大田村立田原小学校
大田村の中心地田原にあった学校です。平成26年田原小学校と統合し太田小学校となりました。そのために平成26年3月に閉校しました。昔は中学校も併設していたそうです。西国東郡大田村沓掛10番地 明治6年創立


校歌
作詞 桑原 照彦   作曲 不詳
1 桂の川の水清く のこぎりの峰そそり立つ
  秀麗の気にいだかれて われらはここに人となる

2 北九州に名も高き 豊後六郎泰弘の
  城しにのこるいしずえは これわが里の基なれや

3 みよや黄金の波の色 田原の里の名にはじず
  秋風そよぐ千町田は これわが里の富なれや 

校訓
自主 協力 明朗 創造

   三階建て校舎と手前に平屋の校舎がありました。    体育館は一段上にありました。
   閉校記念碑です。    校歌の碑です。屏風のようです。
   百周年記念碑です。    倉庫でしょうか?貨車がありました。
   校舎の裏です。山が迫っています。    プールは、校舎の裏にありました。
   令和3年に行くと運動場は草むらになっていました。    看板が、かかって企業が入っているようです。
   令和6年に行きました。貨車がかなり傷んできました。    校舎は、そのままです。何か使えないかな?

沿革史(大田村史より)
明治 6年 3月    有志百渓竜三氏等相はかり下沓掛に小学校を設立する
明治 7年11月    小野永松を学区として永松上園に永松小学校を設立
明治11年       下沓掛に百峰小学校設立 波多方、永松、沓掛の三学区を合併してこの学区となしさらに小野、永松、波多方に分校を置く。職員10名児童数430名
明治20年       百峰小学校廃校 下沓掛に南部高等小学校を置き百峰学校の組織を変更せるものなり
明治21年       学制改革により百峰小学校廃校により新たに永松に田原簡易小学校を設立し下沓掛、小野に分校を置く
明治25年       再び教育令の改正有り。一村内の学校数を規定せられたるにより簡易学校を合併し永松に田原尋常小学校を置き下沓掛と小野に分校を置く。同年南部             高等小学校は、田原、田染、朝田三村組合立となり三村の経営となる。
明治29年 5月29日 小野分教場新築落成す
明治32年       下沓掛の分校を廃して百峰尋常小学校を置く。下沓掛石丸を学区とす
明治36年 6月 1日 上沓掛に田原尋常小学校の校舎新築落成す
明治36年 3月30日 南部高等小学校の田原、田染、朝田三村の組合立を解き田原村立になる
明治42年 3月31日 南部高等小学校、田原尋常小学校、百峰尋常小学校を閉鎖す
        4月 1日 田原尋常高等小学校設立
        9月    上沓掛新校舎予定地地均し起工
明治43年 6月25日 本校校舎起工式
明治44年 3月 8日 振興校舎落成
昭和11年 3月10日 講堂地鎮祭
昭和12年 1月18日 講堂新築落成
昭和16年 4月 1日 田原国民学校となる 初等科、高等科の制を設ける
昭和22年 4月 1日 高等科は、中学校となり初等科は、義務教育学校となり田原小学校と改称 校舎修理
昭和26年       校舎改築、六教室一棟新築起工式
昭和27年 8月25日 新築落成
昭和28年 4月27日 西本校舎改築起工式
        6月21日 校舎上棟式
        9月26日 落成式
昭和29年 4月17日 宿直室、炊事室起工式
        9月16日 落成式
昭和31年 4月 3日 校内水道施設完備
昭和32年 2月16日 小野分校改築起工式
        4月20日 竣工
        8月10日 小野分校給食室起工式
       10月21日 完成
昭和35年 1月15日 給食調理室完成完全給食開始
昭和51年 6月 2日 プール起工式
        8月10日 完成
昭和52年 3月 6日 開校百周年記念碑設立及び記念式典挙行
昭和57年       小野分校百周年記念
        8月15日 新校舎起工式
昭和58年 3月 7日 新校舎落成式
昭和61年 8月26日 体育館起工式
昭和62年 2月 4日 竣工落成
平成11年 3月31日 体育館前舗装
平成12年 1月31日 小野分校屋根吹き替え
        2月20日 床張り換え
平成17年        町村合併により杵築市立田原小学校となる   
                  
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