安心院町立津房小学校旧校舎
安心院町津房にある小学校です。中学校と隣接していました。中学校が、平成19年に統合し校舎が空きました。小学校の校舎が老朽化していました。それで、中学校の校舎に移転しました。今も津房小学校はあります。ただ旧校舎は壊されています。そのため写真に残します。令和3年に行くと跡地に住宅が建っていました。
校歌
作詞 大隅 米陽     作曲 松田 一二三 
1 雲いそそる由布が峯 仰げば銀河色さえて
  瀬音さやけき一流 若あゆ走る津房川

2 血を受けつぎて二千年 津房のあがたいく百の
  若き希望におとる子の つどいをここに学びやの
  学力 気力 体力



3 底霧はるるれい明に かおる自由の青葉風
  高き理想をひとすじに 真幸く清く生きゆかむ 

校訓

   三階建ての校舎です。窓が、練りを入れたものです。サッシが古いです。    裏です。ダスターの捨て口があります。
   体育館の前にはロータリーがありました。    すでに、校舎が無く幼稚園舎だけ残っています。
   令和3年に行きました。住宅が建っていました。    運動場は、一面草むらでした。

沿革史 (安心院町史より)
明治 5年10月    六郎丸森山教覚寺の説教場を借り入れ津房学校を称する 松本、楢本、萱籠にそれぞれ学校設置
明治22年       町村制実施 津房小学校となる
明治32年 1月18日 津房尋常小学校となる それぞれの三校が、分教場になる
明治32年 5月    大字六郎丸飛松に校舎二棟新築 20日落成式
明治37年 4月    松本、楢本の分教場廃止
       10月    尋常科に裁縫を高等科に農業を加設
明治41年 4月    小学校令一部改正 義務教育2ケ年延長 尋常科六ケ年 高等科二ケ年の編成
明治42年 2月22日 補習科の設置認められる
明治42年 4月    大字六郎丸石田(現在の校地)竣工移転
          25日 新築落成式 校地面積五反七畝十三歩  五教室の校舎二棟移築一棟
昭和 8年       校地拡張、校舎、講堂、奉安殿など増改築
昭和10年末      竣工
昭和11年 1月6日 落成式 校舎563坪 講堂百有坪 校地一町三反五畝二十二歩※速見郡南端村大字南畑尋常高等小学校小田分教場の名の下に教育を行っていた。
明治39年5月小田尋常小学校と改称。津房村、楢本旧校舎買収移転。建坪44坪の校舎、敷地四畝十五歩 昭和14年小田尋常小学校併合
昭和42年 3月27年  本校舎竣工 


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