本匠村立本匠東小学校小川分校
本匠東小学校の分校です。本校から県道本匠直川線を行き途中から山の方に行ったところにあった分校です。閉校した年月は不明です。地域の力で校舎を作ったことが村史に書いてありました。

   坂を上がった所にありました。    運動場は、とても広かったです。後で広げたかも。
   建物は、三つの部分に分かれたいました。どれかが校舎だったのかも。    小さな倉庫が並んでいます。地区の人の楽しみの倉庫かも。
  入り口に記念碑がありました。何のものか分かりません。     門扉には校名が入っていました。
   令和4年に行きました。桜が満開でした。グランドも草が少なかったです。    入り口に消防団の建物が建っていました。


沿革史
沿革史 閉校碑より
明治 9年 2月15日 創立 大字波寄字原に二校舎を新築し原学校と称す
明治14年         大字笠掛に移転し笠掛簡易学校と称する 同時に小川・小平・津波の三分教場を置く
明治15年        尋常小学校と改称
明治33年        大字波寄下波寄に新築校舎、竣工移転、同時に波寄・小平の二分教場廃止
明治45年        小川分教場を新築竣工
大正13年        校歌及び校旗制定
昭和16年        中野村国民学校と改称
昭和22年        学制改革により高等科を廃し中野小学校と呼称 教育基本法、学校教育法制定し六三制が発足
昭和27年        小川分校移転新築竣工
昭和30年        新村発足 本匠村立本匠東小学校と改称
昭和51年         開校百周年記念式典並びに記念行事を行う
平成18年        本匠東小学校・幼稚園閉校・閉園記念式典並びに記念行事を行う

閉校記念誌「この郷の子らの瞳は輝きて」
明治 9年       創立大字波寄字原に校舎を新築する 原学校と称する
明治14年       通学が不便なため大字笠掛に移転する 笠掛簡易学校と称する小川、小半、波寄に三分教場を置く
明治15年       中野尋常小学校と改称する
大正元年        小川分教場新築落成する 出席歩合の著しい進歩で大分県知事より金弐千円を交付さる
昭和16年       中野村国民学校と改称する
昭和22年       学制改革により高等科を廃止し中野小学校と改称する本校七学級分校一学級として東校舎階下を中学校に譲歩する
昭和25年        学校林を字小川に設定する
昭和27年        分校移転新築落成式挙行する
昭和30年        新村発足のため本匠村立本匠東小学校と改称する
     

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