って
  このふるさとを美しい 都と築くわれらが母校  

校訓は、不明です。

   入り口から校舎が見えます。ただそこに玄関はありません。    校舎が並んで奥に体育館があります。
   職員室でしょうか。堂々としています。    ドーム式の体育館は大きく見えます。
   一輪車が、おおくあります。    ここが、玄関の様です。
   運動場は、一段下で周りの眺めが良いです。バックネットもしっかりあります。    駐車場に卒業記念の壁画が残っていました。
   令和3年に行きました。運動場にコミュニティーセンターが建っていました。    校舎は、そのままでした。ただ、木が生い茂り暗い感じになっています。
   一輪車が残っていました。誰か乗りに来てると良いんだけど。    花壇の花が、咲いていました。ずっと学校を飾って欲しいです。


沿革史(大山町史より)
明治 5年     民家を寺小屋ふうの授業をする
明治12年 9月 下等小学校となり都築小学校と称する。
明治15年 4月 校舎建築 教室棟 木造草葺き平屋一棟 15.5坪 便所  木造竹葺き一棟
明治15年 9月 教育令 三年制 初等科を置く
明治20年 9月 小学校令により都築簡易学校となる。
明治25年 4月 三年制 大山尋常小学校都築分教場となる
明治26年 4月 四年制
明治34年 4月 独立 四年制の都築尋常小学校となる
明治35年 4月 授業料が三銭から無料になる
明治41年 4月 六年制になる 5,6年生は、東尋常小学校へ通学
明治44年 4月 東尋常小学校の閉校により5,6年生は大山尋常小学校へ通学する。
明治45年 4月 農業補習学校併設
大正 2年 4月 校舎増築
大正 3年 4月 二学級編成
大正15年 7月 再び大山尋常小学校の分教場になる 続木原に503坪の学校用地を購入
昭和 2年 5月 新校舎建築移転 木造瓦葺き平屋校舎78.75坪 職員住宅一棟
昭和10年 4月 農業補習学校閉校
昭和16年 4月 国民学校令により大山国民学校都築分教場となる
昭和23年 4月 学校教育法公布により大山小学校都築分教場となる 三学級編成
昭和31年 4月 本校となる 都築小学校となる
昭和32年12月 新校舎落成 木造瓦葺き平屋 二棟 平屋僻地集会所
昭和32年12月 校歌制定
昭和34年 4月 五学級編成
昭和35年 4月 六学級編成
昭和36年10月 校舎増築
昭和38年10月 ミルク給食開始
昭和39年12月 センター給食による完全給食
昭和41年 7月 児童遊泳場完成
昭和44年 2月 町制施行により大山町立都築小学校となる
昭和45年 4月 五学級編成
昭和48年 3月 100周年記念式典
昭和49年 4月 四学級編成
昭和54年 4月 学級増
        7月 屋外プール完成
昭和55年 4月 四学級編成
昭和61年 1月 新校舎落成 鉄筋コンクリート二階建て校舎 平屋体育館
昭和63年 4月 五学級編成
平成 2年 4月 六学級編成
平成 3年 4月 五学級編成
平成 4年 4月 六学級編成

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