緒方町立尾平小中学校
緒方駅から祖母山方面に行き登山口にあった学校です。尾平鉱山で賑わっていました。鉱山閉山とともに人口が減少し上畑小の分校に成り昭和44年に閉校になりました。
小学校 明治8年創立 中学校昭和22年創立

校歌
 作詞 作曲 不明
1 みよ霊峰の祖母ケ嶺に 霞たなびく春くれば
  若木わらべは集いより わが学舎の友となる

2 幾千年のむかしより 尾平のさとの山の根に
  宿れる石を掘り出し 国の宝となりにける

3 静かに建てる尾平小 幾十年もの花月に
  巣立てる友を今もなお 慈愛の瞳でみまもりぬ

4 尾平の友よ永遠に 高くそびゆる祖母ケ嶺の
  雄姿を心の友として 強く雄々しく生き抜かん

校訓は、不明です。

   上が校舎で下が運動場です。ただ、校舎は、建て変わっています。    小中学校の閉校記念碑です。
   プールだと思います。    学校当時のモニュメントかな。
   令和3年に行きました。建物はそのままですがLAMPという看板が出ていました。    サウナができていました。プールは、水風呂の代わりになっていました。


沿革史(緒方町史より)
中学校沿革史
昭和22年 5月  長谷川村立尾平中学校開設
昭和30年 4月  町村合併により緒方町立尾平中学校
昭和41年 4月  中学校統合により緒方町立米山中学校尾平校舎となる
昭和42年 6月  米山中学校校舎完成により閉校

米山中学校閉校誌
昭和22年 5月 3日 長谷川村立尾平中学校として創立
昭和27年12月21日 新校舎落成
昭和30年 1月 1日 町村合併で緒方町立尾平中学校となる
昭和41年 4月 1日 統合により米山中学校尾平校舎となる
昭和42年 3月31日 米山中学校開校式

小学校沿革史
明治 5年 7月  学制発布される
明治 8年 1月   尾平に小学校を開く
明治10年 1月  尾平鉱山小学校設置
明治20年 4月  学区海星の際小原村・栗生村・滞迫村・上畑村の四ヶ村と尾平鉱山を併せて一学区とし尋常科を簡易科に代え小原一校となる
明治21年 5月  尾平に長谷川小学校の分教場を設置
明治24年      廃止
明治40年 9月  尾平鉱山分教場再び設置(但し以前尾平鉱山分教場を閉鎖したことは不詳)
明治44年 4月  尾平鉱山分教場廃止し小学校令第36条に依る家庭学級となる
廃止と設置を繰り返しているようです。
昭和 4年 1月  尾平鉱山分教場を大字尾平鉱山山中62番地宅地に蔵内上用の両鉱山が校舎新築 長谷川村に寄付 開設
昭和 7年2月16日教育者に賜りたる勅語謄本拝載
昭和12年     スレート葺き二階建て一棟校舎増築工事落成
昭和13年     6学級編成 
昭和14年     長谷川青年学校尾平分教場を併置
昭和16年     長谷川国民学校尾平鉱山分教場と改称
昭和17年     高等科設置と共に分離独立校と成り長谷川村立尾平国民学校となる 校長以下8名 児童数264名 初等科6学級 高等科1学級編成
昭和18年     校舎二教室 職員室 炊事室 改築落成式
昭和22年 4月  学制改革により尾平小学校 尾平中学校併設 併任校長6学級編成
昭和23年 5月  尾平中学校分離
昭和26年     ケイト台風により校舎に大被害有り
昭和27年 4月  七学級編成
       12月  新校舎落成 中学校隣接する 25日落成式挙行
昭和44年 4月  上畑小学校へ統合(その前しばらく分校)


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