竹田市街地から久住に行く途中の宮城から山の方にある下志土知にあった学校です。宮城小学校と統合し宮城台小学校になりました。昭和61年に閉校になりました。跡地は、草むらになっています。ただ、記念碑等は残っています。
明治5年創立
作詞 工藤 守道 作曲 森 文夫
1 そのかみに紫におう雲たちて 志土知の里はいや古く
文化の光輝りはえりあおぎたる今や ああわが母校
2 はるかなるけだかき祖母の峰たかく 学びの窓に相むつみ
励める声のにぎわしき集いよるここに ああわが母校
3 山田川おさなき心はずませて 流れに小魚すくいたる
心も身をもすこやかに想いありたれか ああわが母校
すすんで仕事や勉強する子子ども 責任を重んじねばりのある子ども きまりを大切にして助け合い励まし合う子ども
明るく親切で人に迷惑をかけない子ども
閉校記念碑です。防球ネットで囲まれています。表が見えにくいです。 | 敷地の端に丘みたいなものがありました。どこまでが学校の敷地だったかは分かりません。 | ||
閉校記念の子どもの顔です。33人います。 | 卒業記念です。 | ||
これも卒業記念です。 | 入り口です。木のトンネルを抜けると学校の敷地です。 | ||
100周年記念碑です。 | 全国へき地研究会の記念碑です。 | ||
草刈り後だったので広い感じです。 | 石のものがありますが近づけないので何か分かりませんでした。 |
(竹田市史より)
明治 5年 下志土知字米納戸に志土知学校が創設される
明治 6年 志土地村里正志賀白兵宅を借りて志土知小学校スタート
明治 9年 川床学校が川床村佐藤宅、志土知学校が下志土知森田宅に分離
明治11年 両校が合併し下志土知馬場の尾に校舎新築
明治20年 志土知尋常小学校と改称
大正 8年 高等科を併設した
昭和16年 志土知小学校を頭部国民学校になる
昭和18年 宮城国民学校と統合し宮城村国民学校となる
昭和22年 宮城村立宮城小学校志土知分校となる
昭和28年 独立し宮城村立志土知小学校となる
昭和29年 市制施行により竹田市立志土知小学校となる
昭和61年 宮城台小学校創立につき閉校