国見町(国東市)立竹田津小学校
国見町竹田津にあった小学校です。町内で唯一一校で過ごしてきた小学校です。長い伝統を誇っています。ただ、児童減により伊美小学校と熊毛小学校と統合し令和4年3月31日に閉校となりました。これで竹田津地区に学校が無くなりました。記念碑の沿革を見ると竹田津中学校の地にあったようです。
東国東郡国見町大字竹田津3610-4 明治6年創立
校歌
作詞 松本 義一 作曲 辛島武雄
一、 明けゆく あけゆく 海原に  羽ばたき かるく とんでいる
   かもめの 群れの ほがらかに  みんな 仲よく 学ぼうよ
   われらの 竹田津小学校

二、 かがやく かがやく 山ぞいに 香りも 高く 咲いている
   みかんの 花の さわやかに みんな 心を 磨こうよ
   われらの 竹田津小学校

三、 みどりの みどりの 大空に 潮風 清く ひるがえる
   希望の旗の 晴れやかに  みんな 元気で 歌おうよ
   われらの 竹田津小学校

校訓
勉強に頑張る子 友だちと 仲良くする子  運動や外遊び好きな子

   狭い道の先に校門がありました。    校舎は、一棟ですが途中から三階建てになっています。
   体育館は、三角屋根で木造風の建物です。    プールは25mです。高さが低いです。
   昇降口側です。教室が明るい分こちらが暗いです。    大きな閉校記念碑です。
   裏は、校歌と沿革です。    校庭の周りは、桜が満開でした。

沿革史
竹田津小学校沿革史 学校HPより
明治 6年 旧里正竹田津作四郎宅借用、創立する  
明治 9年 小学校編成とし、西方寺・櫛海に分教場をおく  
明治12年 浦手宮ノ尻に校舎新築落成、これに移る  
明治13年 春季・秋季大試験施行  
明治16年 教則改正、初等科・中等科・高等科とし、修身・幾何・理科・図工科等を増科
明治20年 教則改正簡易学校となる 櫛海・西方寺各別に分立、本県所定の簡易学科を教授する尋常学校にひき直す
明治23年 裁縫科を設置する  
明治43年 高等科並びに高等補習科を併設初めて全村の子弟を一校に収容する
大正 元年 講堂・本館落成       
大正 2年 落成式挙行、当日を学校記念日とする       
大正11年 3月限り補習科廃止 竹田津農業補習学校付設  
昭和 7年 増築校舎竣工、落成式挙行  
昭和 9年 労作研究会本校において開催する
昭和16年 竹田津町国民学校と改称する
昭和20年 空爆激しく分散授業開始
昭和22年 竹田津町立竹田津小学校と改称する    
昭和24年 第一次校舎落成     
昭和27年 第二次・第三次校舎落成 落成式挙行
昭和34年 小学校講堂(体育館)落成 落成式挙行
昭和35年 町村合併により、国見町立竹田津小学校と改称 学校給食開始
昭和36年 保健体育優良校として、全国表彰を受く   
昭和39年 勝田白峰氏慰霊祭挙行 尾 崎 勇太郎
昭和43年   県指定統計教育第2年次研究発表会実施
昭和46年 報時時計を取り付ける
昭和48年 プール建設着工完成 プール開き実施
昭和50年 創立100周年記念行事実施     
昭和52年 優良子供銀行として中央表彰を受く
昭和53年 高森文庫開設 学校保健統計で文部大臣表彰を受く  
昭和56年 高森孝幸氏より、教育助成金として150万円の寄贈を受く
昭和59年 校庭護岸並びに埋め立て工事完了
昭和60年 新校舎完成 文部省学校視察
昭和61年   庭遊具設置
昭和63年 運動場整地
平成 元年 講堂門柱修理
平成 3年 台風19号による被害の校舎屋根の修理
平成 4年 講堂お別れ会  講堂全面取り壊し
平成 6年 文部省指定むし歯予防推進校研究発表会
平成 7年 屋内運動場落成    
平成 8年 ふるさと活動モデル事業赤米作りに取り組む
平成 9年 ふれあい交歓事業で芋作りに取り組む
平成11年 台風18号により、運動場冠水、農業倉庫倒壊、校舎屋根破損
平成12年 修学旅行が1泊2日になる
平成14年 セキュリティシステム導入 光ファイバー敷設工事
平成17年 町合併により、国東市立竹田津小学校と改称 給食センター化
平成18年 読書活動優秀校として、文部科学大臣表彰を受く     
平成19年 放課後児童クラブ開設   
平成22年 文科省指定豊かな体験活動推進事業に取りくむ
平成25年 プール改修(小プール設置)
平成27年 劇団「はぐるま座」紙芝居
平成28年 「子どものためのクラシックコンサート」開催
平成30年 鷲野尾池を守るポスター除幕式
平成31年 里帰り後援会 各教室にエアコン設置
令和 2年 山村留学受け入れ 新型コロナワクチンウィルスのため一時期臨時休業
令和 3年 竹田津小学校閉校


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